後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「梅雨の無い北海道の爽快な花畑の風景写真」

2021年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨です。毎日、毎日、暗い雨雲覆っていて憂鬱です。梅雨なのだと諦めて日々を過ごしていますが、梅雨という季節の無い北海道が羨ましいです。
そこで梅雨の無い北海道の爽快な花畑の風景写真を5枚お送り致します。

1番目の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/ezomomonga3/folder/730829.html です。

2番目の写真の出典は、http://furano2008.blog95.fc2.com/ です。

3番目の写真の出典は、https://www.pinterest.jp/pin/314548355225189433/ です。

4番目の写真は富良野の富田ファームのラベンダー畑です。出典はhttp://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html です。

5番目の写真は私が北海道で撮ったルピナスやマーガレットの花の写真です。

なぜ北海道には梅雨がないのでしょうか。その理由は梅雨前線が北海道迄北上して行かないからです。
梅雨前線が北海道近辺に上るのは7月下旬ごろです。しかし、そのころには気温全体が上がっているので、ぶつかっている気団の温度や湿度の差も小さくなっています。ですから梅雨前線はそのまま勢力が弱まり消えてしまうのです。
そのため、『梅雨前線は北海道まで届かない』と言われています。
それにしても北海道に梅雨の季節がないのは羨ましいです。北海道の風景に魅了され何度も行きました。北海道の写真を見ていると毎日の梅雨の憂鬱な気分が吹き飛んでしまいます。皆様も爽快な気分になられたら嬉しく思います。

「小金井市、稲穂神社のそばで福岡県の無農薬農産物を売っています」

2021年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
稲穂神社から北へ延びる細い散歩道があります。江戸時代に出来た小金井用水をカバーして散歩道にしたのです。
この道に沿った中村さんの家で福岡県の無農薬農産物を毎月第二土曜日に売っています。稲穂神社から北に30m行った所です。無農薬農産物は福岡県の黒木町の中村さんの知人から直接取り寄せています。

1番目の写真はこの中村さんの家の前の写真です。今日は特別に赤米の稲の苗を無料で配布していました。

2番目の写真は今度の販売日の6月12日(土曜日)の販売日の案内です。

3番目の写真は販売予定の農産物の一覧表です。八女茶、農家の梅干し、あんこ餅、原木栽培の干しシイタケ、五穀米、炭、フキの佃煮、干しゼンマイなどなどです。
楽しい売り場ですので、是非お出で下さい。私も楽しみにしております。

「梅雨の鬱陶しさを忘れさせるルノアールの油彩画」

2021年05月29日 | インポート
毎日暗い曇りの日が続いています。梅雨は鬱陶しい季節です。こういう時には印象派の油彩画を見ると気分が良くなります。
ここ数日はインターネットで印象派の油彩画を検索して数十枚見て梅雨の鬱陶しさを忘れています。そこで今日はルノワール(Pierre-Auguste Renoir )の油彩画を7枚お送りいたします。
ルノワールの油彩画はフランスやアメリカで何度も見ました。そして2016年06月、東京の新国立美術館での「ルノアール展」は感動的でした。ルノワールの103点の油彩画が一堂に展示してあったのです。この「ルノアール展」は圧巻でした。
ここにお送りする絵は私が好きなものです。特に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が大好きです。屋外で語り合う家族やダンスを楽しむ人々の明かるい表情と空気感に魅せられます。

1番目の写真は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。(1876年。油彩、キャンバス、131 × 175 cm。オルセー美術館蔵。第3回印象派展出品。)

2番目の写真は『ピアノに寄る少女たち』です。(1892年。油彩、キャンバス、116 × 90 cm。オルセー美術館蔵。)

3番目の写真は『浴女とグリフォンテリア』です。初期の作品です。(1870年。油彩、キャンバス、184 × 115 cm。サンパウロ美術館蔵。1870年サロン入選。)

4番目の写真は「舟遊びの昼食」です。(1880-81年。油彩、キャンバス、130.2 × 175.6 cm。フィリップス・コレクション蔵(ワシントンD.C.)。第7回印象派展出品。)

5番目の写真は「2人の姉妹」です。(1881年。油彩、キャンバス、100.4 × 80.9 cm。シカゴ美術館蔵。)

6番目の写真は『ラ・グルヌイエール』です。(。1869年にモネとともに『ラ・グルヌイエール』を制作した頃からは、セーヌ川やモンマルトルの風景を明るく描く印象主義的な手法を確立していきます。}

7番目の写真は「ポンヌフ」です。(1872年。油彩、キャンバス、75.3 × 93.7 cm。ナショナル・ギャラリー蔵、ワシントンD.C.)

ここでノワールの略歴をご紹介しておきます。
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir )は1841年に生まれ、- 1919年に亡くなりました。フランスの印象派を代表する画家でした。
彼はにフランス中南部のリモージュで貧しい仕立屋の息子として生まれます。1854年(13歳)に、磁器の絵付職人の見習いとなり、その後は扇子の装飾画の職人としての仕事をしています。しかし1861年(20歳)の時、画家になることを決意してシャルル・グレールの画塾に入り、ここでモネ、シスレー、バジールら画家仲間と知り合ったのです。彼等とはフォンテーヌブローの森で一緒に写生もしていたのです。
1864年(23歳)にサロン・ド・パリに初入選し、以後度々入選していました。これでノワールは印象派画家として有名になります。
しかし始めは経済的に苦しく、親友バジールのアトリエを共同で使わせてもらった時期もあったのです。
いろいろな事がありましたが、ルノアールは常に絵筆を握り感動的な絵画を78歳で死ぬまで描き続けたのです。晩年にリウマチのため絵筆が握れなくなっても、絵筆を腕に括り付けて絵を描き続けたのです。 

このルノアールに師事して印象派の絵画を学んだ日本人がいました。梅原龍三郎です。
1908年(明治41年)にフランスに留学し、帰国する高村光太郎のアトリエを引き継いでパリに滞在しました。そして尊敬していたルノワールから印象派の油彩画の指導を受けたのです。

8番目の写真は梅原龍三郎の代表作、「紫禁城」です。(1942年、東京国立近代美術館蔵)
私は梅原龍三郎の人物画のデッサンが下手だと思います。しかし色合いに独特の境地を作り出しています。梅原龍三郎の海外での評価はどうなのでしょう?
梅雨は鬱陶しい季節です。今日はこの鬱陶しさを吹き飛ばすために印象派のルノアールの油彩画をお送り致しました。皆さまの気分も良くなりましたでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)