先程、小金井公園で撮って参りました。満開はまだまだ先のようです。これからが楽しみです。
昨日の東京の最高気温は19度でした。4月中旬の快晴の日のようでした。
この暖かさに誘われて湘南の海の写真を撮りに行ってきました。
中央高速道路から圏央道を乗り継いで茅ケ崎海岸に出ます。そこまで1時間半のドライブです。
茅ケ崎海岸から湘南道路で大磯の海に出ました。浜辺で遊ぶ人の写真を撮り、大磯漁港で持参の昼食を摂りました。
大磯から西湘バイパスに入り、陽光に輝く海を見ながら二宮、国府津、小田原へと走ります。
あまり気分爽快なので箱根の湯本温泉まで行ってしまいました。帰路は小田原ー厚木道路で圏央道に戻って来ました。
大磯の海岸の写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
海の風景を見ながら考えました。
人間は老境になると、いろいろな言葉の深い意味が初めて理解出来るようになります。思い付くままに列挙します。
(1)「邯鄲の夢」とは自分の一生のことと実感出来る。
以下の言葉の来歴は若い頃から知っていましたが、その意味が実感できたのは80歳になってからです。
多くの恩人が次々と居なくなって行くのを見て実感するのです。
・・・邯鄲の夢は、唐の沈既済の小説『枕中記』の故事の一つです。
趙の時代に「盧生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士に出会い、僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣にするに至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮上がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰っていった。・・・・
「邯鄲の夢」とは人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られています。 しかし若い頃の私はこの言葉の意味は理解出来なかったのです。現在は深く実感しています。
(2)無為に日々を送る楽しさが理解出来ようになる。
若い頃から無為に日々を送っては不幸です。しかし70歳まで熱心に働い後は無為に日々を送るほうが楽しいのです。人にもよりますが、70歳以上の老人がしゃしゃり出ては若い人の迷惑になるのです。
こんな簡単なことが実感的に理解出来るようになるには老境にいたる必要があるのです。
昔は無為に日々を送り歳を取ることを「馬齢を重ねる」と言いましたが、最近は馬に失礼なので言わなくなりました。
しかしこの言葉の深い意味は老人と賢い馬は同じように幸せだという意味なのかも知れません。少なくとも私はそのように理解しています。
(3)老境になると全ての事に感謝出来るようになる。
これは若い頃さっぱり理解出来ませんでした。
しかし現在は朝起きて太陽が輝いていると青い空に自然と感謝します。
元気に朝食を食べている妻に感謝します。妻が生きていることに感謝します。
そして外で会う全ての人に感謝します。
自分が生まれたことに連なる全ての先祖の自然な気持ちで感謝します。
私がこのようになったのは70歳を過ぎてからでしょうか。
以前は自分の為に何かしてくれた人にだけ感謝していました。
しかし老境になると無差別に全ての事に感謝するようになります。そうすると幸福感も自然に湧いてくるのです。このような状態は老境になって初めて理解出来たことです。
(4)老境になると仏教やキリスト教の教えの深さが少し理解出来るようになります。
この項目は書き出すと長くなるので改めて別稿で書いてみたいと思います。今日はここで終わりとします。
人間は老境になると、いろいろな言葉の深い意味が初めて理解出来るようになるのですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この暖かさに誘われて湘南の海の写真を撮りに行ってきました。
中央高速道路から圏央道を乗り継いで茅ケ崎海岸に出ます。そこまで1時間半のドライブです。
茅ケ崎海岸から湘南道路で大磯の海に出ました。浜辺で遊ぶ人の写真を撮り、大磯漁港で持参の昼食を摂りました。
大磯から西湘バイパスに入り、陽光に輝く海を見ながら二宮、国府津、小田原へと走ります。
あまり気分爽快なので箱根の湯本温泉まで行ってしまいました。帰路は小田原ー厚木道路で圏央道に戻って来ました。
大磯の海岸の写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
海の風景を見ながら考えました。
人間は老境になると、いろいろな言葉の深い意味が初めて理解出来るようになります。思い付くままに列挙します。
(1)「邯鄲の夢」とは自分の一生のことと実感出来る。
以下の言葉の来歴は若い頃から知っていましたが、その意味が実感できたのは80歳になってからです。
多くの恩人が次々と居なくなって行くのを見て実感するのです。
・・・邯鄲の夢は、唐の沈既済の小説『枕中記』の故事の一つです。
趙の時代に「盧生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士に出会い、僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣にするに至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮上がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰っていった。・・・・
「邯鄲の夢」とは人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られています。 しかし若い頃の私はこの言葉の意味は理解出来なかったのです。現在は深く実感しています。
(2)無為に日々を送る楽しさが理解出来ようになる。
若い頃から無為に日々を送っては不幸です。しかし70歳まで熱心に働い後は無為に日々を送るほうが楽しいのです。人にもよりますが、70歳以上の老人がしゃしゃり出ては若い人の迷惑になるのです。
こんな簡単なことが実感的に理解出来るようになるには老境にいたる必要があるのです。
昔は無為に日々を送り歳を取ることを「馬齢を重ねる」と言いましたが、最近は馬に失礼なので言わなくなりました。
しかしこの言葉の深い意味は老人と賢い馬は同じように幸せだという意味なのかも知れません。少なくとも私はそのように理解しています。
(3)老境になると全ての事に感謝出来るようになる。
これは若い頃さっぱり理解出来ませんでした。
しかし現在は朝起きて太陽が輝いていると青い空に自然と感謝します。
元気に朝食を食べている妻に感謝します。妻が生きていることに感謝します。
そして外で会う全ての人に感謝します。
自分が生まれたことに連なる全ての先祖の自然な気持ちで感謝します。
私がこのようになったのは70歳を過ぎてからでしょうか。
以前は自分の為に何かしてくれた人にだけ感謝していました。
しかし老境になると無差別に全ての事に感謝するようになります。そうすると幸福感も自然に湧いてくるのです。このような状態は老境になって初めて理解出来たことです。
(4)老境になると仏教やキリスト教の教えの深さが少し理解出来るようになります。
この項目は書き出すと長くなるので改めて別稿で書いてみたいと思います。今日はここで終わりとします。
人間は老境になると、いろいろな言葉の深い意味が初めて理解出来るようになるのですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)