後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「白くて柔らかい食べ物のお話」

2022年09月17日 | うんちく・小ネタ
白くて柔らかい食べ物?  それは豆腐の話です。
さて早速ですが豆腐料理の写真をご覧ください。

1番目の写真は我が家でよくたべる「冷や奴」です。
写真の出典は、https://park.ajinomoto.co.jp/recipe/card/705616/ です。

2番目の写真は甘辛い味噌を塗った「味噌田楽」です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90 です。

3番目の写真は甘辛い醤油味で煮込んだ「雁もどき」です。写真の出典は2番目の写真と同じです。
ところで日野市に美味しい豆腐を売っている店があるます。「とうふ処三河屋」です。写真をご覧下さい。「とうふ処三河屋」の写真は家内が撮ってきたものです。

4番目の写真は「とうふ処三河屋」の 高幡本店です。

5番目の写真も「とうふ処三河屋」の 高幡本店の店内の写真です。アクセスは、https://www.mikawaya12.com/ に出ています。
さて豆腐の物語です。豆腐の起源についてはいろいろな説がありますが、16世紀に編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたと書いてあるのです。真偽については分かりませんが中国ではそのように信じられています。
そして豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90 )
日本へ豆腐は中国から伝えられました。遣唐使によるとする説が最も有力で、空海によると一般に信じられています。
豆腐はアジアの広範な地域で古くから食べられてきました.中国本土、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシアなどでは現在も日常的に食べられています。
アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な国々で、"tofu "と書かれて食べられています。
欧米諸国へ導入されたのは17世紀です。清で布教したスペインのドミニコ会宣教師が欧米に紹介したことになっています。
20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、健康的な食品への関心の高まりによって豆腐が注目を集めるようになります。
さて江戸時代の日本では『豆腐百珍』という本が書かれました。この本では100種の豆腐料理の調理方法を解説しています。ちょっと面白いのでご紹介します。
豆腐百珍では、豆腐料理を以下の6段階に分類・評価しているのです。
1、尋常品:どこの家庭でも常に料理するもの。木の芽田楽、飛竜頭など26品。
2、通品:調理法が容易かつ一般に知られているもの。料理法は書くまでもないとして、品名だけが列挙されている。やっこ豆腐、焼き豆腐など10品。
3、佳品:風味が尋常品にやや優れ、見た目の形のきれいな料理の類。なじみ豆腐、今出川豆腐など20品。
4、奇品:ひときわ変わったもので、人の意表をついた料理。蜆もどき、玲瓏豆腐など19品。
5、妙品:少し奇品に優るもの。形、味ともに備わったもの。光悦豆腐、阿漕豆腐など18品。
6、絶品:さらに妙品に優るもの。ただ珍しさ、盛りつけのきれいさにとらわれることなく、ひたすら豆腐の持ち味を知り得るもの。湯やっこ、鞍馬豆腐など7品。
(『豆腐百珍 原本現代訳』教育社新書 ISBN 978-4315506846)。

それはさておき、 「とうふ処三河屋」は日野市に高幡本店と万願寺店があります。詳しくはhttps://www.mikawaya12.com/ をご覧ください。
以前にこの店からおぼろ豆腐、寄せ豆腐、雁もどき、厚揚げを買って来ました。
夜におぼろ豆腐に生姜をおろしてかけ、醤油をたらして食べました。大豆の香りがしてふくよかな絶品でした。
雁もどきの方は出汁砂糖醤油みりんで煮ました。口に入れると粗挽きの大豆とごぼう、黒ゴマなどの歯ごたえが絶品です。嗚呼、豆腐は大豆から作るのだと納得します。上質の揚げ油と原料の大豆の美味しさがよく分る雁もどきなのです。
美味しい豆腐を食べると懐かしさと幸福感が湧いてきます。

皆様のお住まいの近所に美味しい豆腐を売っているお店があるでしょうか?
今日は豆腐の起源や豆腐のものがたりを書きました。そして美味しい豆腐を売っている「とうふ処三河屋」をご紹介いたしました。

「大きな花々の写真を見ると元気になる」

2022年09月17日 | 写真
私は大きな花々の写真を見ると元気になるのです。
写真は順に、ムクゲ、サボテン、ヒマワリです。
写真は「大きな花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。
 
 

「秋愁、霞ヶ浦、猪苗代湖の秋風を想い、亡き友を偲ぶ」

2022年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
来週は秋のお彼岸です。彼岸がすぎると秋が深まって行きます。彼岸という言葉を見るとあの世に旅立った親、親類、恩人、友人のことを思い出します。
毎年、秋になると75歳まで楽しんでいた霞ヶ浦や猪苗代湖のヨットの風景を思い出します。秋空の下で清涼な風を帆いっぱいに受けて走るヨットの光景です。

1番目の写真は2010年の秋に撮ったヨットと秋の空の写真です。
ヨットの趣味は50歳の頃始めました。始めの2年ほどは江の島や葉山のマリーナの沖に出ました。
そして琵琶湖から中古の小型クルーザー・Yamaha19を買い、霞ヶ浦マリーナへ陸送して来ました。その後私は茨城県の県庁が管理している係留場所へ船を移動し、そこに22年間係留していました。
そして62歳の頃、少し大きなJoyrack 26を買いまさた。これも中古でした。
秋になると霞ヶ浦や猪苗代湖で何度も一緒にヨットに乗った大学学時代の2人の友人をよく思い出します。星野君と大友君です。2人とも旅立ってしまいました。
2番目の写真は霞ヶ浦をセイリングしている星野君(右)と大友君(左)です。2人とも大学時代の友人です。星野君は私のヨットに来る時は毎回よく冷えたシャンパンの瓶を担いで来ました。シャンパンを美味しく飲むにはシャンパングラスが必要だと、そのグラスまで冷やして断熱バッグに入れて持って来くれました。  
3番目の写真はヨットの上から見た霞ヶ浦の夕方の風景です。大友君とは霞ヶ浦と相模湾でよく一緒にヨットに乗りました。ある時は古い巡視艇で相模湾を横断し、初島に行って一緒に泊まった思い出もあります。
そして星野君とは猪苗代湖の花春カップ・レースに何度か出たことがあります。 
4番目の写真は猪苗代湖をセイリングしているヨットの写真です。星野君が猪苗代湖で所有していたヨットはこの写真のヨットによく似ていました。彼のヨットのキャビンは大きくて夜には一緒にビールを飲みます。窓の外の波の向こうには黒い磐梯山がそびえていました。

5番目の写真は磐梯山と猪苗代湖の風景です。毎年、秋になると75歳まで楽しんでいた霞ヶ浦や猪苗代湖のヨットの風景を思い出します。そして何度も一緒にヨットに乗った大学学時代の2人の友人、星野君と大友君をよく思い出します。2人とも旅立ってしまいました。秋は何故か旅立った親、親類、恩人、友人のことを思い出す季節です。皆様はいかがでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)