小金井の南の崖下の野川沿いは一番早く櫻が咲く場所です。小金井公園の数百本の櫻が一斉に咲くのは1週間以上あとです。とにかく今日は野川へ行って見ました。やはり咲き出していました。しかし1分咲きです。咲いている木はまだ少なく一斉に満開になるのは未だ先のようです。今日の開花状況の写真をお送り致します。
昨日の「青春の冒険、北アルプスと南アルプスの縦走」という記事で、私が1959年23歳の時に日本の北アルプスを縦走したことを書きました。24歳の時には南アルプスも縦走しました。そうするとヨーロッパの本物のアルプスに憧れます。その写真集や雑誌の記事を見てますます憧れがつよくなりました。そしてヨーロッパの本物のアルプスを見る幸運は10年後に実現したのです。
1969年の夏からドイツに住みました。南ドイツのシュツットガルト市にあるマックス・プランク金属研究所で1年3ケ月の研究生活をしました。
シュツットガルトはスイスとフランス南東に近い所です。車を走らせると、スイスアルプスのアイガー山麓やレマン湖に行けます。インターラーケン、ボーデンゼー、シャッハハウゼンなどスイスへ何度も旅しました。フランス南東部のストラスブルグ市にも旅しました。
スイスは美しい国です。アルプスの山稜が残雪に輝き碧く澄んだ湖が散在しているのです。
今日はそんな美しいスイスの輝くアイガー北壁や紅葉のレマン湖をご紹介したいと思います。まず写真をお楽しみ下さい。
1番目の写真はアイガー北壁です。右にクライネ・シャイデック岳が写っています。出典は、http://intweb.co.jp/miura/mytrip/switzerland/switzer01.htm です。住んでいたシュツットガルト市からここまで車で3時ほどかかりました。
2番目の写真はアイガーの麓の町のグリンデルヴァルトです。ここに泊りました。ケーブルカーで更に高台に登りアイガーやアルプスの山稜の眺望を楽しみました。グリンデルヴァルトへは下のインターラーケンから登山電車で行ったこともあります。この写真はインターネットからお借りした写真です。
3番目の写真は美しいレマン湖の白鳥たちです。住んでいたシュツットガルト市からここまで車で3時間ですので度々訪ねました。
全身が黒い黒鳥も1羽いました。小学生の娘と幼稚園の息子が興奮してパンくずをやっていました。
写真の出典は、https://tabippo.net/redleaf_world/ です。
4番目の写真は紅葉したレマン湖です。写真の出典は、https://tabippo.net/redleaf_world/ です。
5番目の写真はシュツットガルト市から西に行き、ライン河を渡ったフランスのストラスブルグ市で撮った妻と娘と息子です。ライン河は車をフェリーに積んで渡りました。ここへも車で国境を越えてたびたび遊びに行きました。
さてスイスへの旅のエピソードを一つだけ書きたいと思います。フランケンシュタインの住んでいそうな民宿に泊まった怖い話です。
1970年、夏、チューリッヒのそばの田舎の民宿に泊まったのです。少し遊びすぎてトップリと日が暮れました。田舎道には街灯も無く漆黒の闇。遠方の農家の明かりがかすかに見えるだけです。行けども、行けども民家が無い。やがて貧しげな古風な一軒の民宿があったのです。案内を乞うと、ドアが開いて中年の大男が無言で現れる。顔がフランケンシュタインにそっくりなのです。ドイツ語で一泊したいが、と言う。無言で頷き、入れという身振りをする。2階の部屋へ泊まれという。薄暗い部屋には高さ3mもあるような古い洋服ダンスが壁ぎわにベットがある。何か出て来そうな気がしてタンスの方に眼が行ってしまう。フランケンシュタイン一族の子孫は、現在でもスイスに住んでいるとかいう。それを思い出しながら廊下を見ると、そこにも古風な扉の付いた大きなタンスがある。そっとタンスの扉を開けてみると分厚い本が積んである。表紙を開いてみると人体解剖の図が、色彩鮮やかに多数印刷してある。怖ろしい髑髏や骨格の解説図もあるのです。怖くて眠れない。ウトウトしていたら真夜中になってしまった。民宿は寝静まり物音一つしない。と、廊下の方でギ、ギーと扉が開く音がするではないか。家内も聞いたらしく、起きて見てきてという。意を決して見に行くと重い木のタンスの戸が半分開いている。誰も居ない。うず高く積んだ解剖書があるだけである。力いっぱい戸を閉めてくる。
1970年、夏、チューリッヒのそばの田舎の民宿に泊まったのです。少し遊びすぎてトップリと日が暮れました。田舎道には街灯も無く漆黒の闇。遠方の農家の明かりがかすかに見えるだけです。行けども、行けども民家が無い。やがて貧しげな古風な一軒の民宿があったのです。案内を乞うと、ドアが開いて中年の大男が無言で現れる。顔がフランケンシュタインにそっくりなのです。ドイツ語で一泊したいが、と言う。無言で頷き、入れという身振りをする。2階の部屋へ泊まれという。薄暗い部屋には高さ3mもあるような古い洋服ダンスが壁ぎわにベットがある。何か出て来そうな気がしてタンスの方に眼が行ってしまう。フランケンシュタイン一族の子孫は、現在でもスイスに住んでいるとかいう。それを思い出しながら廊下を見ると、そこにも古風な扉の付いた大きなタンスがある。そっとタンスの扉を開けてみると分厚い本が積んである。表紙を開いてみると人体解剖の図が、色彩鮮やかに多数印刷してある。怖ろしい髑髏や骨格の解説図もあるのです。怖くて眠れない。ウトウトしていたら真夜中になってしまった。民宿は寝静まり物音一つしない。と、廊下の方でギ、ギーと扉が開く音がするではないか。家内も聞いたらしく、起きて見てきてという。意を決して見に行くと重い木のタンスの戸が半分開いている。誰も居ない。うず高く積んだ解剖書があるだけである。力いっぱい戸を閉めてくる。
朝、目が覚め窓から見下ろすと、民宿の娘が向かいのパン屋から棒状のパンを抱えて帰ってくる。朝食は、パン、バター、ジャム、に大きなポットの熱い牛乳とコーヒーだけ。怖い顔の主人が座り、やはり怖い雰囲気の妻と娘が無言で給仕してくれる。ところが給仕の所作が実に丁寧で親切である。いかにも遠方から来た客人をもてなそうとしている気持ちがあふれている。暖かい雰囲気に包まれて質素な食事を楽しみながら、ゆっくりと食べる。朝食後、美味しかった。有難う。と主人へ言うとニャっとして「何処からですか?」、「シュツットガルトから来ました。日本人です。週末にはチューリッヒやボーデンゼーによく来ます」、「また是非ここに泊まって下さい」本当にまた泊まってくださいと心から言ってくれる。何故、昨夜、彼らと話もせず部屋に上がったのが悔やまれる。フランケンシュタインの亡霊を怖がったのがウソのように思う。
今日は美しいスイスの風景写真を示し、フランケンシュタインの住んでいそうな民宿に泊まった怖い話をしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)