昭和時代の一番大きな出来事は太平洋戦争で日本が徹底的に負け、全国がアメリカに占領されたことです。それは日本の歴史開闢以来の大事件でした。アメリカの連合国は東京にマッカーサー指揮による総司令部(GHQ)を設置して日本の根本的な改革を実行したのです。
改革の柱は1945年10月に発表された「五大改革政策」でした。
まずGHQは1945年10月4日に治安維持法の廃止、政治犯釈放、天皇批判の自由などを内容とする自由制限撤廃指令を東久邇宮稔彦内閣につきつけます。しかし東久邇宮内閣は実行不能として総辞職してしまったのです。
そこでGHQは10月11日に次の幣原喜重郎首相に「五大改革政策」の推進を命令したのです。
この日,GHQはポツダム宣言に基づき日本国民は今後「思想の自由,言論の自由及び宗教の自由を抑圧するあらゆる統制から解放されねばならない。」という見解を表明したのです。
GHQが命令した五大改革の内容は次の5つでした。
①婦人への選挙権賦与による日本婦人の解放。
②労働者を搾取と酷使より保護するため労働組合の結成を推進する。
③旧学校制度によるエリート教育を一切廃止し、新教育制度で教育の大衆化と自由化をする。
④特高や秘密検察など国民を恐怖に曝す諸制度の撤廃と司法の民主化。
⑤農地改革による小作農の解放と財閥解体による経済の民主化。
この指令は戦後改革の出発点となり、これに従って日本の非軍事化と民主化の政策が急速に実行されていったのです。
以上5つの改革を現在もう一度見てみると戦前の日本には自由と民主主義が無く実に暗い社会だっと思いだされます。
ここで旧学校制度の廃止と小作農の解放に関して私が直接体験したことを書きます。
終戦の時私は国民学校の3年生でした。しばらくして天皇陛下と皇后陛下の写真への敬礼が廃止になりました。教育勅語を祀って保管している奉安殿が取り壊されました。教科書の軍事教育的な文章が多数墨で黒々と消されてました。国民学校の看板が小学校に変わりました。
小学校を卒業して出来たばかりの新制中学へ入学しました。制度が出来ましたが校舎がありません。隣町の大きな小学校の空いた教室に間借りしました。机も椅子も無くミカン箱を机にして板の床に座って授業を受けました。
1年後に新校舎が完成し引っ越した時は本当に嬉しかったものです。
さて次に小作農に関して直接見たことを書きます。家内の祖父は地主でした。あれは1960年代で戦後から15年も経っている頃でした。昔の小作農の人が作った野菜を持って家内の祖父のところへ農地を貰ったお礼に毎年来ます。何気無く見ていると昔の小作農の人が庭に跪いているのです。昔の地主は縁側の上に座って昔の小作農の人を見下ろしているのです。こんな光景を何度か見ました。私は地主と小作の身分の違いに衝撃をうけました。同時に優しかった地主を慕う小作の人の心の美しさに感銘を受けました。
このようにGHQが命令した五大改革は個人の生活へも直接影響を与えたのです。
それにしてもマッカ-サーは明治維新以来の日本の富国強兵政策を徹底的に壊滅したものです。
写真は以上のGHQが命令した五大改革に関連したものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は1945年(昭和20年)9月27日の昭和天皇とダグラス・マッカーサーの会見の時の写真です。
2番目の写真は1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書に正式に調印した時の写真です。
日本政府代表は東京湾の横須賀沖に浮かぶ戦艦ミズーリの船上で、イギリス、オーストラリア、アメリカ、オランダ、中華民国、ソ連ら連合国との間で降伏文書に正式に調印したのです。
3番目の写真は戦後日本に権力をふるったGHQが入った第一生命相互ビルです。昭和26年、東京の日比谷で撮ったものです。