世の中には徒手空拳で偉くなった人が沢山います。今日、総理大臣になる菅 義偉さんもそうです。
農家に生まれ、大学への入学金や学費や生活費は自分で働いて得ました。菅 義偉さんは派閥も作らず総理大臣になるのです。私はこのように徒手空拳で偉くなる人が好きです。尊敬します。
そこで今日は菅 義偉さんの育ちと経歴をご紹介したいと思います。
菅 義偉さんは1948年〈昭和23年〉に生まれました。秋田県の湯沢市郊外のイチゴ農家の長男として生まれるたのです。家族は父、母、姉2人、弟1人でした。父の菅和三郎氏は満鉄職員として通化市で日本の降伏を迎えます。引き揚げ郷里の秋ノ宮で農業をします。
長男の義偉(よしひで)さんは戦後生まれで雄勝町立秋ノ宮小学校、秋ノ宮中学校を経て秋田県立湯沢高等学校を卒業しました。高校へは2時間かけて通学しました
父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後に何のつても無い東京へ行きます。「東京へ行けば何かが変わる」という夢だけが道づれでした。
板橋区の段ボール工場で働きましたが、その労働の厳しさで2ヶ月で工場を辞めます。
その後は大学進学を志し、朝は築地市場、夜は新宿の飲食店でアルバイトをして生活し学費を貯めます。そして上京から2年後に「授業料が最も安かった」という理由で法政大学法学部政治学科へ入学しました。
1973年に大学を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社します。
ところが1975年に政治家になる決心をします。そして法政大学の縁で衆議院議員小此木彦三郎の秘書となったのです。以後11年にわたり秘書を務めたのです。
1987年に横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選します。その後市議を2期務めたのです。横浜市政に大きな影響力を持ち、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなどして「影の横浜市長」と呼ばれたそうです。この横浜市での活躍が今日の総理大臣指名の礎になったのです。
この頃から菅 義偉さんの政治家としての非凡な才能が輝き出したのです。
中央政界は菅 義偉さんの活躍を見逃しませんでした。中央政界では自由民主党所属の衆議院議員の8期で、自由民主党総裁(第26代)になったのです。
皆様ご承知のように菅 義偉さんは次のような要職を歴任したのです。
総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自民党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任したのです。
今日の記事は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89 を参考にいたしました。
私は派閥も作らず徒手空拳で総理大臣になる菅 義偉さんが好きです。尊敬しています。今後はコロナ問題と経済問題に力強く取り組むと期待しています。それにしてもトランプ大統領とは相性が合うのでしょうか?
皆様は菅 義偉さんをどのように評価されていらっしゃいますか?
今日の挿絵代わりの写真は甲斐駒岳の麓で撮ったコスモスの花です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)