後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「欧米人と日本人の趣味の大きな違い」

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

あなたの趣味は何ですか?と聞かれると返事に困ります。実は現在は無趣味なのです。昨日、「私の妻と馬の絆の写真集」という記事を書きました。妻の趣味だった乗馬のことをかなり詳しく書きました。

しかし考えてみると乗馬は欧米の趣味で日本人の趣味ではありません。日本ではごく少数の人が楽しんでいるマイナーなものです。そこで欧米人と日本人の趣味の大きな違いに気が付いたのです。その証拠です。
日本の乗馬人口は71000人位です。ところが「ドイツ」では250万人、「イギリス」では250~400万人、「フランス」ではは150万人ほどいるそうです。日本の人口を考えると日本は乗馬人口が極端に少ないのです。延べ年間500万人ともいわれるゴルフのようなメジャースポーツと比べると極端に少ないのです。(https://teiji-taisha.com/horseriding-population-in-japan )
日本では普段の生活に馬が見られず馬を見るのが珍しい環境です。馬に乗る機会も非常に限られています。伝統文化の違いからヨーロッパの人は馬の扱い方も馬とのコミュニケーション能力も格段に違うのです。
以上のように乗馬は欧米の趣味で、日本の趣味ではありません。

もう一つ、欧米人と日本人の趣味の大きな違いの例を上げます。ヨットの趣味です。

私は昔クルーザーヨットの趣味を25年間楽しみましたが、その趣味も日本の趣味ではありません。イギリスでは1720年に記録に残っている最古のヨットクラブ「コーク・ウォーター・クラブ」がアイルランドに設立された。これは現在の「ロイヤル・コーク・ヨットクラブ」の祖です。 以後、19世紀にかけてヨーロッパ、アメリカの富裕層を中心に各地にヨットクラブが設立されたのです。18世紀にもアイルランドとイングランドのクラブ同士でレースが行われています。19世紀になって大掛かりな国際ヨットレースが行われるようになりました。

19世紀後半にはディンギーと呼ばれる小型艇のレースも始まり、第一次世界大戦後に盛んになったのです。1875年にイギリスで設立されたヨット競技協会(YRA)によって統一的なルールと6段階のクラス分けが制定されtげいます。

1番目の写真は24フィートの帆船 のヨットレースです。 写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。 シドニー港です。

2番目の写真はのクルーザー級の帆船のヨットレースです。写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。

3番目の写真はクルーザー級のヨットレース(2013年)です。写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。

以上のように欧米と日本の趣味を比べると比較文化人類学の問題になってしまいます。興味の尽きない問題です。
日本人の趣味は以下のようなものです。趣味に関する調査結果です。

男性は「スポーツ」「読書」「パソコン/インターネット」、女性は「読書」「旅行」「音楽鑑賞」「料理」が上位を占める結果となり、「趣味はない」と回答した人は、2.3%にとどまりました。ちなみに妻は学生時代短距離走ソフトボール。そしてスケートは60歳迄続けました。85歳の現在はランニングだけですが、観戦は野球、相撲の他スポーツ全般を好んでいます。

大人男性の趣味ランキングは?

1.スマホゲーム スマホゲームはいつでもどこでもできるため、人気の趣味です。 .2.カラオケ・一人カラオケ ...

3、読書 ...

4,一人旅

5.英会話教室 ...

女性の場合は、

1.在宅ワーク ...

2.一人旅 ...

3,御朱印巡り ...

4,ドライブ

そしてスポーツではゴルフが目立ちます。延べ年間500万人ともいわれるゴルフのようなメジャースポーツがあるのです。

欧米と日本の趣味を比べると比較文化人類学的に興味の尽きない問題なので今後考を深めて行きたいと思います。


「秋の思い出、あけび、栗、柿、そしてススキのある風景」

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりました。秋になるとあけびや栗や柿そしてススキのある風景などを思い出します。
戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿と栗しかありませんでした。冬になれば果物店に青森の林檎や静岡のミカン並びがましたが、一般的に果物は貴重品でたまにしか食べられませんでした。
そんな時代の1950年頃に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜でした。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になったアケビでした。
すぐに取って、中の果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。
この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。
・・・それからいろいろな事がありました。あっという間に25年が過ぎ去りました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行ったときに小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、彫刻用の木版に彫って小屋に取り付けました。
・・・それからまたいろいろな事がありました。あっという間に15年が過ぎ去りました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットの店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞ヶ浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に墨黒々と「あけび号」と書いてあります。
その10年後に少し大きな中古ヨットを買いましたが、その登録名は「あけびⅡ号」としました。
アケビの実は不思議です。私の人生の大切なものになりました。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきて幸せな気分になるのです。
ある新聞に次の句がありました。「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」  松井矢菅
そして日本の秋には伝統行事があります。
秋の夜に澄んだ虫の声を聞いて楽しむのも日本の伝統です。秋の七草の花々を愛するのも日本の万葉集時代からの伝統です。満月にススキと団子を供えるもの昔の習慣でした。昔は野原がいっぱいありました。その原っぱには必ずのようにススキの穂が秋風に揺れていました。そんな事を思い出しながら毎年秋になるとススキの写真を撮りに行きます。この界隈でススキが群生している所は都立武蔵野公園です。
秋になると何度も家内と一緒に箱根の仙石原のススキの群生の風景を見に行きました。その風景を思い出します。秋になり色々なことを思い出す今日この頃です。

写真にあけびや秋の果物、そしてそしてススキのある風景の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真はアケビです。あけびの写真の出典は、http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/2344/recipe/oba-chan/akebikawa.htmです。
2番目の写真は栗です。栗の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/syumi-uu/m/200609 です。
3番目の写真は色々な秋の果物です。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22654001497&GroupCD=0&no= です。
4番目の写真は都立武蔵野公園で撮ったススキです。
5番目の写真は箱根の仙石原のススキの群生です。写真の出典は、http://jere.blog1.fc2.com/blog-entry-628.html です。尚この出典には美しい花の写真が沢山掲載されている楽しいブログです。花のお好きな方へお薦めのブログです。
===付録========================= 
ススキが一面に広がって風に揺れている風景は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にもあります。
・・・ジョバンニは,白鳥と書いてある停車場のしるしの,すぐ北を指しました。
「さうだ。おや,あの河原は月夜だらうか。」
そっちを見ますと,青白く光る銀河の岸に,銀いろの空のすゝきが,もうまるでいちめん,風に さらさらさらさら,ゆられてうごいて,波を立ててゐるのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョ バンニは云ひながら,まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。・・・

このように日本人はいろいろなススキにまつわる心象風景を持っているのです。