2020年09月02日 に「芸術の秋(2)西洋のバロック絵画を楽しもう」という記事で中世の暗い宗教画、ルネサンス期の明るい均整のとれた絵画の後に流行ったバロック絵画をご紹介しました。今日は後期印象派のフィンセント・ファン・ゴッホの油彩画を11点お送り致します。しかしゴッホは印象派とは別の独創的な画家というのが適切ではないでしょうか。
それはさておき、ゴッホの油彩画で生前に売れたのは「赤い葡萄畑」という一枚だけでした。
1番目の写真は「赤い葡萄畑」です。「赤い葡萄畑」は1888年11月に描かれた絵画です。フランス・アルルの葡萄畑で夕方に人々が農作業をする様子を描いた作品です。 この作品は、ゴッホが死去する5ヶ月前の1890年2月にベルギーのブリュッセルで行われた展覧会「20人会展」に出品され、ゴッホのアルル時代の友人でもあったベルギーの詩人のウジェーヌ・ボックの姉で女流画家のアンナ・ボックによって400フランで購入されました。
結果的に、この作品はゴッホの生前に売れた唯一の作品となったのです。 現在はモスクワのプーシキン美術館蔵です。
ゴッホ(Vincent van Gogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動した画家です。37歳で夭折した天才でした。
ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のことです。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年、28歳の時にに実家の自宅に画室を作ったのです。それまでは職を転々としていたのでした。
ですからゴッホの画家としての活動はたった約10年間と短いものでした。その10年間で描いた油彩は900点であると言われています。
しかし生前に売れた絵はたった1枚だったので生活費は弟のテオドールが出しました。
現在でこそ極めて高い評価を得ていますが、不遇の生涯を送ったのです。そして現在有名な傑作は晩年の2年半に集中しているのです。
2番目の写真は1885年の「馬鈴薯を食べる人々」です。この油彩画はかれの初期の作品で、1885に描かれました。それはキリスト者として貧しい生活の人々に寄り添った絵画でした。
しかしこの画風は続きませんでした。1886年に、ゴッホはパリの弟テオのところに同居します。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどの作品を目の当たりにしたのです。
華やかな印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に活き活きした色彩へと変貌したのです。
3番目以降の作品の印象派らしい明るい作風へ大きく変化したのです。
3番目の写真は1887年の「春の釣り」です。
4番目の写真は1888年の「ひまわり15本」です。
5番目の写真は1888年の「ローヌ河の星月夜」です。
6番目の写真は1888年の「夜のカフェテラス」です。
7番目の写真は1888年の「黄色い家」です。
8番目の写真は1888年の「アルルの跳ね橋」です。
9番目の写真は1889年の「星月夜」です。
10番目の写真は1888年の「ファン・ゴッホの寝室」です。
11番目の写真は1890年の「麦畑」です。
ゴッホの絵画については解説は不要です。見れば何故か心が揺さぶられるのです。
解説ではなく一つだけ私の体験的な感動を書かせて下さい。
それは中年の頃、アメリカの中西部のある町で研究の仕事をしていた時のことです。そこの市立美術館にゴッホの絵が2枚だけあったのです。
仕事に行きづまり、落ち込んでだことが何度かありました。そのたびにゴッホの絵を見に行ったのです。感動しました。胸が熱くなります。勇気が湧いてきます。また研究に対する情熱が燃えたのです。
ゴッホの傑作は何点も以前にフランスの美術館で見ていました。アメリカのその町の市立美術館の2点は決して良い出来ではありませんでした。しかしその筆使いと部分的な色彩が、以前に見た感動的な作品を瞬時に眼前に再現してくれるのです。
絵画から勇気を貰い研究に対する情熱を貰った経験は生涯一度だけでした。
マネーもモネーもルノアールも美しい絵を残しました。シスレーもセザンヌの絵画も感動的です。
しかしゴッホの絵から受けた魂を揺さぶるような影響はありません。ゴッホの絵は私の体を振り動かしたのです。
そして生きていることへの歓喜を与えてくれます。ふたたび仕事へ対する情熱に火をつけてくれたのです。
現在84歳になった私は仕事を止めて久しいのです。もう仕事のことはすっかり忘れました。しかしゴッホの絵から貰った歓喜と情熱を今でも憶えています。
今朝、彼の絵を沢山見ながら自分の好き11点を選びました。それは実に楽しい仕事でした。こころよい静かな時間がゆっくり流れて朝が過ぎ行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
それはさておき、ゴッホの油彩画で生前に売れたのは「赤い葡萄畑」という一枚だけでした。
1番目の写真は「赤い葡萄畑」です。「赤い葡萄畑」は1888年11月に描かれた絵画です。フランス・アルルの葡萄畑で夕方に人々が農作業をする様子を描いた作品です。 この作品は、ゴッホが死去する5ヶ月前の1890年2月にベルギーのブリュッセルで行われた展覧会「20人会展」に出品され、ゴッホのアルル時代の友人でもあったベルギーの詩人のウジェーヌ・ボックの姉で女流画家のアンナ・ボックによって400フランで購入されました。
結果的に、この作品はゴッホの生前に売れた唯一の作品となったのです。 現在はモスクワのプーシキン美術館蔵です。
ゴッホ(Vincent van Gogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動した画家です。37歳で夭折した天才でした。
ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のことです。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年、28歳の時にに実家の自宅に画室を作ったのです。それまでは職を転々としていたのでした。
ですからゴッホの画家としての活動はたった約10年間と短いものでした。その10年間で描いた油彩は900点であると言われています。
しかし生前に売れた絵はたった1枚だったので生活費は弟のテオドールが出しました。
現在でこそ極めて高い評価を得ていますが、不遇の生涯を送ったのです。そして現在有名な傑作は晩年の2年半に集中しているのです。
2番目の写真は1885年の「馬鈴薯を食べる人々」です。この油彩画はかれの初期の作品で、1885に描かれました。それはキリスト者として貧しい生活の人々に寄り添った絵画でした。
しかしこの画風は続きませんでした。1886年に、ゴッホはパリの弟テオのところに同居します。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどの作品を目の当たりにしたのです。
華やかな印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に活き活きした色彩へと変貌したのです。
3番目以降の作品の印象派らしい明るい作風へ大きく変化したのです。
3番目の写真は1887年の「春の釣り」です。
4番目の写真は1888年の「ひまわり15本」です。
5番目の写真は1888年の「ローヌ河の星月夜」です。
6番目の写真は1888年の「夜のカフェテラス」です。
7番目の写真は1888年の「黄色い家」です。
8番目の写真は1888年の「アルルの跳ね橋」です。
9番目の写真は1889年の「星月夜」です。
10番目の写真は1888年の「ファン・ゴッホの寝室」です。
11番目の写真は1890年の「麦畑」です。
ゴッホの絵画については解説は不要です。見れば何故か心が揺さぶられるのです。
解説ではなく一つだけ私の体験的な感動を書かせて下さい。
それは中年の頃、アメリカの中西部のある町で研究の仕事をしていた時のことです。そこの市立美術館にゴッホの絵が2枚だけあったのです。
仕事に行きづまり、落ち込んでだことが何度かありました。そのたびにゴッホの絵を見に行ったのです。感動しました。胸が熱くなります。勇気が湧いてきます。また研究に対する情熱が燃えたのです。
ゴッホの傑作は何点も以前にフランスの美術館で見ていました。アメリカのその町の市立美術館の2点は決して良い出来ではありませんでした。しかしその筆使いと部分的な色彩が、以前に見た感動的な作品を瞬時に眼前に再現してくれるのです。
絵画から勇気を貰い研究に対する情熱を貰った経験は生涯一度だけでした。
マネーもモネーもルノアールも美しい絵を残しました。シスレーもセザンヌの絵画も感動的です。
しかしゴッホの絵から受けた魂を揺さぶるような影響はありません。ゴッホの絵は私の体を振り動かしたのです。
そして生きていることへの歓喜を与えてくれます。ふたたび仕事へ対する情熱に火をつけてくれたのです。
現在84歳になった私は仕事を止めて久しいのです。もう仕事のことはすっかり忘れました。しかしゴッホの絵から貰った歓喜と情熱を今でも憶えています。
今朝、彼の絵を沢山見ながら自分の好き11点を選びました。それは実に楽しい仕事でした。こころよい静かな時間がゆっくり流れて朝が過ぎ行きます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)