後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「閉園する花園、京王フローラル・ガーデンへの哀惜」

2021年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
哀惜とは人の死など二度と帰らないものを悲しみ惜しむことだそうです。今日は間もなく閉園してしまう花園への哀惜の記を書きたいと思います。
今月の5月31日で調布市にある「京王フローラルガーデン」は営業を終了して閉園します。跡地は駅周辺とともに再開発すると発表されました。
1956年(昭和31年)に「東京菖蒲園」として後に「京王フローラル・ガーデン」と改名し以来65年間、美しい花々を見せてくれた花園でした。
私は仕事を一切止めた70歳の時から15年間足繁く毎月のように通った花園です。何時も家内が一緒でした。
この花園は文字通リ私と妻の最後の「花道」でした。老境を幸せにしてくれた楽しい花園でした。
春にはいろいろなマグノリアが咲きます。春夏秋と季節の草花が色どり、そして冬でも足もとの小径にはパンジーが咲いています。
夏の芝生の原には球体のギガンジュームが咲きます。そしてバラ園には一年中いろいろなバラが咲いています。
この花園は四季折々いつも花が絶えないのです。家内は花々が好きなので京王フローラル・ガーデンを大変愛していました。花畑にはいつも数人の女性が熱心に手入れをしています。「有難うございます」と自然にお礼の言葉が出ます。
今日は京王フローラル・ガーデンの四季折々の花々の写真をお送り致します。全て以前に家内が撮った写真です。













京王フローラルガーデンは特に多数の種類のマグノリアがあることで有名な花園です。
それにしてもこんな見事な花園が5月末に消えて無くなってしまうのです。私の邯鄲の夢も間もなく終わります。しかし最後の15年間、妻と一緒にこの花園に遊んだのです。幸せでした。幸運でした。
京王フローラルガーデンへは新宿駅から京王線に乗り調布駅で乗り換え次ぎの「京王多摩川駅」で下車すると駅前にあります。新宿から25分位です。詳しくは、http://www.keio-ange.info/ をご覧下さい。 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「樹齢300年以上のケヤキの大木の写真を撮りに行く」

2021年05月12日 | 写真
自宅から西へ1キロ位行った所に江戸時代から続く大きな園芸農家があります。屋敷の中に樹齢300年以上のケヤキの大木が数本茂っています。私は大きな木を尊敬しています。午後からその写真を撮って来ました。出来の良くない写真ですがお送り致します。





「野生の象がアジア各地に現在でも棲んでいる、そして昔の日本にも」

2021年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
幼少の頃、動物園で象を初めて見た時の驚きを忘れられません。こんな動物が森や草原をノシノシと歩いているのです。想像しただけで胸がおどったのを思い出します。何十年たった今でも象を初めて見た時の驚きをはっきり覚えています。ずいぶん後になって、私の見た象はアジア象だったと分かりました。
そこで今日はアジア象の話を書くことにしました。
アジア象は優しい性格で人によく懐きます。気性の荒いアフリカ象とは違います。そのアジア象が野生で棲んでいる場所はインド、インドネシアのスマトラ、ボルネオ島、カンボジア、スリランカ、タイ王国、中国の雲南省、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスなどです。

1番目の写真はアジア象です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%BE%E3%82%A6 です。
この写真のように頭と胴が大きく、長さ(体長)は 6メートル位あります。体重はオス平均5,400キログラム、メス平均2,720キログラムです。背中が丸い形をしています。

2番目の写真は野生の象の群れガ草原に出て来た光景です。写真の出典は、1番目の写真と同じです。子供も混じっています。出産直後の子供の体重は50 から 150キログラムでです。
アジア象は主に森林に棲んでいますが食物を求めて草原にも出て来ます。メスと幼獣からなる群れをつくります。そして主に草を食べますが木の枝や葉、樹皮、根、果実なども食べます。5 年から 8年に1回子供を産みます。メスは生後18年くらいで子供を産みます。寿命は70年くらいです。
アフリカゾウと比較すると人間に懐きやすく運搬などの労働力となり、動物園やサーカスで親しまれ、宗教的儀式にも使われます。

3番目の写真はタイで観光客を乗せている光景です。写真の出典は、1番目の写真と同じです。
アジア象は約4,000年前から牙が象牙細工に利用されて来ました。中国では、骨灰が漢方薬になると信じられています。約5500年前からインダス川流域で運搬などに使役されてきたのです。
アジア象は農地を荒らす害獣とみなされることもあります。インド・スリランカなどでは、野生の象が殺されています。スリランカでは2010年〜17年の間に平均して年240頭のゾウが殺され、2019年には405頭が殺されたと言います。
さらに森林伐採・開墾による生息地の破壊、牙用や薬用・使役用の乱獲などにより生息数は減少するする一方です。1995年における生息数は、35,490 から49,985頭と推定されています。

さて一方、日本でも昔は象が棲んでいたのです。旧石器時代の日本人は象狩りをして食べていたのです。
日本に棲んでいた象はナウマン象と呼ばれています。明治8年にお雇外国人として来日したハインリッヒ・エドモンド・ナウマン博士が野尻湖畔で象の化石を発見したのでナウマン象と呼ばれています。

4番目の写真は野尻湖ナウマンゾウ博物館の中で私が撮ったナウマン象の復元した姿です。

5番目の写真は野尻湖ナウマンゾウ博物館の外で私が撮ったナウマン象の復元したものです。
その後の発掘でナウマン象の化石が沢山出てきました。それら数多くの化石を調べた結果、我々の先祖はつい2万年前まで象を殺して食べていたことが明確に判ったのです。
今から4万年頃前から2万年前までの2万年もの長い間旧石器時代の日本人は棲息していたナウマンゾウを集団で襲って食べていたのです。
その事実はナウマンゾウの解体現場に残った骨と共に、解体に使った石器が多数発掘されたので明らかになったのです。
日本のナウマン象は二万年前に絶滅しました。今考えると象を食べるとは残酷な話です。悲しいです。
そして象の化石は北海道や静岡県で多く出ています。関東地方や全国にも棲んでいたと思われています。

一般的に考えると象と人間の関わりには長い歴史があるのです。象と人間は不思議な絆で結ばれているのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)