後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

近藤勇のお墓と胸像の写真を撮りに行く

2019年02月15日 | 写真
新選組局長の近藤勇のお墓は何カ所かあります。今日は近藤勇の実家が檀家だった三鷹市の大沢の龍源寺にあるお墓と胸像の写真を撮って来ました。そして近藤勇の実家の近所の現在の調布市の西光寺にある坐像の写真も撮って来ました。
近藤勇や土方歳三達は鳥羽・伏見の戦いで敗れ江戸幕府の軍艦に乗って江戸に帰って来ました。
江戸で甲陽鎮撫隊を編成し、薩長土肥軍を甲府で迎え撃つために調布市の西光寺を出発したのです。しかし甲府でも散々に負けて千葉の流山で官軍に出頭し板橋で処刑されます。享年35歳でした。
一方、土方歳三が軍艦で函館に逃れますが函館の街頭で弾に当たって即死します。
土方歳三の墓は出身地の日野市の石田寺にあります。享年34歳でした。

1番目の写真は三鷹市の大沢の龍源寺の本堂です。この本堂の裏に近藤勇の墓があります。

2番目の写真は近藤勇の墓です。勇の墓は右から2番目のです。いつもお供えの品が絶えません。

3番目の写真は龍源寺の門前にある近藤勇の胸像です。

4番目の写真は近藤勇の坐像のある調布市の西光寺です。近藤勇は甲府に向けてここ西光寺から出陣したのです。

5番目の写真は西光寺にある近藤勇の坐像です。
さて近藤勇や土方歳三たちは新しい時代の到来を見抜けなかったと非難出来るかも知れません。
しかし東日本にあった諸藩は箱根の西にあった諸藩のように西洋との接触は無かったのです。そして江戸幕府に忠誠を尽くしたのです。滅びゆくものに忠誠を尽くし死んで行ったのです。同情すべき運命でした。

冬の奥多摩、鳩ノ巣への小さな旅

2019年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
冬の奥多摩は暗く淋しい所です。しかし多摩川の清流がゆったりと流れ山々が連らなっています。山稜の上の枯れた雑木林が冬空に黒いシルエットを作っています。淋しい風景ですが厳しい美しさがあります。
青梅の町を通り過ぎると奥多摩街道が多摩川上流へと上っています。
その道は JR奥多摩線にも沿っています。二俣尾駅から軍畑、沢井、御嶽、川井、古里、鳩ノ巣、そして終点の奥多摩と続いています。
昨日は冬の鳩ノ巣まで小さな旅をしてきました。川合駅の下の多摩川べりに梅の花が咲いていました。
この寒い山里にも間違いなく春が来るのです。昨日撮って来た写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

1番目の写真はJR奥多摩線の軍畑駅の下の多摩川の流れです。

2番目の写真は川井駅の下の国際フィッシングセンター付近の多摩川の風景です。

3番目の写真は奥多摩町、川井の多摩川のそばに咲いていた梅の花です。

4番目の写真は満開になっている梅の木の全体の写真です。

5番目の写真は鳩ノ巣駅の北側の山の斜面にある棚沢の集落に登ってそこから御岳の山を撮った写真です。

6番目の写真は国際フィッシングセンターの近くにあるカフェのGreen Mom の写真です。このテラスの上から美しい多摩川の眺めが楽しめます。

7番目の写真はGreen Momを経営しているご夫婦の写真です。
このカフェの地図やメニューは、Green Mom、https://green-mom.business.site/ に詳しく出ています。
昨日は私は有機栽培のコーヒー、家内はブレンドコーヒーを飲みましたが申し分のない味でした。
このカフェでは酒饅頭も売ってます。お土産に買ってきましたが、上品な和菓子のような味の酒饅頭でした。
カフェから多摩川の流れと山稜の雑木林を見つつ、コーヒーを飲むと実に楽しいのです。悠々とした気分になります。
さて奥多摩一帯はこの奥多摩町と隣の檜原村から出来ています。 檜原村は多摩川の支流の秋川沿いにある村です。
そこの村役場の中にも美味しいコーヒーを出す「せせらぎ」というカフェがあります。このカフェは次の記事で紹介しました。
「山里、檜原村へ銀座のコーヒーを楽しみに行く」、2019年01月12日掲載記事。
・・・ご主人の幡野庄一さんが以前、銀座で喫茶店を経営していた頃と同じ味わいのコーヒーを出しているのです。少し古風なブラジル産のコーヒーを基調にした奥深い味です。・・・
奥多摩には美しい自然があるだけではないのです。美味しいコーヒーもあるのです。それも奥多摩の魅力です。
自由な時間のある老境なので、春になったらまた「鳩ノ巣」行ってみようと思います。
最後に「鳩ノ巣」という地名の由来を書いておきます。
江戸時代、明暦の大火で荒廃した江戸の復興のために奥多摩の木が多数伐採されたそうです。木材は多摩川を流して江戸に運ばれます。
現在の棚沢の渓谷付近には人夫が寝泊まりする飯場小屋がありました。そこの水神社に二羽のハトが巣をつくり、それを村人達が霊鳥として愛護したことからこの地は「鳩ノ巣」と呼ばれる様になったと言われています。この神社は現在でも渓谷内の大きな岩山の上にあります。
「鳩ノ巣」は江戸時代にできた地名だったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)