後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ベトナム・ダナンの街中に溢れる南国の花」

2022年09月10日 | 写真
ベトナム・ダナンの街中に溢れる南国の花の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://danang.style/tourism/290 です。
の写真はヨウテイボクです。ダナンではぽつぽつと歩道の街路樹として植えてあることが多いそうです。
2番目の写真はアデニウムです。
寺院の鉢や家の鉢植えに咲いている色鮮やかな綺麗な花です。
暑さに強い熱帯植物で、「砂漠のバラ」とも呼ばれています。
3番目の写真はプルメリアです。
南国を代表する花で、色は、白、ピンク、濃いめのピンク、などがあります。
4番目の写真はブーゲンビリアです。
ブーゲンビリアはベトナムで簡単に栽培できることから、ベトナムの多くの人の自宅で栽培されています。
花は一枚一枚薄く、光を通すので、紙花(Hoa giấy)と呼ばれています。
5番目の写真はDuy Tân大学周辺の白、オレンジ、ショッキングピンクのブーゲンビリアの木です。ベトナムのダナンの街の風景です。

「激しい戦争が続いたベトナムと、その宗教事情」

2022年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はベトナムにあった激しい戦争とこの国の宗教事情を書きたいと思います。第二次世界大戦の終戦後ベトナムでは激しい戦争が続きました。現在のベトナム、カンボジア、ラオス地域には大きな戦争が2度あったのです。1946年から1954年のベトナムとフランスの間のベトナム独立戦争と1964年から1973年の主にアメリカ軍が介入したベトナム戦争です。
1946年から1954年の8年間のベトナムとフランスの戦争で、フランスは航空機177機を失いました。フランス軍は7万5000人、フランス軍以外のフランス連合軍は1万9000人、合計9万人が戦死しました。ベトナム側は兵士50万人の死傷者と25万人の民間人戦死者を出したのです。これは悲惨な大戦争でした。この後のベトナム戦争でも同じように多数の戦争犠牲者が出ます。しかしこの2つの戦争でベトナムはインドシナ半島からフランスとアメリカを完全に駆逐したのです。
始めのベトナム独立戦争はホーチミンが主導しました。そしてグエンザップ将軍が率いるベトナム軍がディエンビンフーでの戦いで勝利し、フランス軍が降伏したのです。

1番目の写真は晩年のホーチミンです。

2番目の写真はグエンザップ将軍(左)とホーチミン初代ベトナム民主共和国主席です。
第二次世界大戦の終戦時にインドシナに進駐、駐留していた日本軍の総数は約9万でした。その内の800名がベトナム独立軍に参加しました。最終的に仏軍との本格的な戦闘突入後は600名がベトナム全土で戦ったのです。そのうえ日本軍の航空機や戦車をはじめとした兵器がベトナム独立軍に渡ったのです。
私は1990年頃にハノイに行き、ホーチミンの記念館を訪問しました。その記念館には、ホーチミンの写真やディエンビンフーでフランス軍を敗ったグエンザップ将軍の写真などが、生前に使っていた家具や文房具類とともに展示してありました。

3番目の写真はハノイにあるホーチミン廟です。
それからいろいろな事がありました。
10年間にわたるベトナム戦争があり改革開放政策がありました。1976年、米軍がサイゴンを放棄し、ヘリコプターで最後の脱出をしました。その後、ドイモイ政策に協力して数多くの日本の企業がベトナムに投資し、また多くの工場も作りまました。1994年に私はサイゴンも訪問しました。ホンダのバイクが大河の奔流のように流れて行く光景を見ました。ほかに楽しみのないベトナム人家族の夜の娯楽です。
次に共産党独裁のベトナムの宗教事情を書きたいと思います。宗教は大乗佛教が国民の大半を占めています。その他に道教、カトリック教会が優勢です。中部ではイスラム教、南部ではホアハオ教や、カオダイ教があります。公的に認められた宗教は、仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教、ホアハオ教の六つです。このうちカオダイ教とホアハオ教の二つは、ベトナム独自の宗教です。カトリック教会は、バチカン市国と国交を樹立していません。プロテスタントに関しては、アメリカの宣教団体からの布教が強かった経緯もあり南ベトナム地域に多いのです。
それぞれの公認教団の信徒数は、2008年の資料では仏教1,000万人、カトリック550万人、カオダイ教240万人、ホアハオ教160万人、プロテスタント100万人、イスラム教6万5千人となっています。憲法では信教の自由を人民に保障しています。しかし一方で信仰に制限があることも法律に明記しています。

2001年、2004年に、ベトナム政府に土地を奪われたプロテスタントの山岳民族による暴動が原因で、プロテスタントの弾圧が起きました。また、政府非公認教団である「統一ベトナム仏教教会」が弾圧に抗議して1992年に騒擾事件を起こす事件も発生していますい。このようにベトナムでは宗教にからんだ騒乱が度々あります。

それから共産党員はホーチミンを宗教信仰のように信仰する傾向が強いと言います。ホーチミン信仰は宗教ではありません。しかしベトナムにおける特異な信仰なので付記しました。

今日は激しい戦争が続いたベトナムの宗教事情をご紹介致しました。今日の記事では、ベトナム - Wikipedia、の資料を参考にしました。記して感謝いたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)