ドナルド・キーン氏はアメリカ軍の為に日本人捕虜の取り調べをしていました。
戦前生まれの軍国少年だった私はそんなドナルド・キーン氏を好きではありませんでした。
その後日本に来て源氏物語をはじめ、近松門左衛門、松尾芭蕉、三島由紀夫など古典から現代文学まで幅広く、日本文学を外国へ紹介します。英語版の万葉集も編纂しました。
しかし源氏物語も読んだことも無い私にとっては無縁の人でした。
昨日、96歳で亡くなりました。
日本の文化勲章など数々の輝かしい賞を貰った偉大な文学者でした。
文芸春秋などで何度かドナルド・キーン氏に関する記事は読んだことはあります。
すると彼の人生は何故か淋し気でした。偉大な功績の割には家族運の悪い人が居るものです。
その事が気なっていましたたので彼の家族関係について調べてみました。ドナルド・キーンさんは生涯独身で結婚歴はなかったそうです。
新聞記事によると喪主は”養子”であるキーン誠己さんが務めますとありました。
調べてみると誠己さんは浄瑠璃奏者だそうです。
誠己さんの言葉を読んで、私は嗚呼、キーンさんの晩年は本当に幸せだったと確信しました。
誠己さんの話を、http://diary.ponkichi01.com/?p=6494 から抜粋します。
・・・「2006年11月です。キーン先生の対談が東京であると聞き、アポイント無しで楽屋を訪ねました。
私からすれば、古典芸能に詳しい大先生。しかも全くの初対面です。
無謀にも指導をお願いすると、大英博物館に越後国柏崎を舞台にした古浄瑠璃の床本が残っていることを教えてもらいました。
早速、新潟の仲間と浄瑠璃の一座を旗揚げし、2009年に300年ぶりの復活公演を果たしました。
ここから交流が深まりました」
・・・
「養子縁組の前から、身の回りの世話や秘書業務をしていたので、違和感はありません。
毎日3度の食事を私が作り、夕方には一緒に買い物に出かけます。
地元の商店街では人気者で、父もお店の人との会話を楽しんでいます。
独身を通してきたせいか意外に寂しがり屋で、ずっと家庭的な生活に憧れていたようです」
・・・
「6月にロンドンでの公演を控えているので、今は自宅で稽古をしてますが、父に聞くとさすがに博識で何でも教えてくれます。私にとってはいまだに大先生です。血縁関係はなくても、それ以上の存在です」・・・
養子縁組の話は、2011年夏頃、キーンさんの方から申し出たとのことです。3.11東日本大震災の後ですね。
そして、2012年3月に正式に養子縁組が成立しました。上原誠己(せいき)さんは、「キーン誠己(せいき)」という名前になったわけです。
その後は、東京都内で二人暮らしをしてきたようです。
上原誠己(せいき)さんは、新潟市西蒲区出身の浄瑠璃三味線の奏者です。
この誠己さんは父の一生は幸せだっと次のように語っています。
「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」
ただただキーン・ドナルドさんのご冥福をお祈りします。
梅の花の写真2枚を供えしてご冥福をお祈りします。
尚3枚目の写真は文学が好きな家内の蔵書、ドナルド・キーン著「日本文学の歴史」(全18巻)です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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戦前生まれの軍国少年だった私はそんなドナルド・キーン氏を好きではありませんでした。
その後日本に来て源氏物語をはじめ、近松門左衛門、松尾芭蕉、三島由紀夫など古典から現代文学まで幅広く、日本文学を外国へ紹介します。英語版の万葉集も編纂しました。
しかし源氏物語も読んだことも無い私にとっては無縁の人でした。
昨日、96歳で亡くなりました。
日本の文化勲章など数々の輝かしい賞を貰った偉大な文学者でした。
文芸春秋などで何度かドナルド・キーン氏に関する記事は読んだことはあります。
すると彼の人生は何故か淋し気でした。偉大な功績の割には家族運の悪い人が居るものです。
その事が気なっていましたたので彼の家族関係について調べてみました。ドナルド・キーンさんは生涯独身で結婚歴はなかったそうです。
新聞記事によると喪主は”養子”であるキーン誠己さんが務めますとありました。
調べてみると誠己さんは浄瑠璃奏者だそうです。
誠己さんの言葉を読んで、私は嗚呼、キーンさんの晩年は本当に幸せだったと確信しました。
誠己さんの話を、http://diary.ponkichi01.com/?p=6494 から抜粋します。
・・・「2006年11月です。キーン先生の対談が東京であると聞き、アポイント無しで楽屋を訪ねました。
私からすれば、古典芸能に詳しい大先生。しかも全くの初対面です。
無謀にも指導をお願いすると、大英博物館に越後国柏崎を舞台にした古浄瑠璃の床本が残っていることを教えてもらいました。
早速、新潟の仲間と浄瑠璃の一座を旗揚げし、2009年に300年ぶりの復活公演を果たしました。
ここから交流が深まりました」
・・・
「養子縁組の前から、身の回りの世話や秘書業務をしていたので、違和感はありません。
毎日3度の食事を私が作り、夕方には一緒に買い物に出かけます。
地元の商店街では人気者で、父もお店の人との会話を楽しんでいます。
独身を通してきたせいか意外に寂しがり屋で、ずっと家庭的な生活に憧れていたようです」
・・・
「6月にロンドンでの公演を控えているので、今は自宅で稽古をしてますが、父に聞くとさすがに博識で何でも教えてくれます。私にとってはいまだに大先生です。血縁関係はなくても、それ以上の存在です」・・・
養子縁組の話は、2011年夏頃、キーンさんの方から申し出たとのことです。3.11東日本大震災の後ですね。
そして、2012年3月に正式に養子縁組が成立しました。上原誠己(せいき)さんは、「キーン誠己(せいき)」という名前になったわけです。
その後は、東京都内で二人暮らしをしてきたようです。
上原誠己(せいき)さんは、新潟市西蒲区出身の浄瑠璃三味線の奏者です。
この誠己さんは父の一生は幸せだっと次のように語っています。
「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」
ただただキーン・ドナルドさんのご冥福をお祈りします。
梅の花の写真2枚を供えしてご冥福をお祈りします。
尚3枚目の写真は文学が好きな家内の蔵書、ドナルド・キーン著「日本文学の歴史」(全18巻)です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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