第二次世界大戦前に生まれた日本人は菊の花のご紋章を見ると暗い記憶を思い出します。菊の花を見ると悲しくなります。
戦争で使われた全ての武器、小銃から軍艦にいたるまで天皇陛下の菊のご紋章が刻印されていたからです。
菊の花を見ると第二次大戦の数多くの悲劇を思い出して暗い悲しい気持になるのです。
しかし菊の花には何の罪もありません。
私は暗い思い出を振り切って純粋に菊の花の美しさを楽しむように心を入れ替えました。
そうして毎年、神代植物公園での菊の品評会を見に行きます。昨日も行きましたら、今年の品評会は終わっていました。そこで2015年11月07日 に諏訪大社上社で撮った菊の花の写真をお送りします。
さて何故、菊の花は天皇陛下のご紋章になったのでしょうか?
皇族の菊のご紋章は1869年(明治2年)の太政官布告をもって決められたそうです。
それ以来、日本軍はすべての国産軍用小銃に菊のご紋章を刻印するようになったのです。
また陸軍の軍旗の旗竿先端や、海軍の軍艦の艦首に金色の菊花紋章がつけられたのです。
そのせいで先の戦争を知っている私のような高齢者は菊の花を見ると悲しくなるのです。
それはそれとして菊の花は何時から日本で大切にされるようになったのでしょうか?
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/菊花紋章 からの抜粋です。
観賞用のキクは奈良時代に中国大陸より伝えられました。
文学上は、『万葉集』には詠まれておらず、『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場します。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「菊の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」があったのです。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用しました。
その後、後深草天皇、亀山天皇、宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋が皇室の紋として定着しました。
江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まりました。
そして明治維新後は、富国強兵のシンボルとして菊のご紋章が広く使用されたのです。
現在の日本人は菊の花を見ても何の先入観もありません。純粋に美しい大輪の花だと楽しく鑑賞します。そして小さい可憐な菊、山辺の野菊にも心惹かれます。
実に良い時代になったものです。今日は老人の繰り言を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
戦争で使われた全ての武器、小銃から軍艦にいたるまで天皇陛下の菊のご紋章が刻印されていたからです。
菊の花を見ると第二次大戦の数多くの悲劇を思い出して暗い悲しい気持になるのです。
しかし菊の花には何の罪もありません。
私は暗い思い出を振り切って純粋に菊の花の美しさを楽しむように心を入れ替えました。
そうして毎年、神代植物公園での菊の品評会を見に行きます。昨日も行きましたら、今年の品評会は終わっていました。そこで2015年11月07日 に諏訪大社上社で撮った菊の花の写真をお送りします。
さて何故、菊の花は天皇陛下のご紋章になったのでしょうか?
皇族の菊のご紋章は1869年(明治2年)の太政官布告をもって決められたそうです。
それ以来、日本軍はすべての国産軍用小銃に菊のご紋章を刻印するようになったのです。
また陸軍の軍旗の旗竿先端や、海軍の軍艦の艦首に金色の菊花紋章がつけられたのです。
そのせいで先の戦争を知っている私のような高齢者は菊の花を見ると悲しくなるのです。
それはそれとして菊の花は何時から日本で大切にされるようになったのでしょうか?
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/菊花紋章 からの抜粋です。
観賞用のキクは奈良時代に中国大陸より伝えられました。
文学上は、『万葉集』には詠まれておらず、『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場します。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「菊の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」があったのです。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用しました。
その後、後深草天皇、亀山天皇、宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋が皇室の紋として定着しました。
江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まりました。
そして明治維新後は、富国強兵のシンボルとして菊のご紋章が広く使用されたのです。
現在の日本人は菊の花を見ても何の先入観もありません。純粋に美しい大輪の花だと楽しく鑑賞します。そして小さい可憐な菊、山辺の野菊にも心惹かれます。
実に良い時代になったものです。今日は老人の繰り言を書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)