武川の山小屋に泊まると温泉へ行きたくなる。近くの増富鉱泉へ行く。珍しいラジューム温泉だ。聞くと「信玄公の隠し湯」と教えてくれた。戦国時代の壮大なロマンを連想しながら湯船につかる。山小屋へ通いながら武田信玄の隠し湯を全て訪ねてみようと思った。下部、河浦、湯村、積翠寺、西山、橋倉とまわり、これで全てと思っていた。信玄公の隠し湯は山梨県にのみ有ると思っていた。しかしある時、武田信玄の活躍の範囲を調べていたら、隠し湯は長野、神奈川、静岡、岐阜、東京の広範囲にわたっていることが分かった。
特に長野県に多く、松代、蓼科、渋、唐沢、小谷、毒沢、宝の湯などなど。
信玄公の隠し湯の特徴は、湯船が岩造りで、多くは雑木林の尾根に囲まれた谷にある。敵に見つからないような土地にある。しかし湯量は少ないものが多い。合戦の傷を癒したのだろう。温泉や鉱泉の風呂場には「成分は打ち身や傷に効く」と書いてある。
甲府市の西郊の釜無川へ行くと規模雄大な信玄堤が現存している。信玄堤の内側は広大な公園になっている。残雪輝く南アルプスの景色と一体になり当時の武田氏の隆盛がしのばれる。信玄は治山治水に尽力し領民の生活の安定に努力した。
しかしその後、江戸時代の甲斐の国は幕府の直轄領になり、武田一族の歴史的評価は意図的に小さくされた。現在の歴史の教科書もその流れにあり、武田信玄の広範、多岐にわたる功績があまりにも簡略に記述されている。
甲州の空の下で隠し湯につかりながら、学校の歴史教育は地方の歴史をあまり教えていないと思う。明治維新の富国強兵策では地方の歴史をゆっくり顧みる余裕がなかったのであろう。(この稿の終わり)