後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の復活節第6主日ミサの動画と函館のカトリック元町教会の紹介」

2021年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は復活節第6主日です。2021年5月9日の10時から始まるカトリック関口教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、2021年5月9日復活節6主日のミサ、
https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw

聖イグナチオ教会 の復活節第6主日のミサの動画配信は以下にあります。
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

今日教会に行かない方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「美しい函館のカトリック元町教会」

私が好きだと感じ、印象の深かった教会は次のようにいろいろあります。
長崎の大浦天主堂と浦上天主堂、五島列島の古風な教会、火事になる前の山口市にあった聖ザビエル記念聖堂、カトリック津和野教会、改築前の東京の聖イグナチオ教会、山形県のカトリック鶴岡教会、そし何回も訪問した函館のカトリック元町教会などは私の大好きな教会です。
函館には何度か行きましたがそのたびにこの教会を訪問しています。今日の写真はこの函館のカトリック元町教会です。
この教会は1959年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。
明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。
新しい明治政府によってもキリシタンが逮捕され、遠方に流され、多数の死亡者も出たのです。
特に九州の大浦では多数の隠れキリシタンが逮捕され本州の各地の僻地へ送る流罪になったのです。津和野のように、流された先の人々によって殺された例も多いのです。
明治政府がキリシタン禁止の高札を撤去したのは1875年なのです。ですから教会が出来ても隠れキリシタンがそこを訪れることが出来ませんでした。
そんな古い時代に函館のカトリック教会が造られたのです。フランス人神父によって。
このカトリック元町教会は、以後、3度の火事に遭います。
現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。
この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。
函館観光に行ったら是非、このカトリック元町教会をご覧下さい。写真は2012年6月に撮りました。










「今日の散歩道の風景です」

2021年05月08日 | 日記
今日は午前中晴れていましたが、午後からは曇って暗い空になりました。そこで森の中でなく広々とした散歩道を選んで来ました。そんな今日の散歩道の風景写真をお送り致します。場所は小金井公園です。









「日本の世界自然・文化遺産と潜伏キリシタンの世界文化遺産」

2021年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
国連のユネスコは日本の世界自然遺産、4件と世界文化遺産、19件を認定しています。今日はこれら日本の世界自然遺産と世界文化遺産をご紹介したいと思います。
さて世界遺産(World Heritage Site)とはそもそんも何でしょう?
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて認定されたものです。そてらは文化や自然などで、人類が共有すべき貴重な物件のことです。但し、移動が不可能な不動産が対象となっています。ですから源氏物語や浮世絵などの文学作品や絵画芸術は対対象になっていないのです。

1番目の写真は日本の世界自然遺産、4件と世界文化遺産、19件の分布図です。出典は、https://thehalser1.blogspot.com/2020/07/blog-post_2.html です。
日本政府は地方の観光事業を活性化して地域の経済成長のため盛んにユネスコに働きかけ合計23件の世界遺産を認定して貰ったのです。
その結果、世界遺産のある地を訪れる観光客が飛躍的に増えたと言われています。
その一方、日本の世界文化遺産は世界に広く知られるようになり外国からも訪れる人も増えたのです。

その顕著な一例は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。その結果、今まで外人観光客が知らなかった天草地方や五島列島へも外人観光客が行くようになったのです。そして日本の隠れキリシタンの歴史を知るようになったのです。世界文化遺産の効果です。
隠れキリシタンの歴史は日本人の精神文化の誇りです。250年近くの禁制の中でも人々は勇気をもって、不屈の精神で信仰を守ったのです。この日本民族の勇気と不屈の精神文化が高く評価されて国連の世界文化遺産として認定されたのです。
この潜伏キリシタン遺産は 12の資産で構成されています。そしてその 半数は長崎県の五島列島などの離島にあるのです。
これはキリスト教の信仰が禁じられた禁教期に厳しい弾圧を受けながらも日本の伝統的な宗教や社会と共生しながら独自の形で信仰を続けた潜伏キリシタンの精神文化の歴史を伝えるものです。
もう少し詳しくは構成資産の内容は次の3つの種類になります。
1、日本が厳しい鎖国政策をとるきっかけとなった「島原・天草一揆」で信者たちが立てこもった「原城跡」、
2、弾圧を逃れて移り住んだ離島の集落、
3、1865年に、潜伏キリシタンが外国人神父に信仰を打ち明けた「信徒発見」の舞台となった「大浦天主堂」、などです。
登録がされた12の資産は以下の通りです。
1、原城址
2、平戸島の聖地と集落 - 春日集落と安満岳
3、平戸島の聖地と集落 - 中江の島
4、天草の崎津集落
5、外海の出津集落
6、外海の大野集落
7、黒島の集落
8、野崎島の集落跡
9、頭ヶ島の集落
10、久賀島の集落
11、奈留島の江上集落 - 江上天主堂とその周辺
12、大浦天主堂

この12の世界遺産は1原城址 と12大浦天主堂の2つ以外は全て集落になっています。
これはこの世界遺産の特徴です。何故、過疎の集落が世界遺産になったのでしょうか?
理由はその集落が禁教の江戸時代にどのような内容の信仰を守っていたかということに焦点が絞られているからです。
それぞれの集落で独自のキリシタン信仰を守って来たのです。その文化活動を高く評価して世界遺産として子孫へ伝承しようというのが認定への理由なのです。
10の集落の独自の信仰のあり方を全て説明するとこの記事はあまりにも長々しいものになります。
そこで1つだけ天草の崎津集落 だけを一例として以下に示します。

2番目の写真は天草の崎津集落とカトリック崎津教会です。
天草の﨑津集落は、生活、生業に根差した身近なものをキリシタンの信心の対象としていました。それは漁村特有の信仰をひそかに続けた潜伏キリシタンの集落でした。(http://kirishitan.jp/components/com004 )
﨑津集落では、指導者を中心として自分たち自身で信仰を続けるために、大黒天や恵比須神をキリスト教の唯一神であるデウスとして崇拝していました。そして、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて拝んでいました。これは漁村特有の信仰形態です。
明治5年の禁教廃止の後に﨑津集落の潜伏キリシタンはカトリックへと復帰し、禁教期に祈りをささげた神社の隣接地に教会堂を建てました。
認定されたものは、潜伏キリシタンが祈りに用いた信心具を今日に伝える水方屋敷跡、ひそかにオラショを唱えた﨑津諏訪神社境内、絵踏が行われた吉田庄屋役宅跡、解禁後にカトリックに復帰して﨑津諏訪神社の隣接地に建てられた旧﨑津教会堂跡などです。

﨑津集落は15世紀にはすでに集落として成立しており、1569年にイエズス会のアルメイダ修道士によって宣教が開始されると、﨑津集落にもキリスト教が広まりました。
禁教期になると、﨑津集落では毎年、吉田庄屋役宅において潜伏キリシタンを探すための「絵踏(えふみ)」が行われるようになりました。
村人はキリストや聖母マリアの像を踏むことを強制され、「宗門改帳」により宗旨、および所属する寺院が管理されたのです。
﨑津集落の潜伏キリシタンは、表向きは﨑津諏訪神社の氏子や寺の檀家となったのです。
集落内には、禁教期に洗礼をつかさどるなど信仰を指導した「水方」の屋敷跡があります。﨑津集落では、禁教期においても小規模な共同体である「小組」がひそかに維持され、「水方」と呼ばれる指導者が洗礼を授け、葬送儀礼をはじめ日繰りをもとに儀礼、行事などを行った来たのです。
 
1805年、潜伏キリシタンの信仰が発覚する「天草(あまくさ)崩れ」では村人の7割が潜伏キリシタンとして検挙され、代官所は潜伏キリシタンが所有する信心具を﨑津諏訪神社に差し出すように指示して没収しましたが、村人は「心得違い」として処罰されなかったのです。
 19世紀後半における宣教師の天草への来訪後、﨑津集落の潜伏キリシタンたちは改めて洗礼を受け、カトリックへと復帰しました。
そして1888年、﨑津諏訪神社の隣地に最初の﨑津教会堂が建てたのです。
この木造教会堂は、老朽化により移転、新築されます。跡地には修道院が建てられ今日に至っています。
 現在の﨑津教会堂は、1934年、踏み絵が行われた吉田庄屋役宅跡地に建てられました。
会堂の内部は当初から畳が敷かれ、祭壇はかつて絵踏が行われた場所を選んで設置されたと言われています。

上のような歴史は認定される10ケ所の集落にもあります。長くなるので今日は省略します。
もう少し写真を示します。

3番目の写真は無人島になってしまった五島列島の野崎島の集落跡に残った教会です。

4番目の写真は長崎の外海の出津集落の全景です。

5番目の写真は国宝の大浦天主堂の内部です。
今日は日本の世界自然遺産と世界文化遺産をご紹介し、その一例として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を少し詳しく説明しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=======================
我が国の世界遺産(令和元年7月現在 合計23件)
自然遺産は4件です。(知床、白神山地、屋久島、小笠原諸島の4件}。一方、文化遺産は19件あります。以下の一覧表は自然遺産4件と文化遺産は19件、合計23件の一覧表です。
(1)法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)(平成5年記載)
(2)姫路城(兵庫県)(平成5年記載)
(3)屋久島(鹿児島県)(平成5年記載)
(4)白神山地(青森県、秋田県)(平成5年記載)
(5)古都京都の文化財(京都府、滋賀県)(平成6年記載)
(6)白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県、富山県)(平成7年記載)
(7)原爆ドーム(広島県)(平成8年記載)
(8)厳島神社(広島県)(平成8年記載)
(9)古都奈良の文化財(奈良県)(平成10年記載)
(10)日光の社寺(栃木県)(平成11年記載)
(11)琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県)(平成12年記載)
(12)紀伊山地の霊場と参詣道(三重県、奈良県、和歌山県)(平成16年記載)
(13)知床(北海道)(平成17年記載)
(14)石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)(平成19年記載)
(15)小笠原諸島(東京都)(平成23年記載)
(16)平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手県)(平成23年記載)
(17)富士山-信仰の対象と芸術の源泉(静岡県、山梨県)(平成25年記載)
(18)富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)(平成26年記載)
(19)明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(岩手県、静岡県、山口県、福岡県、熊本県、佐賀県、長崎県、鹿児島県)(平成27年記載)
(20)国立西洋美術館本館(東京都)(平成28年記載)
(21)「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県)(平成29年記載)
(22)長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(平成30年記載)
(23)百舌鳥・古市古墳群(令和元年記載)