山梨県の西の県境には八ヶ岳と甲斐駒岳が聳えています。その麓一帯は北杜市になっています。その北杜市の武川の山林を少しばかり買い小屋を建てたのは1974年でした。それ以来46年間その山林の中の小屋に通っています。若くて元気なころは八ヶ岳や甲斐駒岳に登ったり白樺湖でスケートやスキーを楽しみました。
老境になって小さな小屋に泊まにるのが辛くなってからは、八ヶ岳ロイヤルホテルやホテル・スパシオや清里の清泉寮に泊まるようになりました。
今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたします。
八ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://photokiti.exblog.jp/29810140/ で甲斐駒ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/39898/ です。
1番目の写真は八ヶ岳の八千穂高原の白樺の群生地です。白樺林は黄から赤の紅葉で美しものです。
2番目の写真は八ヶ岳の山腹に立っていた白樺の大木です。実に堂々としています。
3番目の写真は山腹の白樺の黄葉 した樹林帯です。山の斜面には場所によっては葉が残っており紅葉の美しい樹林帯が見られます。
4番目の写真は八千穂レイクです。白樺の葉が落ちて白い幹が美しく見えます。左端には唐松の黄葉があります。
なお1番目から4番目の写真は2018年10月23日に撮影された写真です。
5番目の写真は甲斐駒岳の頂上付近の紅葉です。頂上付近は白い御影石で覆われています。その鋭い岩稜と紅葉とのコントラストが美しい風景になっています。
さて何故私は北杜市に小屋を作ったのでしょうか?その原因を書きます。
それは1973年の夏のことでした。ストックホルムへ私を招待してくれたエケトルプ先生が小屋を作ると人生が楽しくなると教えてくれたのです。そして私を海岸にある彼の小屋につれて行ってくれたのです。それは粗末な木造の小屋でした。
海に突き出た岬にある小屋の周囲には人家も無く荒涼とした岩山の上にポツンと建っています。はっきり言えば掘っ立て小屋です。潮風に吹き倒されそうに少し傾いています。
小屋に着くと先生夫妻は小屋の掃除や、周囲の雑草を取りをして忙しそうに働いています。私も手伝いました。
労働でお腹が空いたころ庭先のテーブルの上でランチです。周囲の海を眺めながらフライドチキンと生のキューリをかじるだけの食事でした。
北欧の暗い海は夏になると碧く輝くことを発見しました。大きなカモメが時々鳴きながら飛んで行きます。
エケトルプ先生はこの小屋に来てボンヤリ海を眺めたり小屋が倒れないように修理をするのが趣味だと言います。何も無い自然の中で時を過ごすだけで楽しいのですと言います。もう何年もこの小屋に通っているそうです。
夏だけでなく厳寒の冬にも来るそうです。昼前に着いて薪ストーブを焚いて昼食を食べ、そして夕方帰るのです。
帰りの車の中で、私はこの自然の中の小屋に通うエケトルプ先生の趣味を日本で始めることを決心したのです。
海ではなく山林の中に粗末な小屋を建てる決心をしたのです。そして1974年の晩秋に山梨県の甲斐駒岳の麓に小屋を建てました。
大工さんが小川の傍で深い森の中は湿気がひどいので木造ではすぐに腐りますと言います。そこで4畳と6畳とトイレの鉄筋コンクリートの小屋を建てて貰いました。その小屋は46年たっても腐らずに建てたままの姿です。
長い間その山林の中の小屋へ通って来ました。
この小屋が好きな理由はその庭を小川が何時も美しい音を立てて流れていることです。冬になっても豊かに清い水が流れているのです。
この様にしてエケトルプ先生のお陰で私の人生は楽しくなりました。豊かな人生になりました。
エケトルプ先生は10年以上前に亡くなりました。小さな可憐な花を集めた花束を作って届けるようにとストックホルムの花屋さんに頼みました。
エケトルプ先生は家の裏庭に、可憐な小さな花々を一面に咲かせていたのです。白夜のほの明るい中で高山のお花畑のように輝いていた裏庭の光景を忘れません。スウェーデンの初夏の夜でした。
今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
老境になって小さな小屋に泊まにるのが辛くなってからは、八ヶ岳ロイヤルホテルやホテル・スパシオや清里の清泉寮に泊まるようになりました。
今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたします。
八ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://photokiti.exblog.jp/29810140/ で甲斐駒ヶ岳の紅葉の写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/article/39898/ です。
1番目の写真は八ヶ岳の八千穂高原の白樺の群生地です。白樺林は黄から赤の紅葉で美しものです。
2番目の写真は八ヶ岳の山腹に立っていた白樺の大木です。実に堂々としています。
3番目の写真は山腹の白樺の黄葉 した樹林帯です。山の斜面には場所によっては葉が残っており紅葉の美しい樹林帯が見られます。
4番目の写真は八千穂レイクです。白樺の葉が落ちて白い幹が美しく見えます。左端には唐松の黄葉があります。
なお1番目から4番目の写真は2018年10月23日に撮影された写真です。
5番目の写真は甲斐駒岳の頂上付近の紅葉です。頂上付近は白い御影石で覆われています。その鋭い岩稜と紅葉とのコントラストが美しい風景になっています。
さて何故私は北杜市に小屋を作ったのでしょうか?その原因を書きます。
それは1973年の夏のことでした。ストックホルムへ私を招待してくれたエケトルプ先生が小屋を作ると人生が楽しくなると教えてくれたのです。そして私を海岸にある彼の小屋につれて行ってくれたのです。それは粗末な木造の小屋でした。
海に突き出た岬にある小屋の周囲には人家も無く荒涼とした岩山の上にポツンと建っています。はっきり言えば掘っ立て小屋です。潮風に吹き倒されそうに少し傾いています。
小屋に着くと先生夫妻は小屋の掃除や、周囲の雑草を取りをして忙しそうに働いています。私も手伝いました。
労働でお腹が空いたころ庭先のテーブルの上でランチです。周囲の海を眺めながらフライドチキンと生のキューリをかじるだけの食事でした。
北欧の暗い海は夏になると碧く輝くことを発見しました。大きなカモメが時々鳴きながら飛んで行きます。
エケトルプ先生はこの小屋に来てボンヤリ海を眺めたり小屋が倒れないように修理をするのが趣味だと言います。何も無い自然の中で時を過ごすだけで楽しいのですと言います。もう何年もこの小屋に通っているそうです。
夏だけでなく厳寒の冬にも来るそうです。昼前に着いて薪ストーブを焚いて昼食を食べ、そして夕方帰るのです。
帰りの車の中で、私はこの自然の中の小屋に通うエケトルプ先生の趣味を日本で始めることを決心したのです。
海ではなく山林の中に粗末な小屋を建てる決心をしたのです。そして1974年の晩秋に山梨県の甲斐駒岳の麓に小屋を建てました。
大工さんが小川の傍で深い森の中は湿気がひどいので木造ではすぐに腐りますと言います。そこで4畳と6畳とトイレの鉄筋コンクリートの小屋を建てて貰いました。その小屋は46年たっても腐らずに建てたままの姿です。
長い間その山林の中の小屋へ通って来ました。
この小屋が好きな理由はその庭を小川が何時も美しい音を立てて流れていることです。冬になっても豊かに清い水が流れているのです。
この様にしてエケトルプ先生のお陰で私の人生は楽しくなりました。豊かな人生になりました。
エケトルプ先生は10年以上前に亡くなりました。小さな可憐な花を集めた花束を作って届けるようにとストックホルムの花屋さんに頼みました。
エケトルプ先生は家の裏庭に、可憐な小さな花々を一面に咲かせていたのです。白夜のほの明るい中で高山のお花畑のように輝いていた裏庭の光景を忘れません。スウェーデンの初夏の夜でした。
今日は懐かしい八ヶ岳の紅葉、甲斐駒岳の紅葉の写真をお送りいたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)