後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

黄葉した樹々を眺めている、それが老境の幸せ

2018年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム
11月11日に「何も考えずに淡々と生きると幸せになれる」という記事を掲載しました。
その趣旨は次のようなものでした。
人間は自分の不幸の原因を考えて、その原因を取り除けば、幸せになれると考えます。しかしこの考えは決定的に間違っています。
ですから不幸の原因を考えることは無駄なことです。自分が幸福なのか不幸なのかも考えてはいけません。
そんな暇があったら山里の秋の風景写真でも見て、淡々と生きて行くほうが良いのです。
風景写真を見ている間は無欲なのです。ようするに淡々として生きているのです。
流れゆく日々を淡々と生きる。この世に生きることは素晴らしいと感じながら生きるのです。

このような趣旨の記事を掲載しました。幾つかのコメントを頂きました。
この記事のように淡々と生きることは意外に難しいという内容のコメントです。
もっともなコメントです。私も毎日淡々と生きてはいません。この世の煩悩に悩みながら生きています。
しかし若い頃とは決定的に違う生き方を発見したのです。
一日、24時間の中の10分でも20分でも無我の境地になれる方法を発見したのです。
10分や20分は短い時間ですが、その影響は長い時間のこります。深山の木霊のように残るのです。
無我の境地になる方法は幾つかあります。座禅も良いでしょう。仏像へ祈っても良いでしょう。
しかし私の無我の境地になる方法は大きな樹々の姿をじっと眺めていることです。

高い梢を風が静かに渡っていきます。秋の黄葉が秋の陽に輝いています。
樹々の足元の水場には住み着いているカモたちが泳いでいます。
ススキの穂が白くなって黄葉の中に見え隠れしています。
私は車から持ち出した椅子に座ってこのような風景を飽ずに眺めています。

このようにして流れゆく日々を淡々と生きています。
この世に生きることは素晴らしいと感じながら生きています。

昨日、国立市の青柳北緑地で大きな樹々の姿をじっと眺めて、淡々と時間を過ごしてきました。
ここに示す写真は妻が撮りました。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)