後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

初冬の薬草植物園の花と紅葉の風景

2018年11月28日 | 写真
久し振りに都立薬草植物園に行きました。流石に花は菊と鶏頭の花しか咲いていませんでした。その代わりハゼノキなどが美しく紅葉していました。裏の雑木林も華麗な黄葉を見せてくれていました。歩行器を押しながら、ゆっくり散歩して来ました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。













『太陽の季節』、裕次郎、湘南海岸が華やかだった時代

2018年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
湘南海岸には大磯ロングビーチがあり、茅ケ崎にはサザンビーチがあり、葉山にはヨットハーバーがあります。
藤沢の鵠沼にある湘南高校から一ツ橋大学に進学した石原慎太郎が『太陽の季節』で第34回芥川賞をとったのは1956年でした。戦後の無軌道な若者の青春を描いた斬新な小説でした。
この小説で「太陽族」という戦後の無軌道な若者を呼ぶ名前が出来ました。
そして裕次郎が演ずる映画では湘南海岸でのヨットの場面が登場します。
それが切っ掛けになり湘南海岸に「太陽族」のような若者が遊びに行くようになります。
後に加山雄三やサザンオールスターズなどが湘南海岸を賛美する歌唱を発表してます。大磯ロングビーチや茅ケ崎のサザンビーチなどではロックやジャズのコンサートが数多く開催されますます。
こうして湘南海岸は戦後の若者のメッカになったのです。
湘南海岸が華やかだった時代は1960年代から1970年代でした。あれから茫々40年近くたちます。
現在、湘南海岸からは無軌道な太陽族の熱気は消え、子供連れの家族が遊びに行く静かな浜辺になっています。

私は大学時代に慎太郎の「太陽の季節」を読みました。感心しませんでした。若者の奇抜な行動がつぎつぎ出て来ますが文学的ではないのです。あれが何故、芥川賞になったか不思議なので、もう一度選考委員の意見を調べてみました。

以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の季節 からの抜粋です。
『太陽の季節』は受賞作にはなったものの、選考委員の評価は必ずしも高いとは言えず、反倫理的な内容についても評価が分かれました。作品にみなぎる若々しい情熱が評価され激賞される一方で、同時に賛成派からも、文章の稚拙さや誤字があるなど多くの欠点が指摘されたのです。
芥川賞の選評者9名中、賛成派が舟橋聖一、石川達三、井上靖の3名で、しぶしぶ支持派が瀧井孝作、川端康成、中村光夫の3名でした。そして強固な反対派が佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二の3名だったのです。

賛成派の石川達三は、「欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい」、「倫理性について〈美的節度〉について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」とし、「この作者は今後いろいろな駄作を書くかも知れない。私はむしろ大胆に駄作を書くことをすすめたい。傑作を書こうとする意識はこの人の折角の面白い才能を萎縮させるかも知れない」と述べている。

反対派の佐藤春夫は、「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」とし、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。・・・以下省略。

古い人間の私は佐藤春夫の評に全面的に賛成です。
石原慎太郎はその後、政治家として活躍したのは皆様ご存知の通りです。でも私の好きなタイプの政治家ではなかったのです。同じ兄弟でも私は人間的だった裕次郎が好きでした。

こんな記事を書こうと構想を考えた場所は数日前に行った茅ケ崎海岸でした。
茅ケ崎はサザンオールスターズの代表、桑田佳祐の出身地です。彼は茅ヶ崎で数多くのイベントを開催して地域の活性化に大きな貢献をしました。地域の人々が感謝して茅ケ崎海岸を「サザンビーチ」という名称をつけています。
今日の挿し絵代わりの写真は数日前に撮って来た「サザンビーチ」の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)