後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「細川呉港著『舞鶴に散る桜』の書評」その二

2020年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
細川呉港著『舞鶴に散る桜』は飛鳥新社が出版した 352ページの本です。
この本の内容はハワイの日系兵のフジオ高木が舞鶴に進駐した時に港の見える公園に桜の木を植えたという話です。フジオ高木は大阪から自分のお金で桜の苗木を取り寄せて植えたのです。
この本には「日系兵が舞鶴に桜を植えた」という本筋に関係の無い数多くのエピソードが書かれていて、その全てが興味深いのです。
それは戦後に人々は何を考えて生きて来たかという歴史的な記録になっているのです。
昨日の「書評、その一」では私自身が会った戦争花嫁と進駐軍の混血児を育てた沢田美喜にまつわるエピソードだけを取り上げご紹介しました。
しかしエピソードだけを紹介して行ってもこの本の全体像が分りません。そこで今日はこの本の目次を示し各章の内容を説明したいと思います。目次は以下の通りです。
目次
序章 舞鶴の丘に新しい桜を植える
一章 真珠湾に落ちたゼロ戦
二章 進駐軍と舞鶴 日系アメリカ情報部隊MISとCIC
三章 「かえり船」の港の見える丘
四章 フジオ高木 はじめて死の淵に立つ
五章 受け継がれる桜を植えた人の心
それでは上の各章の内容を簡単に紹介します。
「序章 舞鶴の丘に新しい桜を植える」の内容は2018年に舞鶴での桜の植樹イベントの開催の様子です。著者の細川呉港さんもハワイから来た9人の元日系兵と共に植樹の行事に参加しました。
戦後舞鶴に進駐して桜を植えたのがフジオ高木とその仲間だったのです。
これがこの本の文字通りの序章でした。
「一章 真珠湾に落ちたゼロ戦」では細川さんの故郷の呉市の戦後の状況を書いています。
町には進駐軍のジープが走り、それを見ると子供達が群がりチューインガムやチョコレ-トを貰ったものです。貧しげなヤミ市がたち復員服を着た男たちが何か売ってます。進駐軍の相手をするパンパンやオンリーさん達が沢山いました。戦争に負けるとはそういうことなのです。
そしてこの章ではフジオ高木が真珠湾攻撃の時、日本の戦闘機が海に不時着したのを目撃したことが書いてあります。フジオ高木が助けに行くと日本兵は飛行服を残し自殺したように海の中に沈んで行ったのです。フジオ高木は後に日本に招待された時、死んだ戦闘機のパイロットの遺族を訪れて報告します。この部分はこの章に書いてありませんが本の重要な出来事です。
この章には日本人のハワイとアメリカ本土の移民の実態と真珠湾攻撃による厳しい運命が具体的に書いてあります。

「二章 進駐軍と舞鶴 日系アメリカ情報部隊MISとCIC」ではフジオ高木が所属していたアメリカ陸軍情報部隊の活動が紹介してあります。情報部隊とは平服で隠密に活動するスパイの部隊なのです。舞鶴に進駐したのはシベリア抑留から帰国する日本兵からソ連の軍事情報や経済状態を聞き出すためだったのです。
このアメリカ陸軍情報部隊は太平洋戦争で拡声器を使い日本兵の投降を呼びかけ多数の日本兵の無駄死を防いだのです。全て日系兵でした。

「三章 「かえり船」の港の見える丘」では現在桜の名所になっている共楽公園に昭和24年にフジオ高木が日本人の迫水周吉の協力で100本のソメイヨシノを植えたことが書かれています。
昭和48年、1975年に舞鶴市の市会議長の矢野健之助が「ハワイ日系二世をしのぶ友好平和のサクラ」の石碑を立てます。
しかし昭和24年にフジオ高木がソメイヨシノを植えてから24年も経過したので誰が植えたかわかりません。石碑の碑文は間違いだらけでした。細川呉港さんはその間違いを丹念に調べあげたのです。
この細川呉港さんの間違いの謎解きがミステリー小説のように面白いのです。

さて記事が長くなりましたのでこの辺で止めます。
今日は以下の各章の内容のご紹介をいたしました。
序章 舞鶴の丘に新しい桜を植える
一章 真珠湾に落ちたゼロ戦
二章 進駐軍と舞鶴 日系アメリカ情報部隊MISとCIC
三章 「かえり船」の港の見える丘
続きは「書評、その三」で書きます。

今日の挿絵代わりの写真は先日撮って来た清瀬市の金山緑地公園の紅葉風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)