後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験のいろいろ(28)

2008年01月22日 | 旅行記

◎何故アメリカに骨を埋める日本人がいるのか?

日本人が外国に生活し、その地に骨を埋める決心をする。これにはいろいろ個人的な事情があり一般的な議論は意味が無い。そこである特殊な例として、敗戦後のアメリカのフルブライト留学制度が関係したケースを紹介したいと思う。

オハイオ州コロンバス郊外には、ホンダの工場に納入する部品を製造している会社がいくつもある。その中に、ウエルナーカンパニーという会社があった。社長は佐伯さん。よく遊びに行った工場である。労働者は黒人、アジア系、白人と雑多な人種構成であった。

「なぜいろいろな人種が混じっているのですか?」との質問に、「人種によって得意な分野が違いますね。それで仕事の種類を分けて人種ごとに分担して頼んでいます」と佐伯さん。

「でも、こんなに混じっていたら管理が大変でしょう?」「すべてうまくいくのです。工場の生産目標さえ明快にしておけば、お互いに気を使い合って、結構生産性が上がるのですよ」

佐伯さんには自宅へも招待してもらった。アジア系の奥さんがいるだけで、子供はいない。

「会社の名前がなぜウエルナーなのですか?」「私は1960年代にアメリカに来ました。敗戦諸国の学生をアメリカへ留学させるフルブライト制度のおかげです。苦しい生活のとき、親のように世話をしてくださったのがウエルナー夫妻でした。亡くなったあと、工場と全財産を下さいました。子供がいなかったからです」

「日本には帰らないのですか?」「ウエルナー夫妻は私へ人種の壁を感じさせないで面倒をみてくれました」佐伯さんが続ける、「ウエルナー夫妻は人種差別を超越する生き方を教えてくれました。その恩義を思うと、帰れません」「それで工場では種々の人種構成にしているのですね?」「そうです。そして人種差別を絶対にしないと決めてから、工場の管理が楽になりました」

いろいろな人種で成立しているアメリカの会社の生産性を上げるのは社長の考えかた次第である。「人種差別を絶対にしないという信念とその実行力」が社長にあれば成功する。

アメリカには高給な就職口がある。そんな理由で定住した日本人は大勢いる。しかし、人種差別の処し方を身をもって教えてくれた人への恩義のために、アメリカに骨を埋める決心をした日本人はそう多くはないと思う。

@中国残留した技術者

1980年代末、北京でのこと。日本の新聞には戦争残留孤児が続々と帰って来たというニュースが溢れていた。

筆者を北京へ招待した周教授が庶民向けの北京ダック専門店へ招待してくれた。「ここは観光客が来ないので北京ダックが安くて美味しいですよ」、周教授が観光客の来ない所に案内する時には決まって本音の話が出る。

「日本の新聞には残留孤児帰国の記事が多いそうだが、どう思う?」「大変結構なことではないですか」「それが中国では困るのです。中国人に大切に育てられた日本人の子供は帰る決心がつかないのです。生みの親より育ての親というでしょう。日本に帰れば経済的に助かる。それが分かっていても、名乗らない孤児の方が多いと思いますよ。私の知り合いにも名乗らない人がいます。帰らないで中国に骨を埋める決心をしている残留孤児を中国人は尊敬しています」

日本の新聞はニセの残留孤児も名乗り出たと報ずる。しかし、名乗り出ない残留孤児も多くいることを、なぜ報道しないのだろう。報道のバランスとは両方の事実を報じることではないか。

自分の残留事情を日本の本屋から出版した人もいる。岩波新書の「北京生活三十年」を書いた市川氏である。満州にいた市川氏が残留技術者として北京市へ移り、三十年間、同市重工業部で機械技術の仕事をしてきた体験記である。

市川氏は東北大学の同じ研究室の先輩であったため、M教授から中国で消息不明になった市川さんの安否を調べてくれと頼まれた。1981年のことである。北京へ行った折に中国政府の金属工業省に調査を頼んだ。4、5日して開催された人民大会堂での歓迎会の折、市川氏が現れた。小生は市川氏へM教授が心配していることを伝えた。

「恩師のご恩は忘れたことがありません。しかし、中国に骨を埋めることにしたとお伝えください」と言って、並んでご馳走を食べた。あまり話さず、ニコニコして食べるだけである。

彼は帰ろうと思えばいつでも帰れる立場にあったはずである。そうしなかったのは余人にうかがい知れない事情があったに違いない。これも日本の敗戦が関係して外国に骨を埋めることになった日本人の例である。

(この稿の終わり)

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外国体験のいろいろ(28)の補足

2008年01月22日 | 旅行記

@1960年当時のアメリカの人種差別のすさまじさ!

1960年にオハイオ州へ留学した当時の黒人差別の様子を思いだすと嘘のように思える。公共のバスや汽車にのれば白人は前の席、黒人は後ろの席と決まっていた。居住区も場末は黒人、郊外の住宅街は白人。学校もレストランも違う。私がバスへ乗って後ろの黒人席へ座る。と、白人が来て前の白人席の一番後ろへ座れと言う。街路で黒人へ道を聞こうとすると通りすがりの白人がやめろと注意する。大学には黒人学生が独りも居ない。黒人の英語は変になまっていて独特な言葉である。今回「外国体験のいろいろ(28)」で紹介したウエルナー夫妻と佐伯さんの話はそんな時代の話である。小生がこの話を紹介したのは「アメリカには人種差別が無かった!」と主張するためではない。

「どんな国にも必ず立派な人々が居る!」と主張したいためである。

現実には自分もアメリカやヨーロッパで人種差別をされて不愉快千万な思いをしたこともあった。

そんな折に後でよく考えてみると、自分が相手を差別していたので差別された場合が結構多い。勿論理由など無くて相手の生物的本能で差別されることも多い。そんな目に会わせるのは空港の航空会社のカウンターで、格好良い制服を着て働いている人々に多かった。思慮分別のある人々は露骨な人種差別はしない。

@日本人の人種差別の特徴

日本に住んでいる外国人は他の諸国に比較して圧倒的に少ない。江戸時代からの鎖国思想が無意識のうちに働いて外国人の移住を困難にする法律や習慣が存在する。外国人移住者が増加すると日本の将来へ災いが生まれると感じている。

これは「外国人を忌み嫌うという人種差別」である。日本人という人種以外は絶対に国内に入れたくない。これが日本の人種差別の特徴である。

ドイツに住んでみるとトルコ人、ギリシャ人、ルーマニア人、ブルガリヤ人が多いのに驚く。種々の業種で働いている。イギリスに旅すれば旧植民地のインド人や香港人の多いのに驚く。フランスには旧植民地のアフリカの黒人がいる。

最近、外国人が増えたのも事実であるが、日本人ほど外国人と一緒に働く経験を少なく持っている国は無い。

外国人を差別してもその悪に気が付かない。外人差別で酷い目に会ったアジア人留学生が日本人を恨みながら帰国して行くのを現役のころ職場でよく見てきた。

日本人の人種差別は白人種、黄色人種、黒人種の3種類をこの順序で差別する特徴がある。一緒に住んだり働いたりした経験が極端に少ないので人種を単純にしか理解できない。それだけにこの3種の分け方の厳しさと差別の激しさは他の国々では見られない現象である。日本人はよく「日本には人種差別が無い」と言う。あるいは「アメリカの黒人差別に比較すれば日本は立派なものだ」とも言う。

外国人を差別して日本国の国籍を与えないから外国人が少ないという単純明瞭で強烈な差別を忘れている。

結論を急げば、人種差別はどの国にも、どんな個人にも有る。その強弱を比較し議論するよりも自分個人の人種観を正しくする努力をするほうが良い。

そんなに努力しても自分にも人種差別をしようとする気持ちが時々出る。皆様は人種差別という厄介な問題をどの様にお考えでしょうか?(この項の終わり)