1946年から1954年の8年間のベトナムとフランスの戦争で、フランスは航空機177機を失いました。フランス軍は7万5000人、フランス軍以外のフランス連合軍は1万9000人、合計9万人が戦死しました。ベトナム側は兵士50万人の死傷者と25万人の民間人戦死者を出したのです。これは悲惨な大戦争でした。この後のベトナム戦争でも同じように多数の戦争犠牲者が出ます。しかしこの2つの戦争でベトナムはインドシナ半島からフランスとアメリカを完全に駆逐したのです。
始めのベトナム独立戦争はホーチミンが主導しました。そしてグエンザップ将軍が率いるベトナム軍がディエンビンフーでの戦いで勝利し、フランス軍が降伏したのです。
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1番目の写真は晩年のホーチミンです。
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2番目の写真はグエンザップ将軍(左)とホーチミン初代ベトナム民主共和国主席です。
第二次世界大戦の終戦時にインドシナに進駐、駐留していた日本軍の総数は約9万でした。その内の800名がベトナム独立軍に参加しました。最終的に仏軍との本格的な戦闘突入後は600名がベトナム全土で戦ったのです。そのうえ日本軍の航空機や戦車をはじめとした兵器がベトナム独立軍に渡ったのです。
私は1990年頃にハノイに行き、ホーチミンの記念館を訪問しました。その記念館には、ホーチミンの写真やディエンビンフーでフランス軍を敗ったグエンザップ将軍の写真などが、生前に使っていた家具や文房具類とともに展示してありました。
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3番目の写真はハノイにあるホーチミン廟です。
それからいろいろな事がありました。
10年間にわたるベトナム戦争があり改革開放政策がありました。1976年、米軍がサイゴンを放棄し、ヘリコプターで最後の脱出をしました。その後、ドイモイ政策に協力して数多くの日本の企業がベトナムに投資し、また多くの工場も作りまました。1994年に私はサイゴンも訪問しました。ホンダのバイクが大河の奔流のように流れて行く光景を見ました。ほかに楽しみのないベトナム人家族の夜の娯楽です。
次に共産党独裁のベトナムの宗教事情を書きたいと思います。宗教は大乗佛教が国民の大半を占めています。その他に道教、カトリック教会が優勢です。中部ではイスラム教、南部ではホアハオ教や、カオダイ教があります。公的に認められた宗教は、仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教、ホアハオ教の六つです。このうちカオダイ教とホアハオ教の二つは、ベトナム独自の宗教です。カトリック教会は、バチカン市国と国交を樹立していません。プロテスタントに関しては、アメリカの宣教団体からの布教が強かった経緯もあり南ベトナム地域に多いのです。
それぞれの公認教団の信徒数は、2008年の資料では仏教1,000万人、カトリック550万人、カオダイ教240万人、ホアハオ教160万人、プロテスタント100万人、イスラム教6万5千人となっています。憲法では信教の自由を人民に保障しています。しかし一方で信仰に制限があることも法律に明記しています。