後藤和弘のブログ

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立ち読み書評、渡辺京二著「バテレンの世紀」、新潮社

2019年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム
立ち読み書評とは本屋さんで立ち読みしているように本のあちこちを飛ばし読みしてその本の書評を書いたという意味です。お気軽にお読み下さい。
さて「バテレンの世紀」とは1543年の鉄砲伝来から1639年の鎖国令の完成までの約一世紀を意味します。
ポルトガルやスベインのバテレンと呼ばれていた神父達が日本国内で宣教に活動していたのです。その宣教活動と並行してポルトガルやスベインの大型帆船が往来し貿易の富をもたらしていた時代でした。
日本の権力者はこの貿易の利潤を守るために神父達を保護し宣教活動に協力していたのです。中には本物のカトリック信者になる領主も何人か出て来ました。後述する大村純忠もその一人です。
渡辺京二氏の「バテレンの世紀」は貿易の利潤がこの時代の歴史を作ったという経済的な要因を重視した本です。
この時代に関する従来の本はバテレン達の宣教の情熱と日本人の信仰を主題にした宗教に偏ったものが多かったのです。
しかしこの「バテレンの世紀」の特徴は貿易の利潤を重視した歴史書なのです。
凡庸な歴史書ではありません。この時代の文献を詳細に考察し比較、検討し客観的に書いた力作なのです。
渡辺京二氏は知の巨人です。優れた文献考証に裏打ちされた歴史学者です。あまりにも感動しましたので立ち読みでも急いで皆様へお薦めしたくなったのです。
まずこの本の内容を簡単にご紹介します。
内容は次のような題の27の章から成り立っています。
第1章 ファースト・コンタクト
第2章 ポルトガル、アフリカへ
第3章 インド洋の制覇
第4章 日本発見
第5章 ザビエルからトルレスへ
第6章 ヴィレラ、都で苦闘す
第7章 平戸から長崎へ
第8章 信長、バテレンを庇護す
第9章 豊後キリシタン王国の夢
第10章 ヴァリニャーノ入京
以下省略しますが全部で27章あります。

この各章はさらに小分けにして月刊誌の「選択」の2006年4月号から10年間にわたって連載されたのです。
本の総ページ数は478ページという膨大なものです。
膨大なのは渡辺京二氏が数多くの文献を徹底的に検討し詳細かつ精確な歴史を詳しく書いているからです。
膨大な内容の本ですが、元来、連載記事として書いたものなので何処から読んでも話が完結していて面白いのです。
自分の興味のある部分だけを拾い読みしても感動するのです。記述が客観的なので説得力があります。納得します。
例えば大村純忠が長崎をイエズス会へ寄進し、長崎がマカオのような植民地になった経緯が実に明快に説明してくれています。この本の158ページから161ページにわたる記述です。この詳しい経緯を要約すると次のようになります。
(1)1575年、天正4年、九州の戦国大名、竜造寺隆信が大村純忠領に侵入します。
大村純忠は竜造寺隆信に服従するという起請文を送り隆信の家臣になります。
(2)大村純忠は長崎港から上がる莫大な停泊料と長崎藩の年貢を隆信から守るためにイエズス会に寄進することを申し出るのです。
純忠は長崎から得られる収入は早晩、隆信に取り上げられると考え、1578年にイエズス会へ寄進する事を申し出たのです。そして自分への収入は契約に従ってイエズス会から貰うとしたのです。
(3)イエズス会のヴァリアーノは逡巡しますが結局1580年にこの申し出を受け入れます。
逡巡した理由が面白いのですが割愛します。
(4)長崎藩は1580年から1587年、天正15年までイエズス会に領有された植民地でした。
(5)長崎藩を寄進したもう一つの理由は純忠と家臣の長崎甚左衛門が神父たちからの多額の借金があったからです。

以上のように長崎藩の寄進は純忠や家臣の長崎甚左衛門たちを取り囲む経済的事情にあったのです。
そして渡辺京二氏は以上の歴史はヴァリアーノがローマに送った書簡の内容にもとずくもので、日本側の文献は一切残っていないと冷徹な指摘をしています。ヴァリアーノは宣教の成果を誇大に書き送った可能性があるのです。これは正しい指摘です。
しかし渡辺京二氏は大村純忠の篤い信仰心が長崎藩の寄進のもう一つの原因だったとは記述していないのです。つまり片手落ちなのです。
永禄6年(1563年)、純忠は家臣とともにトーレス神父から洗礼を受け、領民にもキリスト教信仰を奨励しました。その結果、大村領内ではキリスト者数は6万人を越え、日本全国の信者の約半数が大村領内にいたのです。
純忠は1587年(天正15年)坂口の居館において死去しました。

人間の行動には経済的動機だけでなく宗教やイデオロギーによる動機も重なっているのが多いのです。その意味で知の巨人、渡辺京二氏の史観がいさささか経済だけに偏り過ぎているような点が気になります。

今日の挿し絵代わりの写真は以前の五島列島で撮って来た5つの教会の写真です。いずれも明治期以後に出来た新しい教会ですが「バテレンの世紀」にその種が播かれた事実も忘れない方が良いと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は井持浦天主堂です。

2番目の写真は堂崎天主堂です。

3番目の写真は青砂ケ浦天主堂です。

4番目の写真は頭ケ島天主堂です。

5番目の写真は中ノ浦天主堂です。