最近しきりに考えています。日本民族とは一体どういう民族なのでしょうか?他の民族と比較するとどんな特徴があるのでしょうか?
そんなことを考えているので、「日本民族とは?」と題する連載記事を書きたいと思います。
世界にいる民族はみな自然を愛しています。日本人だけが愛しているわけではありませんが日本人の愛し方は少し違っているように思われます。気候や風土も違うように愛し方も違います。自然と一体化して馴染んでいるのです。
日本の自然は四季折々美しい姿を見せてくれます。そしてその山野には可憐な花々が季節のうつろいとともに次々と咲いてくれます。早春の梅の花に始まり、絢爛な櫻花、そして梅雨時になればアヤメやアジサイが野山を飾ります。
そんな花々や美しい自然の風景を日本民族は昔から愛してきたのです。
万葉集には自然の美ししさや花々の華麗な姿を歌った和歌が沢山あります。
「春の野に すみれつみにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜ねにけり」 山部赤人
さて自然の風景と言ってもいろいろです。
春霞にかすんだ田園風景、梅雨雲が中腹にかかった山々の遠景、長閑な春の海などなどいろいろな景観が楽しめるのです。そしてそれらの風景が季節の流れにともなってまた別な美しさを見せてくれるのです。それが日本の気候や風土なのです。
暑い夏が過ぎれば、秋が喨々と空に鳴るのです。その空に魂が吸われます。山々の紅葉にも心が奪われます。
静かな山の湖の碧さとそれを縁取る紅葉した木々の様子も息を止めて眺めてしまいます。高原の湖も良いものですが、豪快な滝の風景も良いものです。
ここで2015年の11月14日に撮った茨城県の袋田の滝の写真を示します。
冒頭にも書きましたが、自然の風景や花々を愛するのは日本民族にかぎったことではありません。
しかし緑豊かな山々に囲まれ、花々が溢れるように咲いている国はそんなに多くはないのです。
その上、緑に覆われた列島は美しい海にかこまれているのです。
それは幸運なことです。日本民族はその美しい風景に魂を吸いとられ、一層強く自然を愛し、崇敬していると思います。
その一つの証左が小堀遠州が作った庭です。小堀遠州流派の庭です。
その庭には自然の風景が凝縮して再現されているのです。小さな池が石の置き方で大きな海に見えるのです。巧妙に作った小さな滝が雄大な滝を連想させるのです。大自然が家の前に持ち込んであるのです。
その上、人によっては、そんな庭を前にして静かに坐っていると日本文化の特徴の「わび」や「さび」を感じるのです。小堀遠州流派の庭にはそのような連想をさせる庭園があります。
自然の風景を愛して、それを庭に写すという独特さがあるのです。そして庭には日本文化の精神性も込められているのです。
ひるがえって西洋の庭を比較して見ると、自然と精神文化を凝縮した日本の庭の特徴が明瞭に理解されます。
西洋の庭は草木を幾何学の形に刈込ます。庭全体を対称美で飾ろうとしています。
ベルサイユ宮殿の広大な庭を思い出して下さい。美しい池や樹木がありますが、全て左右対称的に配置されています。自然を人間が屈服させて「美」に作り上げているのです。嗚呼、これが合理的な西洋文化だと感銘を受けます。
しかし日本の庭は自然そのままなのです。人と自然が穏やかに融合しているのです。
日本民族は自然の風景や花々をそのまま見て楽しみます。その上自然の美しい風景を庭に凝縮して愛する民族だと思います。そして庭には日本文化の特徴の「わび」や「さび」の精神性も込められているのです。
これが日本民族の自然の愛し方の特徴ではないでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
そんなことを考えているので、「日本民族とは?」と題する連載記事を書きたいと思います。
世界にいる民族はみな自然を愛しています。日本人だけが愛しているわけではありませんが日本人の愛し方は少し違っているように思われます。気候や風土も違うように愛し方も違います。自然と一体化して馴染んでいるのです。
日本の自然は四季折々美しい姿を見せてくれます。そしてその山野には可憐な花々が季節のうつろいとともに次々と咲いてくれます。早春の梅の花に始まり、絢爛な櫻花、そして梅雨時になればアヤメやアジサイが野山を飾ります。
そんな花々や美しい自然の風景を日本民族は昔から愛してきたのです。
万葉集には自然の美ししさや花々の華麗な姿を歌った和歌が沢山あります。
「春の野に すみれつみにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜ねにけり」 山部赤人
さて自然の風景と言ってもいろいろです。
春霞にかすんだ田園風景、梅雨雲が中腹にかかった山々の遠景、長閑な春の海などなどいろいろな景観が楽しめるのです。そしてそれらの風景が季節の流れにともなってまた別な美しさを見せてくれるのです。それが日本の気候や風土なのです。
暑い夏が過ぎれば、秋が喨々と空に鳴るのです。その空に魂が吸われます。山々の紅葉にも心が奪われます。
静かな山の湖の碧さとそれを縁取る紅葉した木々の様子も息を止めて眺めてしまいます。高原の湖も良いものですが、豪快な滝の風景も良いものです。
ここで2015年の11月14日に撮った茨城県の袋田の滝の写真を示します。
冒頭にも書きましたが、自然の風景や花々を愛するのは日本民族にかぎったことではありません。
しかし緑豊かな山々に囲まれ、花々が溢れるように咲いている国はそんなに多くはないのです。
その上、緑に覆われた列島は美しい海にかこまれているのです。
それは幸運なことです。日本民族はその美しい風景に魂を吸いとられ、一層強く自然を愛し、崇敬していると思います。
その一つの証左が小堀遠州が作った庭です。小堀遠州流派の庭です。
その庭には自然の風景が凝縮して再現されているのです。小さな池が石の置き方で大きな海に見えるのです。巧妙に作った小さな滝が雄大な滝を連想させるのです。大自然が家の前に持ち込んであるのです。
その上、人によっては、そんな庭を前にして静かに坐っていると日本文化の特徴の「わび」や「さび」を感じるのです。小堀遠州流派の庭にはそのような連想をさせる庭園があります。
自然の風景を愛して、それを庭に写すという独特さがあるのです。そして庭には日本文化の精神性も込められているのです。
ひるがえって西洋の庭を比較して見ると、自然と精神文化を凝縮した日本の庭の特徴が明瞭に理解されます。
西洋の庭は草木を幾何学の形に刈込ます。庭全体を対称美で飾ろうとしています。
ベルサイユ宮殿の広大な庭を思い出して下さい。美しい池や樹木がありますが、全て左右対称的に配置されています。自然を人間が屈服させて「美」に作り上げているのです。嗚呼、これが合理的な西洋文化だと感銘を受けます。
しかし日本の庭は自然そのままなのです。人と自然が穏やかに融合しているのです。
日本民族は自然の風景や花々をそのまま見て楽しみます。その上自然の美しい風景を庭に凝縮して愛する民族だと思います。そして庭には日本文化の特徴の「わび」や「さび」の精神性も込められているのです。
これが日本民族の自然の愛し方の特徴ではないでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)