後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「車の思い出(2)トヨタ・スープラとマツダ・ロードスター」

2021年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
長い間私は経済的な小型の実用車ばかりに乗っていました。トヨタのパブリカ、カローラ、 ホンダのシビックカントリーなどです。しかし子育ても終わり気持ちに余裕が出てきたころにスポーツカーを買う決心をしました。
その頃トヨタはスープラをスポーティセダンと言う言葉を用いて盛んに広告をしていた。
あまりにも華麗な姿なので、初代スープラ、1G-EU を1987年に購入しました。スポーツカーのように見えましたが乗り心地は2000ccクラスの乗用車と同じでした。エンジン性能も乗用車と同じでした。排気量1988CC,OHC-自然吸気、出力105馬力、最大トルク、16.0kg-m/4000rpm でした。しかし視界が悪くて取り回しが難しい車です。後部座席の定員は2名でしたが座席が小さすぎて大人2人は無理でした。
しかし、ボデーの色が輝くような白色で、形も綺麗だったので家人が気に入っていました。子供も独立していたので夫婦2人で乗ることが多かったので不便はありませんでした。幸い故障もなかったので、8年くらい乗ったのです。終いには冷却水の循環速度を制御する車載コンピューターが壊れ修理が難しくなったので止めにした。
乗用車のように乗り心地が良かったので長距離の神戸、京都、長野、仙台などへも行きました。

1番目の写真は1987年8月30日に、家人と2人で富士スバルラインを登り5合目で撮った写真です。

2番目の写真はスープラの白い華麗な姿の写真です。
スープラに8年も乗りましたが、この車は見かけはスポーツカーですが乗用車だったのです。スープラに乗っていると昔アメリカ\で一度だけ乗ったイギリスのスポーツカーのMGを懐かしく思い出します。
1960年にオハイオ州に留学した時、学生街の道傍にイギリス製の真紅のMGのスポーツカーがよく駐車していました。シンプルなダッシュボードに木目のハンドルがついています。
軽快な車体のフォルムが流れるように美しい。そばを通るたびにMGのところで、しばし足を止め眺めました。
アメリカ人の同級生にMGで通学している中年の男がいました。空軍大佐で、引退後の転職の準備に博士の学位をとりに来ていたのです。あるとき、そのMGで家まで招待してくれたのです。車体が軽くてスピードを上げると飛び上がるように疾駆します。エンジンのゴロゴロという音が体をしびれさせます。
それ以来、一生の間に一度はMGのようなスポーツカーを持ってみたいと考えるようになったのです。
それから30年以上たって子供もずいぶん前に独立しました。最後のチャンスと思いMGと同じような軽スポーツカーのマツダ・ロードスターの中古を買いました。いすず・ウイザード3500ccの他にもう一台買ったのです。
エンジンにガタが来ていてもどうせ3年だけと決めて買いました。マリンブルーの中古です。3年間、山の小屋や土浦のヨットへと散々乗った後で予定通り売ってしました。

3番目の写真は私のマツダ・ロードスターです。多摩川の羽村の堰で撮った写真です。後ろに多摩川が写っています。

4番目の写真はこのロードスターの幌を開けた後ろ姿です。
スポーツカーに3年乗った結論です。スポーツカーは見かけほどロマンチックな代物ではないのです。椅子が硬くて、バネが最小限度しか付いていないので腰が痛くなります。椅子が低い位置にあり、ドアーが小さいので乗り降りが非常に不便です。タイヤの音が大きいので4輪すべてを一番静かな新品タイヤへ変えたが、やはりうるさいのです。屋根が幌なので他の車の騒音が入って来るのです。
快晴のときには幌を畳んで走ると、たしかに爽快です。しかし埃や砂粒は遠慮なく顔を叩くのです。陽射しもまともに顔に当たります。寒い日には暖房を最強にして乗りましたが顔がこわ張るほど冷たくなります。
家人も最初は喜びましたが冷たい風や陽射しもまともに顔に当たるので堪忍してと言います。いろいろ欠点も有りましたが長年の夢がかなって満足しました。

今日はトヨタ・スープラとマツダ・ロードスターにまつわる思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)