もうすぐ春です。春の花の写真をお送り致します。写真は順に、バラ、チューリップ、クレマチス、ネモフィラ、シャクヤクです。写真の出典は、https://greensnap.jp/article/7804 です。
昭和時代は1926年から1989年までの64年間です。しかし私の昭和の思い出は1936年から1960年までです。1936年に仙台で生まれ1960年にアメリカ留学のため仙台を離れるまでの24年間だけです。
1962年の帰国後も昭和でしたが東京に移り住んだ私にとって東京の生活は何故か「昭和時代」とは思えません。あの仙台での貧しく、楽しかった生活とはあまりにも違ってしまったのです。24歳で仙台を離れすぐにアメリカで結婚したせいもあります。
そこで今日は「昭和の思い出」の連載の総集編として仙台にまつわる写真を9枚お送りしてこの連載記事の終わりといたします。
1番目の写真は青葉城跡の高台から見た現在の仙台です。昭和9年11月9日にベーブ・ルースやルー・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームが仙台に来ました。仙台の青葉城の後に広がる八木山球場で全日本チームと試合をしたのです。
2番目の写真は広瀬川と背後の青葉城跡のある山の写真です。ベーブ・ルースがホームランを打った八木山球場は背後の山の向こう側にありました。
3番目の写真は東一番丁の七夕飾りです。大町通りの七夕飾りも華やかでした。毎年、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景です。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。父母が健在だったあいだは毎年仙台に帰省していました。
4番目の写真は当時住んでいた向山にあった東洋館という料亭です。東洋館からは仙台の中心街が見下ろせるのです。そして向山には長徳寺や大満寺や愛宕神社もありました。
5番目の写真は広瀬川の評定河原橋付近から見た風景です。以前、帰郷した時に家内が車窓から撮りました。写真の左の小高い山は経ケ峰で伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿があります。競技用の広場は東北大学のものでした。
6番目の写真は青葉城跡から見た経ケ峰です。伊達政宗の霊廟があります。
7番目の写真は達政宗のお霊屋の瑞鳳です。
さて私の生まれ育った向山には亜炭を掘り出す横穴があちこちにありました。亜炭を燃料にして風呂を沸かしていました。
8番目の写真はある博物館に展示いてあろ大きな亜炭の塊です。
9番目の写真は亜炭を掘り出す横穴の様子です。当時向山の山裾にはこんな横穴が幾つもありました。
我が故郷の仙台もすっかり変わってしまいました。仙台を24歳の時離れてから茫々60年以上もたってしまいました。
今日は「昭和の思い出」の連載の総集編として仙台にまつわる写真を9枚お送りしました。変わってしまった仙台の写真です。
日本の地方都市の変わりようは何処も激しいものです。皆様の故郷はどのように変わったでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料====================================
(1)「完全に消えてしまった三つの沼と亜炭という不思議な燃料・・・こんなことは全国にあるでしょうが」(2014年04月09日掲載)
(2)「我が故郷、仙台の戦前の風景を懐かしむ」(2015年08月10日 掲載)
(3)「遥かなる我が故郷、仙台への小さな旅」(2017年06月02日 掲載)
(4)「夏になると我が故郷仙台の七夕を思い出す」(2019年08月15日掲載)
(5)「完全に消えてしまった追憶の中のふるさと、仙台」(2010年10月21日 掲載)