映画「許されざる者」は2013年公開渡辺謙主演の日本映画
映画「許されざる者」で1992年クリントイーストウッドがアカデミー賞作品賞を受賞した。その作品のリメイクとしてつくられる。今回は舞台を維新後の日本へ移した。元来西部劇で、荒野の中にある小さな町が舞台だ。それを日本に移すとなると当然北海道の広大な荒野が選ばれる。これが実に相性が良かった。天候を選んで撮影したと思われる映像も美しく、夏冬両方の映像を楽しんだ。
以前見たイーストウッド版を基調にはしているが、変更しているところも多く、結末もちがう。
個人的には「何でここまでひねるの?」といった印象を持つがハリウッドのリメイクとしては成功したほうではないだろうか。
明治13年北海道鷲路村の娼婦が顔を切り刻まれる事件が発生した。犯人は旧仙台藩士の2人堀田兄弟(小沢征悦と三浦貴大)だった。些細なことで女郎なつめ(忽那汐里)が笑ったというのが原因だったが、顔を切り刻まれる女郎には客はつかない。使い物にならない状況になった。それでも捕われた堀田兄弟の2人は馬を6棟に差し出すということでの決着となり、大石一蔵警察署長(佐藤浩市)は罪に問わないことにした。それを聞き、年長の娼婦お梶(小池栄子)は怒る。2人を殺してくれたら、娼婦仲間から集めた金で千円の懸賞をだすことにした。
一方その話を聞いた馬場金吾(柄本明)は昔人斬り十兵衛と恐れられた釜田十兵衛(渡辺謙)のところを訪れる。幕末から維新にかけて十兵衛は江戸幕府側について戦っていた。新政府側は彼を追い詰めたが、追う新政府軍の兵士たちを皆殺しにする。
今はアイヌの妻と死別したあと、娘2人と静かに農業をやりながら暮らしている。その腕を知って、鷲路村での賞金首の一件を話して一緒に行こうという。もう刀を握っていない状態だったが、貧困暮らしの彼は後をついていく。争いとは縁のない彼は馬にも乗れないような状態であった。
途中で十兵衛たちは、1人の若者と出会う。アイヌの少年沢田五郎(柳楽優弥)だ。自分も賞金稼ぎに付き合って欲しいと訴える。彼は粋がっている若者を本来は連れて行きたくはなかったが、彼は付いてきた。
一方懸賞金の話を聞いて、長州藩の旧藩士だった男(国村隼)が村にやってくる。しかし、新政府の警察署長率いる警察部隊にコテンパンにやられた。強い武士が返り討ちにあうその姿を見て、2人の首をとるのは難しいと娼婦たちは思った。
3人は村に向かう途中で屯田兵たちに出会う。アイヌを迫害している様子を見て、沢田は反撥するが十兵衛は気を静めようとする。そこでまず堀田兄弟の弟と出会う。いよいよ衝突の場面で弟を討つが、その様子は村に報告されていく。そして村に入っていく
1.北海道との相性
開拓時代の北海道を舞台にするという設定は成功していると思う。アイヌと江戸幕府軍の残党、新政府の役人、屯田兵という面々が争い合うという史実もあり、原作の流れをうまくストーリーに盛り込みやすい。しかも、北海道には他の本州の地にはないすばらしい大自然がある。まさに相性がいいと言えよう。
2.原作と違う点
警察署長と十兵衛が早いうちに対面する。これには驚いた。
原作では終末が近づくまで、クリントイーストウッドとジーンハックマンは出会わない。
新政府の役人である署長は十兵衛の顔を知っていた。それなら当然お仕置きをするわけであるが、立ち直り不可能にするもしくは殺してもいいくらいだ。牢屋に閉じ込めてもいい。近代日本なのだからそう簡単に警察が人を殺したりしないということなのであろうか?そこに疑問を感じる。
3.ラスト
原作は最後にイーストウッドが元の住処に帰る。そこで静かに余生を過ごすのだ。
自分自身はそのほうが良いと思っている。
今回は李監督の思想がかなり盛り込まれていると思う。まったく同じなのは芸がないとばかりに、設定を一部変えたのであろう。でもやりすぎと思しき所も数多くみられる。
4.ロケと撮影
これは絶賛されるべきである。北海道の大自然をふんだんにアングルの中に取り入れる。大自然の中には余計な近代の産物がないので、十兵衛たちの振る舞いは、明治時代と言ってもおかしくないように見える。李監督は「悪人」の時に灯台の使い方など抜群のロケハンティングの能力を発揮していた。ここでもロケハンティングは成功している。ロケは主に上川町と言うが、雪の場面はきつそうだなあ。映像は美しいけど。
5.こんなところに女を買いに来るの?(ツッコミ)
賞金の資金源は女郎の貯めたお金だ。でもここへ女買いに来るのかな?東海道などの街道沿いの主要宿場町にはたいてい女郎屋があった。品川の宿にある娼館は有名だ。でもここってそんなに通る人っているのかしら?まあ開拓地だから土木作業員的な流れ者が来る可能性があるけど、冬場はそんな人たちがいるはずはない。近くにいる屯田兵たちが来たということなのかな?
映画「許されざる者」で1992年クリントイーストウッドがアカデミー賞作品賞を受賞した。その作品のリメイクとしてつくられる。今回は舞台を維新後の日本へ移した。元来西部劇で、荒野の中にある小さな町が舞台だ。それを日本に移すとなると当然北海道の広大な荒野が選ばれる。これが実に相性が良かった。天候を選んで撮影したと思われる映像も美しく、夏冬両方の映像を楽しんだ。
以前見たイーストウッド版を基調にはしているが、変更しているところも多く、結末もちがう。
個人的には「何でここまでひねるの?」といった印象を持つがハリウッドのリメイクとしては成功したほうではないだろうか。
明治13年北海道鷲路村の娼婦が顔を切り刻まれる事件が発生した。犯人は旧仙台藩士の2人堀田兄弟(小沢征悦と三浦貴大)だった。些細なことで女郎なつめ(忽那汐里)が笑ったというのが原因だったが、顔を切り刻まれる女郎には客はつかない。使い物にならない状況になった。それでも捕われた堀田兄弟の2人は馬を6棟に差し出すということでの決着となり、大石一蔵警察署長(佐藤浩市)は罪に問わないことにした。それを聞き、年長の娼婦お梶(小池栄子)は怒る。2人を殺してくれたら、娼婦仲間から集めた金で千円の懸賞をだすことにした。
一方その話を聞いた馬場金吾(柄本明)は昔人斬り十兵衛と恐れられた釜田十兵衛(渡辺謙)のところを訪れる。幕末から維新にかけて十兵衛は江戸幕府側について戦っていた。新政府側は彼を追い詰めたが、追う新政府軍の兵士たちを皆殺しにする。
今はアイヌの妻と死別したあと、娘2人と静かに農業をやりながら暮らしている。その腕を知って、鷲路村での賞金首の一件を話して一緒に行こうという。もう刀を握っていない状態だったが、貧困暮らしの彼は後をついていく。争いとは縁のない彼は馬にも乗れないような状態であった。
途中で十兵衛たちは、1人の若者と出会う。アイヌの少年沢田五郎(柳楽優弥)だ。自分も賞金稼ぎに付き合って欲しいと訴える。彼は粋がっている若者を本来は連れて行きたくはなかったが、彼は付いてきた。
一方懸賞金の話を聞いて、長州藩の旧藩士だった男(国村隼)が村にやってくる。しかし、新政府の警察署長率いる警察部隊にコテンパンにやられた。強い武士が返り討ちにあうその姿を見て、2人の首をとるのは難しいと娼婦たちは思った。
3人は村に向かう途中で屯田兵たちに出会う。アイヌを迫害している様子を見て、沢田は反撥するが十兵衛は気を静めようとする。そこでまず堀田兄弟の弟と出会う。いよいよ衝突の場面で弟を討つが、その様子は村に報告されていく。そして村に入っていく
1.北海道との相性
開拓時代の北海道を舞台にするという設定は成功していると思う。アイヌと江戸幕府軍の残党、新政府の役人、屯田兵という面々が争い合うという史実もあり、原作の流れをうまくストーリーに盛り込みやすい。しかも、北海道には他の本州の地にはないすばらしい大自然がある。まさに相性がいいと言えよう。
2.原作と違う点
警察署長と十兵衛が早いうちに対面する。これには驚いた。
原作では終末が近づくまで、クリントイーストウッドとジーンハックマンは出会わない。
新政府の役人である署長は十兵衛の顔を知っていた。それなら当然お仕置きをするわけであるが、立ち直り不可能にするもしくは殺してもいいくらいだ。牢屋に閉じ込めてもいい。近代日本なのだからそう簡単に警察が人を殺したりしないということなのであろうか?そこに疑問を感じる。
3.ラスト
原作は最後にイーストウッドが元の住処に帰る。そこで静かに余生を過ごすのだ。
自分自身はそのほうが良いと思っている。
今回は李監督の思想がかなり盛り込まれていると思う。まったく同じなのは芸がないとばかりに、設定を一部変えたのであろう。でもやりすぎと思しき所も数多くみられる。
4.ロケと撮影
これは絶賛されるべきである。北海道の大自然をふんだんにアングルの中に取り入れる。大自然の中には余計な近代の産物がないので、十兵衛たちの振る舞いは、明治時代と言ってもおかしくないように見える。李監督は「悪人」の時に灯台の使い方など抜群のロケハンティングの能力を発揮していた。ここでもロケハンティングは成功している。ロケは主に上川町と言うが、雪の場面はきつそうだなあ。映像は美しいけど。
5.こんなところに女を買いに来るの?(ツッコミ)
賞金の資金源は女郎の貯めたお金だ。でもここへ女買いに来るのかな?東海道などの街道沿いの主要宿場町にはたいてい女郎屋があった。品川の宿にある娼館は有名だ。でもここってそんなに通る人っているのかしら?まあ開拓地だから土木作業員的な流れ者が来る可能性があるけど、冬場はそんな人たちがいるはずはない。近くにいる屯田兵たちが来たということなのかな?
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