1番目の写真はフランシスコ法王です。(2014年8月撮影)教皇就任 は2013年3月13日でした。
2番目の写真はフランシスコ神父さまが長崎を訪れたことを記念する原爆落下中心碑です。法王は2019年11月23日から11月26日まで日本を訪問しました。
フランシスコ神父さまは1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでイタリア系移民の子として生まれました。さて2023年の四旬節にあたって次のような教皇メッセージを出してます。
・・・親愛なる兄弟姉妹の皆さん
マタイ、マルコ、ルカの福音書は、いずれもイエスの変容のエピソードを描いています。そこでは、弟子たちがご自分を理解できなかったことへのイエスの反応を見ることができます。その少し前、イエスが神の子キリストであると信仰告白した後にその受難と十字架の予告を否定したペトロと師との間には、激しい衝突がありました。イエスは彼をきつく叱責しました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」(マタイ16・23)。それに続いて、「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(マタイ17・1)のです。・・・
以下は、https://www.cbcj.catholic.jp/2023/02/24/26555/ に掲載されています。
私は四旬節の間、日本の土になった2人の外人神父んもことをあれこれ想います。フランスから来たド・ロ神父さまとロシアから来たニコライ神父さまです。
さてド・ロ神父さまですが、彼は美味しいソーメンを作って九州の人々を助けました。そのド・ロさまソーメンを現在でも製造している会社が長崎にあります。
(株式会社サンフリード、http://www.sunflead.co.jp/ )
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任したフランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)のことです。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら障害者の為の授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、フランスに残してあった私財を投じてパン、マカロニ、ソーメン作りの工場を建て製造技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
3番目の写真は出津教会です。ド・ロ神父はパリ外国宣教会所属で、1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎市外海地区において布教活動のために建てた教会です。
ド・ロ神父が設計した出津教会堂、大野教会堂、旧羅典神学校、旧大司教館および、社会福祉事業に関連する遺跡(ド・ロ神父遺跡、旧出津救助院)は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に加えられています。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/マルク・マリー・ド・ロ です。
次にロシアから来たニコライ神父さまをご紹介致します。彼は日本の土になったロシア正教のニコライ・カサートキンという人でした。ニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へ宣教のために行く決心をします。翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。日本に着いた1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、上野の谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。函館着任後に血の滲むような努力をし日本語を習得します。書道も研鑽し、日本の歴史や佛教も勉強しました。古事記や日本書紀も読破する勉強家でした。