映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「カイロタイム  異邦人」 パトリシア・クラークソン

2014-05-08 06:07:05 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「カイロタイム 異邦人」はエジプトの首都カイロを舞台にしたやわらかい恋愛映画だ。

アメリカ映画の名脇役として貴重な存在のパトリシア・クラークソンが主演
エジプトを舞台にした映画は珍しい。以前より危険度が増しているという噂を聞いているが、ジャケットをみるとエジプトらしい雰囲気のいい風景がバックだ。ストーリーは大きな起伏もなく、観光案内を見ているような感覚で映画を見た。

女性誌の編集者ジュリエット(パトリシア・クラークソン)は初めてカイロを訪れた。彼女はそこで、パレスチナのガザ地区で働いている国連職員の夫マークと待ち合わせ、休暇を一緒に過ごす予定だった。しかし、空港で彼女を待っていたのは、夫ではなく国連で夫の元警備担当をしていたエジプト人のタレク(アレクサンダー・シディグ)だった。マークはガザ地区でのトラブルで到着が遅れるため、信頼できるタレクに妻の出迎えを依頼したのだった。

ジュリエットは見知らぬ異国の街で、いつ来るかわからない夫を待ちながら心細い思いをしていた。そんな彼女の姿を見て、タレクは街を案内して回る。歴史ある街並みや建造物の数々、エキゾチックな異文化の匂い…、はじめは不安でいっぱいだったジュリエットだが、タレクの紳士的なエスコートでしだいにカイロの街や人々の魅力を知るようになる。

仕事と子育てで忙しかった彼女にとって、これほどのんびりと時間を過ごしたことも、妻でも母でもなく、一人の女性として扱われることも久しくなかったことだった。やがて、ジュリエットとタレクは、お互いが好感を持っているだけでなく、しだいに強く惹かれ合っていくのを感じていた…。(作品情報より引用)

1.カイロの街
イスタンブールに比較すると、映画に取り上げられることが少ない。主人公が宿泊するホテルの階下にナイル川が流れる。古代文明から世界史を見つめてきた川だ。川を隔てた先には高層ビルだけでなく、イスラム寺院が立ち並ぶ。近代化されたカイロの風景だが、いったん主人公が街中に出ると、不気味な男たちから声を次から次へとかけられる。女性一人で行くには物騒な印象を受ける。

2.パトリシア・クラークソン
名前を知らなくても、彼女の顔を見たら「あの人ね」と感じる人は多いだろう。自分がブログにアップした彼女の出演作を数えてみたら10近くあった。「エデンより彼方へ」「エレジー」あたりの活躍が印象深い。教養のありそうな中年女性の役に指名がかかることが多い。そこでは女性上司役や老年齢の紳士の恋相手など脇役が多いが存在感がある。現在54歳なのでまだまだ出るだろう。ここで彼女を恋をする女にしたのは、50代過ぎて恋と縁がきれそうな年頃の女性から支持を受けたい意向があったのかもしれない。欧米でカイロに遊びに行くのはこのくらいの年齢でないとむしろ行く余裕がない。自分とは同世代だけにいつも気になる存在だ。

3.映画「旅情」とダブるところ
デイヴィッドリーン監督キャサリーンヘップバーン主演の「旅情」は、ベニスに旅するアメリカのキャリアウーマンの旅行先での恋物語である。現地のイタリア人と恋仲になる。そういった意味では共通しているが、キャサリンと違い所帯持ちの設定である。パトリシアは不倫までは至らない優しい恋だ。ともに観光案内的なムードで美しいバックを楽しむ感覚で映画を見れてしまう所が共通点だろうか?そういう映画があっても悪くないと自分は思う。


4.ピラミッド
結局2回ピラミッドに行く。いろんな観光案内を見ると、ピラミッドのまわりには大勢の観光客いるがここではそれをシャットアウトしたかのような映像だ。なかなかムードがある。

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矢沢永吉 TREASURE BOX [DVD] 発売

2014-05-06 22:27:13 | 矢沢永吉
 いよいよ明日は矢沢永吉TREASURE BOX [DVD] 発売だ。
 街にも看板が。。。!!東京ミッドタウンの前
 

 
TREASURE BOX [DVD]


    It's Only YAZAWA 1988 in TOKYO DOME

   JUST TONIGHT 1995 in YOKOHAMA STUDIUM

    STILL ROCKIN' ~走り抜けて・・・~ 2011 in BUDOKAN

    JAMMIN' ALL NIGHT 2012 in BUDOKAN

    特典DISC: MC集もついているらしい
   破壊力あるラインアップだ。  
 
 なんと時代が24年間ギャップがある。
2011年は3つに分けてブログ記事アップ
記憶に間違いなければラストクリスマスイブやったのこの日だけだった気がするんだけど違うかな?

2012年も同様に2つに分けてブログ記事アップ
これも最終日で曲名はあっている気がするんだけどどうかな?

今年の年末も楽しみだ。
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映画「ピアノレッスン」 ホリーハンター

2014-05-06 17:45:35 | 映画(洋画 99年以前)
映画「ピアノレッスン」は93年のカンヌ映画祭パルムドール作品だ。
主演ホリーハンターはアカデミー賞主演女優賞、娘役を演じた少女アンナ・パキンはなんと11歳にしてアカデミー賞助演女優賞を獲得している。

傑作とされる本作品もなかなかdvdレンタルにならなかった作品である。音楽がテーマになる映画であるから、著作権の理由かと思ったが、映画を見ればわかる。エロティックなシーンが次から次へと出てくるのである。ちょっとビックリだ。「チャタレー夫人の恋人」的な感覚もあるが、それだけに収まらない奥の深さもある。

1852年エイダ(ホリー・ハンター)はニュージーランド入植者のスチュワート(サム・ニール)に嫁ぐために、娘フローラ(アンナ・パキン)と一台のピアノとともにスコットランドから旅立つ。そして荒海の海岸にたどり着いた。

父親の死がショックで口がきけなくなった彼女にとって、ピアノは分身だ。原住民の男たちを引き連れて海岸に迎えにきたスチュワートは、ピアノは重すぎると浜辺に置き去りにする。エイダは憤慨する。スチュワートの友人で原住民のマオリ族に同化しているベインズ(ハーヴェイ・カイテル)は、彼に提案して自分の土地とピアノを交換してしまう。ベインズはエイダに、ピアノをレッスンしてくれれば返すと言う。

利害関係もあり、夫のスチュアートもエイダにレッスンするように勧め、いやいやベインズの元へ行く。初めは一見荒くれ者のベインズをエイダは嫌う。レッスンと言っても一方的にエイダが弾き、それをベインズが聴くというだけであった。レッスンを重ねるうちに、2人の距離は徐々に縮まる。そしてあるとき一線をこえるようになる。スチュワートは様子がおかしいことを察知し、内偵して2人がよからぬ関係にあることを知る。

そしてエイダにベインズと会うことを禁じる。それでも恋の気持ちが収まらないエイダはピアノのキイにベインズへのメッセージを書き、届けるようにフローラに託す。幼心にフローラはヤバイと感じてそれをスチュワートに渡す。逆上したスチュワートはエイダの人指し指を切り落とすのであるが。。。

女1人とそれを取り巻く男2人の三角関係という構図だけど、そこに11歳の女の子が絡んでいく。それぞれの嫉妬心が奇妙な化学反応を起こしてストーリーが展開していく。古今東西この手のテーマはよくあるパターン。伊藤整が裁判騒ぎを起こした「チャタレー夫人の恋人」だけでなく、日本映画でも三島由紀夫原作「愛の渇き」が浅丘ルリ子主演で似たような匂いを残す。

1.ホリーハンター
ホリーハンターといえばオードリーヘップバーンの遺作「オールウェイズ」も印象的だが、コーエン兄弟の監督作品「赤ちゃん泥棒」を真っ先に連想する。このコメディは最高に笑える作品だ。ニコラスケイジが牢屋に入った時の担当婦人警官で気がつくと結婚する。子供がいないので金持ちの家に忍び込んで子供をさらうという話だ。ここでは明るい奥さん役を演じていた。
「ピアノレッスン」に最初に映るホリーハンターの顔はまったくその顔と違う不安げな顔立ちで、同一人物に見えなかった。ところが、徐々に変貌する。気がつくと性の虜となってしまうその姿をセリフなしで見事に演じた。

2.美しい調べ
テーマ曲はどこかで今でも流れている美しい曲である。この曲をホリーハンター自らのピアノで弾いている。

3.サム・ニール
無邪気な少女を演じる。ホリーハンター演じる母親は言葉を話せないので、娘が代わりに話をして相手に意思を伝える。この役はなかなか大変な役だ。しかも、母親と原住民との密かな情事を目撃して、母親が男に狂うのを懸命に阻止しようとする。彼女がベインズの家の隙間から2人の情事を覗くシーンというのもドキドキする。
11歳にしてこの役は荷が重いが、よくこなした結果のアカデミー賞である。最年少受賞かと思ったが、「ペーパームーン」のテイタムオニールの方が10歳でわずかに若い。テイタムも好演だが、難易度はサムニ―ルの方が高い役柄だ。

4.きわどいシーン
最初見せたホリーハンターの表情が徐々に柔らかくなる。そして恋に狂う女の表情になっていく。そして、ホリーハンターが予想以上の美しいヌードを披露するわけだが、相手役のハーヴェイカイテルは獣のようにワイルドだ。それを子供が覗くという設定もヤバイ感じだ。じっと見ていると、アレいいのかな?というシーンが映る。ハーヴェイの○ソコが見えてしまうのだ。「ミュンヘン」「シンドラーのリスト」でも経験したことあるけど珍しいパターンだ。

5.ラストに向けての衝撃(ネタばれ要注意)
結局主人公はこの棲家を出ていくことになる。船に乗っていくわけだが、大事にしていたピアノを船から投げ出そうとするのである。そんな大事なものをと周辺からいわれてもエイダはいうことを聞かない。やむなくみんなでピアノを海に投げ出そうとしたら、ピアノを結んだロープとエイダの足がつながっていて、一気に海の中にエイダが投げ出される。エイダはピアノとともに沈む。
そうかそういう終わりなのか!!
そう思った後に。。。続いていく。この展開は予想外だった。それだけでぞくっとさせるものがあった。


ピアノ・レッスン
ピアニストの秘めた恋
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渡辺淳一死す (自分の渡辺淳一履歴)

2014-05-06 11:52:02 | 偉人、私の履歴書
渡辺淳一さんが先月30日に亡くなったと伝えられている。
よくあるように葬儀終了後の公表である。

中学時代から40年にわたって愛読した作家が亡くなるのはさみしい。
渡辺淳一との最初の出会いはテレビ番組であった。
田宮二郎、山本陽子主演の「白い影」は渡辺淳一の「無影燈」がベースになっている。

有名医大で将来を嘱望された医師が民間の病院にやってくる。男前の医師には次から次へと女が寄っていく。しかし、彼には秘密があった。がんに侵されているのである。民間病院であれば、がん患者に投与すると言って大量に痛みを和らげる注射(モルヒネかな?)を打つことができるのだ。結局は北海道の湖で自殺して自らの命をたつという話だけど、がん患者に対処する医師の使命について、若い医師と語りあう場面もあり実に面白い。田宮演じる医師に無情の響きを感じた。
中山麻里や田中真理、中野良子など当時我々が憧れた女優が演じる女性と次から次へと関係を結ぶ自由奔放な主人公がうらやましかった。

これから彼の本をむさぼり読むようになる。
何より読みやすい。短編から始まって次から次へと読んだ。
高校から大学生になっても同様に読みつづけた。「北都物語」に流れるやわらかいリズムに魅かれた。
ただ、その当時に彼の書いた作品がよく理解できるようになるのは30代後半をすぎたくらいだったかもしれない。むしろ40代になった時に「北都物語」を読みかえして主人公の気持ちに感情流入した。

その後「化身」「別れぬ理由」「阿寒に果つ」など映画化された作品も読んだ。
社会人になって最初に配属された先が東京駅そばで銀座の夜を楽しむようになった。
渡辺淳一作品によく出てくるホステスってこんな感じか?と思いながら遊びに出たが、まだまだ修行が足りないといった感じだった


自分が一番衝撃を受けたのは、野口英世の人生をドキュメンタリータッチで描いた「遠き落日」を読んだ時だ。

子供のころから野口英世は偉人として称賛されていたわけである。小さいときに手に大やけどをして不自由になりながらも努力してアメリカで伝染病の研究者として名をあげるという話は誰でも知っているだろう。でもこの小説を読んで「裏の野口英世」を知った。
金に無頓着で、地元会津の素封家に金の無尽をしまくるという構図はこの本を読むまで知らなかった。もちろん人並み以上に努力をするということが本の中から伝わるのであるが、今まで彼を偉人と聞いていたのは何なの?生活破たんでもいいの?という疑問が浮かび上がった。面白かった。映画化された時、野口のいい加減なところは一場面だけだった。

日経新聞を読むと、必ず「私の履歴書」に目を通す。そして下の連載小説にも目を通すが見ないことも多い。実際今の小説は筋すら知らない。そんな95年のある時、きわどい描写が書いてあるなあと名前をみると渡辺淳一だった。これは毎日読むようになる。
「失楽園」だ。これは連載を重ねるうちにエスカレートしていく。最終場面に近づいていくとき、どういう結末となるのかが楽しみになった。次に起きる場面の予測で読者をわくわくさせるのは連載小説の醍醐味である。映画化やテレビも見て、黒木瞳川島なおみもいい感じで悪くなかったが、連載時のワクワク度はなかった。

「愛の流刑地」「失楽園」と同様の刺激を与えてくれたが、さすがに「限界効用逓減の法則」になってしまった気がした。

最後に驚かせてくれたのが日経新聞「私の履歴書」である。2013年1月の連載であった。「私の履歴書」の連載を終えると、時間たたずに死ぬという印象を自分は持っている。家人も同じようなことを言っていた。自分の寿命を意識し始めた時が書き始め時なのか?ここではあからさまに若き日の恋愛を時間をかけて描写した。初恋の女学生との悲哀な恋に驚いた。看護婦に手をだす話なんて「無影燈」のネタ話だったのかな?おいおいこんなこと言っていいのかな?と思わせることも多く刺激が強かった。

ともかくいろんな刺激を与えてくれた人だった。
今朝テレビを見ていたら、黒柳徹子さんのインタビューが映されていた。私の亡き母が若い頃お世話になったTさんという方がいて、そのおばさんは自分が社会人になるまでよくしてくれた。夫を捨て、愛妾になったというその昔映画の元ネタになった自由奔放な女性だったという。
そのTさんが黒柳徹子さんの母上黒柳朝さんと仲が良かった。朝さんのエッセイにもTさんが出てくる。いずれも北海道出身で渡辺淳一さんの親族とつながっていたと聞いた覚えがある。母が何度もそのつながりを語ってくれたのだけど、関係がどうしても思い出せない。いずれにせよお互い同世代だった渡辺淳一さんと黒柳徹子さんは親しかったのであろう。テレビを見ながらそんなことを思っていた。

ご冥福を祈りたい。

参考作品
失楽園
究極の愛


化身
年下女性を育てる愉しみ


遠き落日
偉人野口英世と母との交情
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映画「大統領の料理人」と最強の料理映画

2014-05-05 11:52:02 | 映画(フランス映画 )
映画「大統領の料理人」は2013年公開のフランス映画

南極に渡った元大統領の料理人の女性の姿を描く。
目の保養になるおいしい料理が盛りだくさんに出てきて食欲を誘う。映画の持つ落ち着いた響きもいい。

取材に訪れた仏領南極基地で、オーストラリアの女性TVクルーが一人の女性オルタンス・ラボリに遭遇する。彼女は南極基地の料理人だった。同性ということで関心を持ったTVクルーは噂で彼女が以前大統領のお抱えシェフだという話を聞く。ぜひ取材をしたいと彼女に迫ってもかわされるばかりであった。

その4年前、オルタンス・ラボリ(カトリーヌ・フロ)はフランスの片田舎で小さなレストランを営んでいた。普通の女性である彼女をフランス政府が迎えに来た。そして大統領官邸であるエリゼ宮殿に向かう。彼女はミッテラン大統領(ジャン・ドルメッソン)からの直々の指名で、彼のプライベートシェフに抜擢されたのだ。ジョエル・ロブションの推薦である。
大統領官邸は独特の儀礼や規律を重んじ、細かい約束事で縛られていた。しかも、主厨房は大勢の男性料理人だけで営まれてきたので、部外者の指名にいい顔はしない。彼らの嫉妬を無視して、大統領に美味しい料理をつくることを考えていた。事前に大統領の嗜好を聞こうと秘書官や厨房関係者に聞いても誰も教えてくれない。

オルタンスは、食事の後の皿の様子、給仕たちの観察、そしていくつものメモを書き、あらゆる方法で大統領の気持ちを直接確かめようとする。どうやら大統領も満足しているようだった。彼女についた助手や給仕長は、いつしか彼女の料理の腕前に刺激され、厨房の雰囲気も明るくなっていった。そんなある日、オルタンスは、ミッテランから直接声をかけられる。子供の頃は料理本を読むのが好きだったという大統領のオーダーはフランスの懐かしい味を味わいたいということであった。。。

既存の権威の中に異分子が入り込み、旋風を巻き起こすというのは古今東西よくあるパターンで、中には料理人という設定もある。わずか2年間の活躍にすぎないが、その中で大統領官邸ならではの慣例があり、そのハンデを乗り越えた彼女の踏ん張りを映画では語っていく。でもこれは「視覚に訴える」映画だと思う。美しい料理の数々とうんちくを楽しむしかない。

1.ミッテラン大統領
何と1981年から95年まで14年も大統領をやっていた。死ぬまで大統領をやっていたというすごい人である。社会主義者と言いながらエリゼ宮を官邸として使い、宮廷さながらの食生活を官費でできるというのはうらやましい。
シンプルな料理が好きで、素材の味を活かした料理をつくってほしいと希望する。子供のころにニニヨンが書いた「フランス料理讃歌」という料理本を読んで、そらでレシピが言えるようになったという。

2.ミッテランの健康状態悪化

後半官邸の主治医が大統領の健康をかなり気にするようになる。そのためにかなり材料やソースにクレームがつく。主人公は反撥するが受け入れるしかない。そりゃそうでしょう。自分が見てもこんな美食ばかりだと健康状態悪化するのはしかないと思うもんね。それでもミッテランがひっそりと厨房に入ってきて、とびきりのトリフを食べるシーンがある。このお忍びのシーンがいい感じだった。

3.美しい料理
これは映像で見るしかない。予告編の中の料理をみてほしい



料理の会話でロワール川のほとりうんぬんという言葉にはしびれた。
自分自身は少なくとも白ワインならサンセールまたはプイィ・ヒュメのロワール川付近のワインを選択する。

4.豪華な料理と経費削減
主厨房に長年納入してきた業者がいて、材料はそこから購入するように言われていた。しかし、もっとおいしい素材があると、大統領に直訴しておいしい素材を産出する原産地から直接仕入れをするようになる。場合によっては、直接購入に向かうため、その往復の交通費を請求してきたが、官邸から文句をいわれる。原材料も高すぎるという。そう言われて主人公も少しづつやる気をなくしていくわけだが、どこでも青天井で金を使うのは無理だよね。

5.自分が選ぶ最強の料理映画
まずはこの2作が最高峰だと思う。
バベットの晩餐会

バベッドの晩餐会
ここで語られる暖かいお話も含めて、料理映画の最高峰だと思う。

恋人たちの食卓

「恋人たちの食卓」
台湾が舞台だ。序盤戦で三姉妹の娘に料理を振る舞う父親の姿が映される。一流のコックの主人公が家庭料理でだす中華料理の美しいこと。これは凄い。そう思っているうちにメガホンをとるアン・リー監督はハリウッドメジャー監督になる。最近は「ライフオブパイ」で2度目となるアカデミー賞監督賞を受賞している。
料理の本場中国ではいくつか料理映画がつくられている。ずいぶん見たが、この映画の料理が一番だ。

あと食欲をそそる作品は


ウェイトレス~

ウェイトレス
パイ作りの名人と言う設定だ。このパイの色合いは実に美しい。

青いパパイヤの香り

青いパパイアの香り
ここで映されるシンプルなベトナム料理には豪華さはない。でもおいしそう。
ディナーラッシュ

ディナーラッシュ
ロブスターを使った料理がおいしそうだが、映画の持つムードがどす黒いので苦手な人もいるかも


ジュリー&ジュリア
シュリー&ジュリア
メリルストリープが料理研究家に扮する。アメリカ映画の中では料理がおいしく見える作品

あとは日本映画でいえば伊丹十三「タンポポ」でしょう。
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映画「浮き雲」 アキ・カウリスマキ

2014-05-04 07:17:03 | 映画(自分好みベスト100)
映画「浮き雲」は1996年のフィンランドの異才アキ・カウリスマキ監督作品
97年のキネマ旬報ベスト3となっている。失職した夫婦が彷徨う姿をえがく。

「シャイン」「イングリッシュペイシェント」という名作よりも上位に評価されている。この映画も見るチャンスを逸していた。ときおり名画座でアキ・カウリスマキ特集をやることがあるが、スケジュール合わない。しかも、レンタルにはなかったし、DVDは高すぎる。今回レンタル化されようやく見れた。
不景気によるリストラで失業した夫婦がドツボにはまっていくパターンは、いつものアキ・カウリスマキ作品と同じパターンだ。美術マルック・ペティレ、撮影ティモ・サルミネンも一緒である。彼の作品にはモノトーンも多いが、これはカラー作品だ。この色彩設計もいかにも彼の作品らしい。我々には同じものを見ている安心感がある。最新作ルアーブルの靴みがきでも主婦役を演じたカティ・オウティネンがここでも主演だ。後味がいい心地良い傑作であった。

ヘルシンキの街角に立つ、かつての名門レストラン「ドゥブロヴニク」
ピアノをナットキングコールスタイルで弾きながら歌う歌手が映しだされる。素敵なライブの中食事ができる「ドゥブロヴニク」でイロナ(カティ・オウティネン)は給仕長をつとめていた。店の帰り際に夫のラウリ(カリ・ヴァーナネン)が運転する市電に乗り家路に向かう。夫婦は幸せな生活を送っていた。

ある日ラウリは不況のため路線廃止となり、リストラされる。妻にもいえないまま退職を迎え、酒の力でようやく告白できたはいいが、今度は再就職もままならない。一方「ドゥブヴロニク」も大手チェーン店に乗っ取られた。オーナーのスヨホルム夫人(エリナ・ロサ)はイロナを呼び、新しい店ではそのチェーンで教育された人員を雇うのだと語る。イロナも失業する。

中年にさしかかったふたりの職探しは、当初の予測より困難に満ちたものだった。それでも、ラウリはロシアへの長距離観光バスの運転手に雇われることが決まった。ところが、健康診断で片耳に異常が見つかり、採用は取り消される。イロナも、やっと見つけた安食堂の仕事が、不正なオーナー、フォルストロム(マッティ・オンニスマー)のおかげで、資金もまともに払われずじまい。怒ったラウリは殴り込むが、逆に袋叩きにされる。
二人は「ドゥブロヴニク」のイロナの同僚メラルティン(サカリ・クオスマネン)の提案で、もう一度レストランに挑戦してみることにした。しかし、銀行へ行ってもどこも相手にしてくれない。自己資金も少ない。車を売って、資金作りのためにカジノに挑むが失敗する。ドツボな状態が続き路頭に迷う。そんな折、偶然スヨホルム夫人に再会するが。。。

簡潔な映画である。この映画がつくられた96年にはCGなどの現代的映画技術はかなり進化していたわけである。でもアキ・カウリスマキはまったく目を向けない。その世界が逆に心地よく感じさせる。いつもながらぶっきらぼうな登場人物はまったく冴えない。だからといってオーバーな感情表現はさせない。コメディと言ってもおかしくない動きにさえ見えてくる。
自分のようにアキ・カウリスマキが好きな人間には本当にたまらないいい映画だ。

1.アキ・カウリスマキの言葉
「浮き雲」は4割がヴィットリオ・デ・シーカ的世界、3割が自分自身、2割が小津安二郎的世界、1割がフランク・キャプラ的世界で構築されていると本人は語る。つねに作品を共にしてきた盟友のマッティ・ペロンパーに捧げられている。前作「愛しのタチアナ」まで彼が主要な役を演じていた。


2.限定された配役
黒澤明三船敏郎、志村喬といった俳優を固定して起用したかのようにアキ・カウリスマキも俳優を限定する。みんな個性的だ。常連のカティ・オウティネンは美人とはいえない。長期間ずっと出演している無口で朴訥な女性だ。どちらかというと年齢の割には若干老け顔で不条理なヒロインを演じるにはもってこい。最新作「ルアーブルの靴みがき」で演じた役はおばあさんと思しき雰囲気だが、まだ50すぎたばかりである。アキ・カウリスマキとは切っても切れない間柄できっとお互いが死ぬまで一緒にやるだろう。


3.アキ・カウリスマキ節
寡黙で無表情な登場人物、シンプルなストーリー、固定化したカメラワーク、殺風景で簡素な美術、日本の60年代を思わせる舞台背景、室内のブルーとイエローの反対色を巧妙に配した色彩設定、なぜかいつも出てくるオールディーズの音楽。とてつもなくドツボに落とされる主人公の身の上など明らかなパターンがある。でもそれに慣れている自分は逆に安心感をおぼえる。

4.ナットキングコール
冒頭に弾き語りを歌う歌手は明らかにナットキングコールを意識している。


ピアニストを映すカメラワークまで似ているよね。

こんなレギュラー出演者がいるレストランあったらいいな

5.絶望と希望
いつもながら地獄の沙汰に落とされる主人公だけど、いつかはいいことあるんだろうなあ?と映画を見ている。そうでないとさすがに心が穏やかになれない。ここでも終了寸前にようやく光が見える。その見えた光の差し込み方が素敵なのでまたアキ・カウリスマキの作品を見てしまう。

アキ・カウリスマキはすばらしい。

参考作品
ル・アーヴルの靴みがき
フランスの港町での人情物語


浮き雲
失業から這い上がろうとする夫婦を描いたアキ作品
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映画「許されざる者」 渡辺謙

2014-05-03 12:56:18 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「許されざる者」は2013年公開渡辺謙主演の日本映画

映画「許されざる者」で1992年クリントイーストウッドがアカデミー賞作品賞を受賞した。その作品のリメイクとしてつくられる。今回は舞台を維新後の日本へ移した。元来西部劇で、荒野の中にある小さな町が舞台だ。それを日本に移すとなると当然北海道の広大な荒野が選ばれる。これが実に相性が良かった。天候を選んで撮影したと思われる映像も美しく、夏冬両方の映像を楽しんだ。

以前見たイーストウッド版を基調にはしているが、変更しているところも多く、結末もちがう。
個人的には「何でここまでひねるの?」といった印象を持つがハリウッドのリメイクとしては成功したほうではないだろうか。

明治13年北海道鷲路村の娼婦が顔を切り刻まれる事件が発生した。犯人は旧仙台藩士の2人堀田兄弟(小沢征悦と三浦貴大)だった。些細なことで女郎なつめ(忽那汐里)が笑ったというのが原因だったが、顔を切り刻まれる女郎には客はつかない。使い物にならない状況になった。それでも捕われた堀田兄弟の2人は馬を6棟に差し出すということでの決着となり、大石一蔵警察署長(佐藤浩市)は罪に問わないことにした。それを聞き、年長の娼婦お梶(小池栄子)は怒る。2人を殺してくれたら、娼婦仲間から集めた金で千円の懸賞をだすことにした。

一方その話を聞いた馬場金吾(柄本明)は昔人斬り十兵衛と恐れられた釜田十兵衛(渡辺謙)のところを訪れる。幕末から維新にかけて十兵衛は江戸幕府側について戦っていた。新政府側は彼を追い詰めたが、追う新政府軍の兵士たちを皆殺しにする。
今はアイヌの妻と死別したあと、娘2人と静かに農業をやりながら暮らしている。その腕を知って、鷲路村での賞金首の一件を話して一緒に行こうという。もう刀を握っていない状態だったが、貧困暮らしの彼は後をついていく。争いとは縁のない彼は馬にも乗れないような状態であった。

途中で十兵衛たちは、1人の若者と出会う。アイヌの少年沢田五郎(柳楽優弥)だ。自分も賞金稼ぎに付き合って欲しいと訴える。彼は粋がっている若者を本来は連れて行きたくはなかったが、彼は付いてきた。

一方懸賞金の話を聞いて、長州藩の旧藩士だった男(国村隼)が村にやってくる。しかし、新政府の警察署長率いる警察部隊にコテンパンにやられた。強い武士が返り討ちにあうその姿を見て、2人の首をとるのは難しいと娼婦たちは思った。

3人は村に向かう途中で屯田兵たちに出会う。アイヌを迫害している様子を見て、沢田は反撥するが十兵衛は気を静めようとする。そこでまず堀田兄弟の弟と出会う。いよいよ衝突の場面で弟を討つが、その様子は村に報告されていく。そして村に入っていく

1.北海道との相性
開拓時代の北海道を舞台にするという設定は成功していると思う。アイヌと江戸幕府軍の残党、新政府の役人、屯田兵という面々が争い合うという史実もあり、原作の流れをうまくストーリーに盛り込みやすい。しかも、北海道には他の本州の地にはないすばらしい大自然がある。まさに相性がいいと言えよう。


2.原作と違う点
警察署長と十兵衛が早いうちに対面する。これには驚いた。
原作では終末が近づくまで、クリントイーストウッドジーンハックマンは出会わない。
新政府の役人である署長は十兵衛の顔を知っていた。それなら当然お仕置きをするわけであるが、立ち直り不可能にするもしくは殺してもいいくらいだ。牢屋に閉じ込めてもいい。近代日本なのだからそう簡単に警察が人を殺したりしないということなのであろうか?そこに疑問を感じる。


3.ラスト
原作は最後にイーストウッドが元の住処に帰る。そこで静かに余生を過ごすのだ。
自分自身はそのほうが良いと思っている。
今回は李監督の思想がかなり盛り込まれていると思う。まったく同じなのは芸がないとばかりに、設定を一部変えたのであろう。でもやりすぎと思しき所も数多くみられる。

4.ロケと撮影
これは絶賛されるべきである。北海道の大自然をふんだんにアングルの中に取り入れる。大自然の中には余計な近代の産物がないので、十兵衛たちの振る舞いは、明治時代と言ってもおかしくないように見える。李監督は「悪人」の時に灯台の使い方など抜群のロケハンティングの能力を発揮していた。ここでもロケハンティングは成功している。ロケは主に上川町と言うが、雪の場面はきつそうだなあ。映像は美しいけど。

5.こんなところに女を買いに来るの?(ツッコミ)
賞金の資金源は女郎の貯めたお金だ。でもここへ女買いに来るのかな?東海道などの街道沿いの主要宿場町にはたいてい女郎屋があった。品川の宿にある娼館は有名だ。でもここってそんなに通る人っているのかしら?まあ開拓地だから土木作業員的な流れ者が来る可能性があるけど、冬場はそんな人たちがいるはずはない。近くにいる屯田兵たちが来たということなのかな?

許されざる者
イーストウッドの傑作


許されざる者
北海道の大自然と相性のいい日本版
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「女のいない男たち (シェエラザード)」 村上春樹

2014-05-01 20:23:05 | 
村上春樹の短編集「女のいない男たち」を読んだ。

自分には面白い小説だった。結婚しない男あるいは妻に逃げられた男、浮気された男といろいろと出てくる。
この小説は若者が読むよりも、中年男性が読む方が楽しめると思う。それなりの人生経験を踏んだほうがこれらのストーリーにすんなり入っていけるかもしれない。

短編小説について吉行淳之介がこんなことを言っている。
「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」
名言だ。

今回の村上春樹の短編集で、シェエラザード」と「木野は吉行淳之介の言う「地上の短い部分を書いて根まで想像させる」という匂いを感じた。両方とも決して超短いわけではないが、読者に想像させる行為を起こさせる。

「シェエラザード」の大意を追っていく。
この小説は「女のいない男」よりもその「面倒を見る女性」がクローズアップされる。
シェエラザードとは千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせた「千夜一夜物語」の王妃である。


(大意:文章より引用)
羽原は北関東の地方小都市にある「ハウス」に送られ、近くに住む彼女(シェエラザード)が「連絡係」として世話をすることになった。シェエラザードは35歳。。。身体のあちこちに贅肉が付着し始めた地方都市在住の主婦で、見るところ中年の領域に着実に歩を進めつつあった。羽原がそこに落ち着いた翌週から、ほとんど自明のこととして彼をベッドに誘った。シェエラザードは週に二度のペースで「ハウス」を訪れた。彼女は近所のスーパーマーケットで食品の買い物をし、それを車に積んでやってきた。時計の針が4時半を指すと。。ベッドを出て、床に散らばった服を集めて着こみ、帰り支度をした。

「十代の頃だけど」とある日、シェエラザードはベッドの中で打ち明けるように言った。
「私はときどきよその家に空き巣に入っていたの」
シェラザードが初めて他人の家に侵入したのは、高校二年生の時だった。彼女は地元の公立高校の、同じクラスの男の子に恋をしていた。。。しかし、それは女子高校生の多くがおおかたそうであるように、報われない恋だった。でも彼女はどうしてもその男の子をあきらめることができなかった。なんとかしないとそのままでは頭がおかしくなってしまいそうだった。

ある日シェエラザードは無断で学校を休み、その男の子の家に行った。彼の家には父親がいない。母親は隣の市の公立中学校で国語の教師をしていた。玄関のドアにはもちろん鍵がかかっていた。シェエラザードはためしに玄関のマットの下を探してみた。鍵はそこに見つかった。応答がないのを確かめ、また近所の人の目がないことを確認してから、シェエラザードは鍵を使って中へ入った。

彼の部屋は思った通り二階にあった。部屋の中はきれいに片づけられ、整頓されている。シェエラザードは勉強机の椅子に腰をおろし、しばらくそこでじっと座っていた。それから机の抽斗をひとつひとつ開けて、中に入っているものを細かく調べた。


「私は彼の持ちものがなにか欲しかった。だから彼の鉛筆を1本だけ盗むことにした。」
「そのかわりに、そこにしるしとして後に残していこうと思った。。。仕方ないからタンポンを一つ置いていくことにした。それを彼の机の一番下の抽斗の、いちばん奥の、見つかりにくいところにおいていく事にした。。。たぶんあまりに興奮したからだと思うけど、そのあとすぐに生理が始まってしまった」
「それから一週間ばかり、私はこれまでになく満ち足りた気持ちで日々を送ることができた」とシェエラザードは言った。
「彼の鉛筆を使ってノートにあてもなく字を書いた。その匂いを嗅いだり、それにキスしたり、頬をつけたり、指でこすったりした。。。」
「私は頭がまともに働かない状態になっていたのだろうと思う。」

彼女は十日後に再び学校を休み、彼の家に足を向けた。午前十一時。前と同じように玄関マットの下から鍵を取り出し、家の中へ入った。今回、半時間ばかりその部屋の中にいた。彼のノートを抽斗から出して一通り目を通した。彼の書いた読書感想文も読んだ。夏目漱石の「こころ」について書いたものだ。それからシェラザードは洋服ダンスの抽斗を開け、中に入っているものを順番に見ていった。どれも清潔に整頓されている。彼女は毎日彼のためにそういうことができる母親に、強い嫉妬を覚えた。無地のグレーのシャツを1枚抽斗から取り出し、それを広げ、顔をつけた。彼女はそれを手に入れたいと思った。

結局そのシャツを持って行くことをあきらめた。今回は鉛筆のほかに、抽斗の奥に見つけたサッカーボールをかたどった小さなバッジを持っていくことにした。ついでに、いちばん下の抽斗の奥に隠しておいたタンポンがまだあるかどうか、確かめてみた。それはまだそこにあった。
今回シェエラザードは二つ目のしるしとして、自分の髪を三本おいていく事にした。抽斗の中の古い数学のノートの間にはさんだ。彼女はそこを出て、その足で学校へ行き、昼休みのあとの授業に出席した。そして、その後の十日ばかりを、また満ち足りた気持ちで過ごした。彼のより多くの部分が自分のものになったような気がした。

空き巣に入るようになってから、学校の勉強にはほとんど身が入らなかった。シェエラザードはもともと成績は悪くなかった。だから彼女が授業中に指名されてほとんど何も答えられないとき、教師たちは怒るより前に怪訝そうな顔をした。

「私は定期的に彼の家に空き巣に入らないではいられないようになってしまった。」とシェエラザードは言った。
「二度目の<訪問>の十日後、私の足はまた自然に彼の家に向ってしまった。そうしないことには頭がおかしくなってしまいそうだったの。」
「私はまた玄関マットの下から鍵を取り、ドアを開けて中に入った。なぜかいつにも増して家の中はしんとしていた。。。途中で一度、電話のベルが鳴り出した。大きく響きわたる耳障りな音で、私の心臓はほとんど止まってしまいそうになった。。。十回ばかり鳴ってから止んだ。ベルが鳴り止んだあと、沈黙は前よりも深くなった」

浴室の脱衣場に洗濯かごをみつけ、その蓋を開けてみた。そこには彼と母親と妹と三人分の洗濯物が入っていた。シェエラザードはその中から男物のシャツを1枚見つけた。そのシャツを持って二階に上がり、もう一度彼のベッドに横になった。。。そしてシャツに顔を埋め、その汗の匂いを飽きることなく嗅ぎ続けた。。。とにかくその汗を吸い込んシャツを持ち帰ることにした。。。彼女は自分の下着を置いていくことを考えた。。。しかし、脱いでみると、実際にその股の部分が暖かく湿っていることがわかった。私の性欲のせいだ。しかし、そんな風に性欲で汚れてしまったものを、彼の部屋に残していくわけにはいかない。さて、何を置いていけばいいだろう。

シェラザードは黙り込んだ。「ねえ、羽原さん、もう一度私のことを抱けるかな?」と彼女は言った。
「できると思うけど」と羽原は言った。。。。この女は実際に時間を遡り、十七歳の自分自身に戻ってしまったのだ。。。そして二人はこれまでになく激しく交わった。。。
「それで結局、彼のシャツの代わりに何を置いていったの?」と羽原は沈黙を破って尋ねた。。。。


この後転換点を迎える。
それは読んでのお楽しみだが、村上春樹は吉行の言う「根を想像させる」という読者の楽しみを残していく。
狂っていくシェエラザードの心理状況を実にうまく描写している。実際にありそうな話に聞こえる。出来心で忍び込んだあと、徐々にヒートアップしていく。その心理状況を彼女が語る形で表現していく。当然その話を聞いての主人公の心の動きも伝わるが、ここでは特筆すべきことではない。

1.2人の素性はわからない。
主人公はなんで北関東のある町にある「ハウス」にいるのか?全く語られない。宗教法人の特殊な工作員なのかもしれないし、犯罪に関わり匿ってもらっている男なのかもしれない。謎である。
彼女も名前がない。普通の主婦であることは明らかだが、どういう生活をしているかわからない。村上春樹らしい。

2.恋する惑星
この映画でフェイ・ウォン演じる女の子が香港島のヒルサイドエスカレーター横にあるトニーレオン扮する警官のアパートに忍び込む。ひょんなことから以前店の常連だったトニーレオンの自宅の鍵をフェイウォンが手に入れる。忍び込んで部屋の模様替えをするフェイウォンの姿が脳裏に浮かぶ。でもシェエラザードはそんな大胆なことはしない。自分が侵入しているという証拠を少しは残すがあからさまにそうだという形にしない。全然ちがうのだが、女の子が片思いの男の部屋に忍び込むという設定はこの2つくらいしか知らない。


3.美貌の女性としない設定
この短編集に出てくる女性は美女ではない。「ドライブマイカー」の女性運転手は「彼女はおそらくはどのような見地から見ても、美人とは言えなかった」としている。「独立器官」の主人公が好きになった女性も「彼女より容貌の優れた女性。。。とつき合ったことがあります。でもそんな比較は何の意味も持ちません。なぜなら彼女は私にとって特別な存在なのです。」と言う。ブスではないかもしれないが、美人ではなさそうだ。「木野」でも「美人という範疇に入るか微妙なところだが、髪がまっすぐで長く、鼻が短く、人目を惹く独特の雰囲気があった。」どぎつい謎があった。
これらの言葉にすごく自分は魅かれる。美人でなくても独特の吸引力があるということなのであろう。
1Q84に出てくる主人公と交わりあった中年女性もノルウェーの森で一緒にギターをひいた女性もその系統である。

4.謎をつくる。
「転換点」をむかえた後、その時点からしばらく経ったあとの近未来物語があるという。
それが語られたら面白いなあと思う場面でストーリーは終末を迎える。主人公もシェエラザードが語るであろうストーリーを知りたがっていたのにと思っていた。研修で芥川龍之介「藪の中」を読んで、グループワークで事実を推定せよというのをやったことがある。近未来物語がどうなるのか?想像するとわくわくする。

「ネタばれあり」の別ブログを読むと、この作品についてすごい推理があります。
ネットで検索されることをお勧めします。
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