時々山梨県北杜市の甲斐駒岳の麓にある小屋に遊びに行ってました。周囲には牧場や田畑がある農村です。その農村が次第に過疎化して行くのです。若者が都会へ出て行って残った高齢者も次第に旅立っていきます。40年ほど前までは集落の家々にシバザクラが美しく広がって咲いていましたが、過疎化とともに消えて無くなってしまいました。村のよろず屋も店仕舞いしました。悲しい地方の過疎化です。
常に都会に住んでいる人々にとっては、そのような地方の過疎化の現実が分りません。しかし一歩農村や山村地帯へ行くと地方は活気が無くなっているのです。
よく農村の若者が都会に出るのは就職口が地元に無いからだと簡単に言っている人がいます。それも理由の半分です。
しかし、もう一つの大きな理由は農村や山村では若者の個人の自由を認めない雰囲気があるからなのです。若者は地元の小学校や中学校、あるいは高校で個人の自由と平等が一番重要だと教わります。しかし住んで居る田舎社会の実態は江戸時代とあまり変わりません。私は50年間ほど甲斐駒岳の麓にある小屋に通って農村地帯の閉鎖的な文化を良く知りました。
若者達は大学だけは大都会でという希望で家を飛び出し、大学卒業後は都会で就職します。これこそ農村と山村が過疎化する原因の半分の理由なのです。
田舎社会の現実を示す一つの実例をご紹介しましょう。
山林の中に独り住む私の友人が持病のせいで車の運転を止めました。その農村にはコミュニティ・バスが縦横に走っています。彼の山荘の下の立派な広域農道にも走っています。ところが停留所がありません。
そこで彼は市役所に行って停留所を近くに作って下さいと交渉します。役所はいろいろ言を左右しますが、つまるところ以下の理由で作ろうともしません。
市役所は個人が自由に(勝手に)停留所を作る申請を出しても受け付けません。それは自分の属しているの長から提出すべきです。市役所が個人の申し出を勝手に認めたら江戸時代から連綿と続く農村の平和と秩序が壊れます。
に住んでいる人は江戸時代から協力しあって汗水流して畑を広げてやっと生活出来るようにしたのです。ですから勝手に別荘に移住してきた人には権利がないのです。田舎には江戸時代から連綿と続く封建的な考えかたがあって人間関係が息苦しいのも確かです。
ところが都会で家庭を持つようになるとマンションや家を郊外に持つことになります。毎朝、毎夜、通勤地獄に苦しめられます。通勤地獄の恐さは肉体的な苦痛だけでないのです。個人の尊厳がメチャクチャにされる1時間から2時間なのです。それが朝夕毎日2回です。電車の中だけでありません。乗り換えの駅の人の多さに個人が埋没してしまうのです。それに最近はコロナ感染の恐怖が重なります。
さて、この苦しみから逃れる方法は、息苦しい都会から脱出し、地方の小さめの都市に住むことです。そこは農村地帯ではなく地方の都市なのです。
通勤に自分の車が使えたり、電車やバスを使う場合でも短時間で済む小さな都市なのです。
例を上げます。北海道の旭川、仙台、つくば研究学園都市、長野、静岡、神戸、高知、鹿児島などの都会は通勤地獄はほとんどありません。
このようにして地方の農村地帯へ若者とその家族は戻って来ません。甲斐駒岳の麓の農村にも戻って来ません。
特に純農業地帯、大都会から離れた漁村、奥深い山村などの過疎化は深刻です。地方と言っても、過疎化している地域としていない地域があるのです。過疎化している地域の活性化は本当に難しいのです。日本は繁栄しているとよく言われますが繁栄とともに廃村になって行く集落も数多くなっていくのです。
今日は「地方の活性化には難しい地域と容易な地域がある」という問題を考えました。活性化の難しい地域の問題の解決は難しいと思っています。
今日の挿絵代わりの写真は甲斐駒岳の高冷地で畑作しか出来ない農業地域の風景写真です。
それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)