佐伯祐三の絵が好きな私は困っています。彼が描くパリの風景画がユトリロの絵にとても似ているのです。しかし私は佐伯祐三の絵の方が好きなのです。一般にユトリロの絵には独創性があると言われています。佐伯祐三はユトリロの絵の真似をしたのでしょうか。私は真似た絵の方が好きなのです。困ったものです。
佐伯祐三の海外での評価はどの程度のものでしょうか?佐伯祐三の絵はほとんど知られていないぞうです。Wikipediaの外国語のページが存在しませんし、海外の美術館のコレクションにも含まれていないのです。
それはともかくユトリロの油彩画と佐伯祐三の油彩画を4枚ずつ見てみましょう。
1番目の写真はサクレクール寺院の見える風景画です。出典は、 http://nekoarena.blog31.fc2.com/blog-entry-2628.html です。晩年の作品です。
昔、サクレクール寺院にブラリと入って暗いお堂のなかで祈ったことを懐かしく思い出しています。何を祈ったかは忘れてしまいましたが。
2番目の写真はパリの北にあるモンマニー街の風景です。義父のポール・ムジスの建てた家のあった所だそうです。
3番目の写真は「トルシー=アン=ヴァロワの教会」です。
4番目の写真は「コタン小路」です。ユトリロの絵画は風景画ですが人生の哀歓をしみじみと感じさせます。そして何よりも美しいのです。優しい美しさです。ユトリロの絵画をじっと眺めていると胸に迫るものがあります。世界にかけがえのない宝です。
モーリス・ユトリロは 1883年 に生まれ 1955年に亡くなりました。生涯アルコール依存症に苦しみ私生活は悲惨なものでした。1883年12月、パリ・モンマルトルの丘の麓に私生児として生まれモーリスと名付けられました。
さて次の4枚は佐伯祐三の油彩画です。
5番目の写真は「パリ街景」です。原画の大きさは38.1×45.4cm です。
6番目の写真も「パリ街景」です。1927年作で大きさは65×81cm です。
7番目の写真は「広告“ヴェルダン” 」です。1927年作で大きさは54.0x65.0cmです。
8番目の写真は「靴屋(コルドヌリ)」です。1925年作で原寸は,72.5x59.0cmです。
私は佐伯佐伯祐三の原画の数十枚をまとめて見たことが一度だけあります。2008年、横浜そごうデパートでの特別展でした。
油彩画の原画には絵の具が盛り上がり、画家の熱い息づかいが感じられるのです。30歳で客死した佐伯祐三の情熱が直接伝わって来るのです。
彼はパリに魅せられ狂ったように絵を描き続けました。最後は文字通り狂って彼の地の精神病院で息を引き取りました。たった10年間ほどの画歴でした。
絵画の写真について解説は不要です。命を削るようにして描いた作品群の前では、どんな美辞賛辞も空々しくなります。
1924年(大正13)1月、佐伯祐三はパリに行きます。そしてモーリス・ド・ヴラマンク(1876~1958)との出会います。ヴラマンクのアトリエを訪れた佐伯は、自分の作品をヴラマンクに見せなした。
ところがこの巨匠から「アカデミック!」と一喝されてしまいます。学校で優等生の描く絵は上手ですが面白くも可笑しくも無い絵なのです。佐伯祐三の絵はそんな絵だったのです。
そして哀愁漂うパリの街角を描いたモーリス・ユトリロ(1883~1955)の芸術に強く惹かれるようになります。その4年後、佐伯はこの地で30年という短い生涯を閉じたのです。
墓所は生家である大阪市の光徳寺と東京都千代田区の心法寺にあります。現在、佐伯の作品は大阪中之島美術館に50点、和歌山県立近代美術館に14点など、日本各地の34か所に所蔵されているそうです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
佐伯祐三の海外での評価はどの程度のものでしょうか?佐伯祐三の絵はほとんど知られていないぞうです。Wikipediaの外国語のページが存在しませんし、海外の美術館のコレクションにも含まれていないのです。
それはともかくユトリロの油彩画と佐伯祐三の油彩画を4枚ずつ見てみましょう。
1番目の写真はサクレクール寺院の見える風景画です。出典は、 http://nekoarena.blog31.fc2.com/blog-entry-2628.html です。晩年の作品です。
昔、サクレクール寺院にブラリと入って暗いお堂のなかで祈ったことを懐かしく思い出しています。何を祈ったかは忘れてしまいましたが。
2番目の写真はパリの北にあるモンマニー街の風景です。義父のポール・ムジスの建てた家のあった所だそうです。
3番目の写真は「トルシー=アン=ヴァロワの教会」です。
4番目の写真は「コタン小路」です。ユトリロの絵画は風景画ですが人生の哀歓をしみじみと感じさせます。そして何よりも美しいのです。優しい美しさです。ユトリロの絵画をじっと眺めていると胸に迫るものがあります。世界にかけがえのない宝です。
モーリス・ユトリロは 1883年 に生まれ 1955年に亡くなりました。生涯アルコール依存症に苦しみ私生活は悲惨なものでした。1883年12月、パリ・モンマルトルの丘の麓に私生児として生まれモーリスと名付けられました。
さて次の4枚は佐伯祐三の油彩画です。
5番目の写真は「パリ街景」です。原画の大きさは38.1×45.4cm です。
6番目の写真も「パリ街景」です。1927年作で大きさは65×81cm です。
7番目の写真は「広告“ヴェルダン” 」です。1927年作で大きさは54.0x65.0cmです。
8番目の写真は「靴屋(コルドヌリ)」です。1925年作で原寸は,72.5x59.0cmです。
私は佐伯佐伯祐三の原画の数十枚をまとめて見たことが一度だけあります。2008年、横浜そごうデパートでの特別展でした。
油彩画の原画には絵の具が盛り上がり、画家の熱い息づかいが感じられるのです。30歳で客死した佐伯祐三の情熱が直接伝わって来るのです。
彼はパリに魅せられ狂ったように絵を描き続けました。最後は文字通り狂って彼の地の精神病院で息を引き取りました。たった10年間ほどの画歴でした。
絵画の写真について解説は不要です。命を削るようにして描いた作品群の前では、どんな美辞賛辞も空々しくなります。
1924年(大正13)1月、佐伯祐三はパリに行きます。そしてモーリス・ド・ヴラマンク(1876~1958)との出会います。ヴラマンクのアトリエを訪れた佐伯は、自分の作品をヴラマンクに見せなした。
ところがこの巨匠から「アカデミック!」と一喝されてしまいます。学校で優等生の描く絵は上手ですが面白くも可笑しくも無い絵なのです。佐伯祐三の絵はそんな絵だったのです。
そして哀愁漂うパリの街角を描いたモーリス・ユトリロ(1883~1955)の芸術に強く惹かれるようになります。その4年後、佐伯はこの地で30年という短い生涯を閉じたのです。
墓所は生家である大阪市の光徳寺と東京都千代田区の心法寺にあります。現在、佐伯の作品は大阪中之島美術館に50点、和歌山県立近代美術館に14点など、日本各地の34か所に所蔵されているそうです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)