後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

荒々しい野生の梅の花の風景

2019年02月23日 | 写真
梅は上手に剪定しないと気持ちよく花を楽しむことが出来ません。
それは充分知っていましたが今日見た梅は全く人の手の入っていない野生の梅でした。
その荒々しい野生の咲き方に驚いてしまいました。
稲城市の山の雑木林の写真を撮りに行ったら山の中に咲ていたのです。
考えてみると、この荒々しい野生の梅は本来の梅の姿なのです。
太古の昔から梅はこのような姿で野山に咲いていたのです。
そう考えると今日は貴重なものを見ような嬉しい気分になりました。3枚の写真をお送り致します。





ベートーヴェンの交響曲『田園』の風景を東京の郊外で探す

2019年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム
以前の日本の街々には「田園」という名前の喫茶店が沢山ありました。
静かな店内に入るとベートーヴェンの交響曲、「田園」の美しい旋律が流れています。この1808年作の交響曲には作曲者自身によって『田園』という標題が明記してあったのです。
そんな若い頃の思い出があるので時々、田園風景が無性に見たくなります。
ベートーベンが愛したウイーン郊外の田園風景とは少し違いますが、東京の郊外にも田園風景が広がっている場所があるのです。
その場所は八王子市の多摩川べりの高月町の水田が広がる田園風景です。
昨日撮って来た3枚の写真と夏の写真2枚をお送りいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=DZJHWkk0x7I の交響曲「田園」の旋律を聞きながら写真をお楽しみ下さい。

1番目の写真の奥の山地は後北条氏の滝山城のあった山です。

2番目の写真の左に多摩川がゆったりと流れています。その水で稲が育つのです。

3番目の写真は高月町の山際にある古刹、圓通寺です。圓通寺は、讃海(天暦年間947-956寂)が開山となり創建したといいます。天正19年(1591)徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領しました。近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。

この4番目の写真は、八王子市のHP、「高月町の田園風景」https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/002/003/p003409.html からお借りしました。

この5番目の写真も八王子市のHP、「高月町の田園風景」からお借りしました。
高月町の田園風景は知る人ぞ知る都内最大級の田園風景です。
水に恵まれた高月町の田園は八王子の米の生産地になっております。
春夏秋冬、季節ごとに違った景色が見られるので、私共がよく行く場所です。
なお、高月地区の高月清流米は、道の駅「八王子滝山」の地域物産販売コーナーで売っています。

それはさておき、ベートーヴェンは田園を好み、ウィーンでは郊外を歩き回り、夏には田舎に生活して大自然に親しんだそうです。
彼のスケッチ帳には「森の中で―自分は幸福だ―樹々は語る―汝を通して―おお神よ―なんと素晴らしい……」、「どの樹もみな自分に語るではないか。聖なるかな。聖なるかな。森の中は恍惚たり」などと書き付けてあったそうです。
そんな理由で、第6番は、ベートーヴェンの交響曲の中で唯一、標題が付けられている作品なのです。
さらにまた、5つの各楽章についても次のような標題が付されているのです。
「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
「小川のほとりの情景」
「田舎の人々の楽しい集い」
「雷雨、嵐」
「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち

ベートーヴェンが第6番の5つの楽章にわざわ名前をつけていたのです。それほど彼は田園を強く愛していたのです。深く愛していたのです。
しかしベートーヴェンが眺めていた田園風景は高月町の田園風景とは少し違います。平らな水田風景ではなく牧草地の広がりでした。なだらかな起伏を持つ牧草地にはヒバリが鳴き、あちこちには森が見えます。
私も昔ドイツに住んでいたことがあるのでベートーヴェンが眺めていた田園風景を想像できます。
印象に残っている風景はなだらかな丘に広がる緑の牧草地です。中世の古い水車小屋が7つある田園風景です。
昨日は東京郊外の高月町の田園風景の写真を撮りながらベートーヴェンが眺めていた田園風景を想像していました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)