カトリック碑文谷教会は、東京都目黒区碑文谷にある東京教区の教会です。
「江戸のサンタ・マリア聖堂」として1954年にサレジオ会によって建立され、その後運営を東京大司教区が受託しました。別の名前のサレジオ教会としても親しまれています。
36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂で、1708年に来日し、小石川切支丹屋敷にて死去した宣教師ジョヴァンニ・シドッティを偲ぶカルロ・ドルチのマリア像「悲しみの聖母」(江戸のサンタ・マリア)の模写が内部に掲げられています。本物の聖画は日本の国宝で、国立博物館に所蔵されています。
鐘はミラノの信者から寄付されたもので、美しい音色を奏でています。
サレジオ修道会は19世紀にイタリアで創設されましたが、現在はイエズス会に次いで世界で2番目に大きな修道会です。
日本には1928年にチマッティ神父等が来て宣教活動を活発に始め、数多くの学校を作りました。
東京都の調布市にはサレジオ神学校を作り、1965年にそこで帰天しました。享年86歳でした。
日本人を愛し、サレジオ会の日本人が第二次大戦で徴兵され、戦死する度に深く嘆き悲しんだのです。
墓はサレジオ神学校の裏手の地下室にあり遺骸も石棺の中に安置されています。(続く)
「江戸のサンタ・マリア聖堂」として1954年にサレジオ会によって建立され、その後運営を東京大司教区が受託しました。別の名前のサレジオ教会としても親しまれています。
36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂で、1708年に来日し、小石川切支丹屋敷にて死去した宣教師ジョヴァンニ・シドッティを偲ぶカルロ・ドルチのマリア像「悲しみの聖母」(江戸のサンタ・マリア)の模写が内部に掲げられています。本物の聖画は日本の国宝で、国立博物館に所蔵されています。
鐘はミラノの信者から寄付されたもので、美しい音色を奏でています。
サレジオ修道会は19世紀にイタリアで創設されましたが、現在はイエズス会に次いで世界で2番目に大きな修道会です。
日本には1928年にチマッティ神父等が来て宣教活動を活発に始め、数多くの学校を作りました。
東京都の調布市にはサレジオ神学校を作り、1965年にそこで帰天しました。享年86歳でした。
日本人を愛し、サレジオ会の日本人が第二次大戦で徴兵され、戦死する度に深く嘆き悲しんだのです。
墓はサレジオ神学校の裏手の地下室にあり遺骸も石棺の中に安置されています。(続く)