早春の武蔵野の雑木林の写真を撮ろうと思い平林寺かいわいを彷徨いました。
そうしたら平林寺そのものが武蔵野の雑木林に埋まるようになっているのです。お寺と雑木林が一体になっています。
そんな武蔵野の雑木林と平林寺の今日の風景写真をお送り致します。
そんな武蔵野の雑木林と平林寺の今日の風景写真をお送り致します。
平林寺について少し説明をしておきます。
このお寺は埼玉県の新座市の市役所の西隣にあります。東京ドーム9個ぶんの広大な境内があり、そこには武蔵野の雑木林がそのまま保存してあります。昭和天皇がその武蔵野の様子をわざわざ見に行ったことで一層有名になりました。
最後の写真の門を入ると立派な山門があります。築350年の風格のある山門です。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に移築された山門です。埼玉県指定有形文化財(建造物)です。
平林寺の本堂には本尊の釈迦如来坐像と達磨大師坐像等が祀られています。本堂は、江戸末期の火災で焼失した旧堂に近い形で明治期に再建されたものです。
境内の裏には野火止塚(のびとめづか)があります。野火止塚は昔武蔵野に散在していた塚で何のために使われたか不明な不思議な塚です。一説によると野火を見はり、その類焼を防ぐための塚だったと言われています。
平林寺の塚は昔から境内にあったものです。平林寺の境内には昔のままの武蔵野が残っているのです。
さて平林寺は永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。
徳川家康の関東移転の時に家臣として三河国から共に上京した大河内秀綱が岩槻の平林寺の大檀那となって山門や仏殿等の伽藍の再建を行いました。
秀綱の孫で、松平家の養子となった松平伊豆守信綱も徳川家に仕え、第3代将軍家光、第4代将軍家綱のもとで幕府老中を務めます。
岩槻にあった平林寺は、寛文3年(1663)信綱の遺命によって野火止(のびとめ)に移転されます。この地には、信綱が開削した玉川上水から分水された野火止用水が流れ、平林寺にも平林寺堀が引かれます。
水の利を得た地域一帯は、新田開発が進むと共に江戸近郊の農業生産地として発展したのです。現在はそのあたり一帯は新座市になって、その市役所は平林寺の東の真向かいにあります。
平林寺には自然の武蔵野や野火止塚が保存してあり大変魅力的な散策が楽しめます。秋の晴天の日に是非お出掛け下さい。
有料駐車場は入口の総門の左50mの場所にあります。墓参用の駐車場とは別です。平林寺への入場料は入り口の門で払います。
電車ではJR武蔵野線 の新座駅から徒歩10分くらいで行けます。