後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「昭和時代を考える(6)進駐軍の混血児と沢田美喜の愛の美しさ」

2020年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム
この「昭和時代を考える」という連載では、私は日本の歴史の中で昭和時代にしか無かった大きな出来事を書いています。今日は戦後の進駐軍兵士の混血児を育んだ沢田美喜の愛を書きたいと思います。沢田美喜という女性の優しさと2000人に及ぶ恵まれない子供たちに対する深い愛情はきっと読む人に感動を与えるでしょう。
2018年の3月に私は大磯駅前にある沢田 美喜記念館を訪れました。そこは樹木の生い茂る山で、同じ敷地に孤児院エリザベス・サンダース・ホームがありました。そして現在、聖ステパノ学園小学校、中学校もあります。ステパノとは戦死した三男の晃の洗礼名です。
沢田 美喜はこの大磯駅前にエリザベス・サンダースホームを創設しました。それは終戦直後の1948年のことでした。
そして進駐軍兵士との混血孤児を育て上げたのです。その数は2000人近くと言われています。
始めは進駐軍と日本政府の両方から迫害をうけ、経営は窮乏を極めたそうです。しかし次第に沢田 美喜の愛の力が実り社会から賞賛されるようになります。
そして設立7年後の1955年に 昭和天皇陛下と皇后さまがエリザベス・サンダース・ホームを訪れたのです。
これがエリザベス・サンダース・ホームの社会的意義を決定づけたのです。
沢田 美喜の豊かな愛情は次の2009年のテレビ東京の番組で元の孤児によって語られています。
・・・「60代の元・孤児たちが、『ママちゃま』と呼ぶ沢田 美喜、2009-03-28」
(https://blog.goo.ne.jp/amesyun-goo/e/5ff48f5b9c297d19c9aaab67f07a9e84 )
親に捨てられた往年の孤児たちが、カメラの前で堂々と、「私たちの育った家庭は、サンダース・ホームであり、沢田 美喜さんが、ママちゃまです。ママちゃまは素晴しい人でした。いま、僕らがどれほど感謝しているか言葉では表せません。・・・」と語ったのです。
人間が一人育つこと、育てることはとても大変なことです。それを、二千人も相手にやり遂げた沢田 美喜さんの愛の力は美しく偉大でした。撮って来た写真を示します。

1番目の写真は沢田 美喜記念館とエリザベス・サンダース・ホームの入り口です。この右の奥には聖ステパノ学園小学校、中学校もあります。

2番目の写真は沢田 美喜の記念碑です。彼女は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚しました。4人の子に恵まれるますが三男、ステパノ晃は南方で戦死しました。敗戦直の1948年にエリザベス・サンダースホームを創設しました。エリザベス・サンダースは最初に寄付してくれたアメリカ女性の名前です。

3番目の写真は沢田美喜記念館です。一階が展示室になっていて、2階が礼拝堂になっています。

4番目の写真は沢田美喜が世界各国から集めたいろいろなデザインの十字架です。

5番目の写真は沢田美喜を紹介した新聞などの展示です。なお彼女は隠れキリシタンの遺物の収集家としても有名で展示には隠れキリシタンの遺物も沢山あります。
沢田美喜は1901年に三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女として現在の東京都文京区に生まれました。1922年にクリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してカトリックの洗礼を受けました。1962年にはブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立し、孤児院の卒園生を数多く移住させました。そして1980年にスペインのマヨルカ島にて心臓発作のため急死しました。享年78歳でした。

それにしても沢田美喜の愛の力は偉大でした。女性の強く美しい優しさです。
時代が流れて進駐軍兵士の混血児問題も無くなりました。その後はエリザベス・サンダース・ホームと聖ステパノ学園小学校・中学校は孤児を含め幸の少ない子供達に愛をふり注いできました。大磯の山の上で沢田美喜の愛の美しさを今に伝える場所です。
尚ここに示した写真は妻が撮ったものです。沢田 美喜記念館は山の上にあり足の弱い私は登るのを勘弁してもらったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料=============
(1)エリザベス・サンダース・ホームと聖ステパノ学園小学校・中学校とは?
第二次世界大戦後に日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれたものの両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設として、1948年三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が、財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて400万円で買い戻して設立した。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0 よりの抜粋)
施設の名前は、ホーム設立後に最初の寄付をしてくれた聖公会の信者エリザベス・サンダースにちなみ、「エリザベス・サンダース・ホーム」と名付けた。

聖ステパノ学園小学校・中学校
孤児院出身の子どもたちが、小学校、中学校に上がる年齢になり、周囲の「混血児」への偏見迫害や、学校生活との折り合いの問題などへの対応から、ホームの中に小学校・中学校も設立した。小学校は、1953年に創立され、美喜の戦死した三男の晃の洗礼名から、聖ステパノ学園小学校と命名された。中学校は1959年に併設された。1993年よりは、外部の一般家庭の子弟も募集するようになった。

(2)沢田美喜記念館とは
沢田美喜は、隠れキリシタンの遺物の収集家でもあった。 日本全国から集められた貴重な資料851点のうち、370点あまりが沢田美喜記念館に展示されている。沢田美喜記念館は1階が展示室と受付、2階に礼拝堂といった構成である。

(3)沢田 美喜(1901年9月19日 - 1980年5月12日)は、日本の社会事業家。本名は澤田 美喜。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%BE%8E%E5%96%9C より抜粋)
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。4人の子に恵まれる。敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。
1901年9月19日:三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女として現在の東京都文京区に生まれる。岩崎家の宗教は真言宗だった。母の寧子は子爵保科正益(飯野藩第10代目藩主)の長女。
1922年7月:クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教の洗礼を受ける。
1923年:夫、廉三のアルゼンチン・ブエノスアイレスへの転任に伴い同行。長男・信一誕生。
1931年:夫、廉三の英国・ロンドンへの転任に伴い同行、孤児院ドクター・バーナードス・ホーム訪問。院長の『捨てられた子を引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ』という言葉に感銘を受ける。
1945年:三男・晃がインドシナ沖で戦死。海軍志願兵だった。
1948年2月:孤児院エリザベス・サンダース・ホームを設立する。進駐軍と日本政府から迫害をうけ、経営は窮乏を極めた。
1953年:学校法人聖ステパノ学園を創立。ホームの小学校と中学校である。
三男の晃の洗礼名ステパノのが聖ステパノ学園及び聖ステパノ農場の名の由来になった。
1955年: 昭和天皇・皇后訪園。12月2日:父・久弥死去。
1962年:ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住。
1980年5月12日:スペインのマヨルカ島にて心臓発作のため78歳で急死。