後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美しい日本の教会の写真(9)木造で1番古いカトリック宮津教会

2019年02月11日 | 写真
京都府の日本海側の宮津市にるカトリック宮津教会は明治29年に建てられました。
国宝の大浦天主堂は明治12年に建てられたので、それに次いで日本で2番目に古い教会になります。
そして現役の木造教会としては日本一古い教会なのです。
ステンドグラスの美しい畳敷きの教会です。信者は入り口で靴を脱いで畳の上を静かに歩きます。
畳敷きの教会も良いものです。少し寛いで自然な気持ちで祈ることが出来のです。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。
出典は、http://pupa.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_f70a.html です。









この教会の歴史です。
1888(明治21)年、パリ外国宣教会のルイ・ルラーブ神父は宮津に居を定めて、宣教を開始しました。ルラーブ神父の当時の受け持ち区域は、若狭(福井県南部)から但馬(兵庫県北部)までに及びました。
1895(明治28)年に、地元の旧家・田井五郎衛門氏から敷地の寄贈を受け、翌年の5月、当時としては珍しいフランス風の構造に木造・畳敷きという和洋折衷のロマネスク式の聖堂「洗者聖ヨハネ天主堂」が竣工され、献堂式が行われました。
1907(明治40)年には、教会敷地内に、現在の京都暁星高等学校の前身である「宮津裁縫伝習所」が設立されました。

1927(昭和2)年の丹後大震災の際には、戸塚文卿神父を中心とするカトリック医療団が救護活動に尽力しました。尚、この戸塚文卿神は私どもの小金井市に桜町病院やヨハネ女子修道会を作った医学博士の神父でした。その延長に現在のカトリック小金井教会があるのです。

 1935(昭和10)年、ルラーブ神父の来日50周年が祝われました。この年、ルラーブ神父の司祭叙階金祝を記念して「宮津暁星幼稚園」の設立が決定され、翌年に同幼稚園が開園されました。
 1941(昭和16)年、56年間日本で宣教活動を続けてきたルラーブ神父が、83歳で帰天されました。
1996(平成8)年5月6日には、献堂100周年の記念ミサが教区長・田中健一司教によってささげられました。
宮津教会は、日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂として、今も現役の教会として祈りがささげられています。

主日のミサ:9:30(7~9月は於・加悦教会)
〒626-0023 京都府宮津市宮本500
TEL:0772-22-3127 FAX:0772-22-3684    (続く)

孤独死は何故起きるのでしょうか?

2019年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者になると独りで住んでいる人々のことを考えるようになります。夫婦の一方が亡くなった人や一生独身だった高齢者と話をする機会が増えてきます。
そのような一人暮らしの人は淋しそうです。やがて孤独のなかで死んで行くのです。
このように書けば反発する人も多いと思います。私は反論しません。しかし上に書いたことは半分本当です。真実です。
そこで今日は孤独死の一つのタイプを書いてみたいと思います。
私の友人だった人に孤独死に憧れ、現在深い山林の中で独り暮らしをしている男がいます。
一生独身でしたので家族と縁が遠いのです。
30年ほど前に山林を買い、その中に家を作り一人で住み始めました。
自分で4輪駆動の車を運転して甲州や信州の旅を楽しんでいました。家の周りにはいろいろな草花を咲かせ、モリアオガエルを育てながら山の生活を満喫していました。
私は何度も彼のところに遊びに行って楽しい時を過ごしました。
シイタケの原木を貰ったり、クリンソウやワスレナグサの鉢植えも貰って来ました。
モリアオガエルの樹上の卵塊も見ました。家の中で飼育中のモリアオガエルの可愛い姿を何度も見ました。私自身の山林の中の小屋から500メートルだけ離れていたのです。
ですから私の小屋の庭でも何度も二人でバーベキューもし一緒にビールを飲みました。
彼は私の山林の中の友人だったのです。
その彼は孤独死に憧れていてその準備が出来て居ると何度も話していました。
その彼も高齢になり自分で車を運転できなくなりました。
途端に買い物と病院通いが出来なくなりました。眼が見えなる病気の治療のために毎月遠方の病院まで通院していたのです。
その時近所の別荘に来ている男が親切にも彼の通院と買い物に車で連れて行ってくれたのです。その上、山林の家の周囲の草刈りまで何度もしてくれたのです。
私は感動して彼の別荘を訪れたこともありました。
そんな親切なボランティアが5年ほど続いたとき別れが突然やって来ました。
山林の中の家の男が愚痴を言い出したのです。非難の対象は通院してる眼科の医者へ対する悪口です。自分の面倒を見ようとしない市役所の福祉課の役人達の悪口を言うのです。
通院に5年間も連れて行った別荘の人は静かに忠告しました。高齢になったら全ての人に感謝したほうが良いのですと言ったのです。しかし聞く耳を持っていません。親切に5年間も助けてくれた別荘の人に反論したのです。見るに見かねた私は別荘の人に味方をしました。そうしたら山林の中の独り暮らしの男は怒り出し絶交を言い出しました。こうして山林の中の独男は孤立無援になりました。彼は何年か後に文字通り孤独死をするでしょう。
後で親切な別荘の人と話し合いました。彼は良いことと信じ助けたつもりでしたが、迷惑だったのでしょう。自分が愚かだったのですと言います。そして淋しく微笑んでいました。

人間の矛盾は深い深い闇です。助けて貰えば心底から感謝します。しかし同時にその親切を余計な干渉だっと考える人もいるのです。そして親切な人を憎むのです。人間の罪の深さです。
よく「高齢者は全ての人へ感謝すべきです」という話を聞きます。しかしこの言葉は「高齢者は全ての人へ単純に感謝だけすべきです。親切を干渉と考えてはいけません」と変えるべきなのです。
いきなり卑近な話で恐縮です。うちの家内は私に四六時中うるさく干渉して来ます。時々うるさいと怒鳴ってしまいます。しかし単純に感謝だけすべきです。親切を干渉と考えてはいけませんと自分へ言って今日の記事の終りとします。

今日の挿し絵代わりの写真は新潟県長岡市旧三島町にお住まいの方のブログからお借りしました。
写真は雪の妙高山をバックに広がる菜の花畑です。(https://blog.goo.ne.jp/kaneko2345/e/a554cd186a15c40f00fafe7cc422a5e8 )

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)