キリスト教はヨーロッパ文化の根底にあって輝かしい文化をつくりました。キリストの教えは人類の貴重な遺産です。多くの日本人も理解し影響を受けています。しかし宗教は誤解され易い要素を持っています。誤解するととんでもないことになります。例えばキリスト教に心酔すると他の民族へも強要します。武力を使ってキリスト教信者になことを強要します。
しかし武力を使うことがキリスト教を冒涜しているのです。その一つの例は中世に活躍した「騎士修道会」です。
今日はこの騎士修道会とプロイセンの建国について書いてみたいと思います。それは日本の歴史では考えられない不思議なヨーロッパの歴史です。
「騎士修道会」とは十二世紀末に創設されたドイツ騎士修道会、テンプル騎士修道会、聖ヨハネ騎士修道会などです。これらを三大騎士修道会と言います。そして1143年にローマ法王ケレスティヌス二世はこれらの騎士修道会を賞賛し重用したのです。騎士修道会の武力を使ってキリスト教の布教をしたのです。しかし武力を使うことはイエスの教えを冒涜するものでした。
騎士修道会では修道僧が騎士を兼ねているのです。そして領主や王様に雇われ、騎馬軍団として彼等の権益を守ったのです。
この事実を当時のローマ法王は承認しドイツ騎士修道会を重用したのです。
これらのことを私は「ヨーロッパ文化の闇」と思います。
1番目の写真はドイツ騎士です。
写真の出典は、http://www.hobbyshop-sunny.co.jp/www/scale/view.php?id=13190 です。
2番目の写真は1143年、ローマ法王ケレスティヌス二世が騎士修道会のメンバーと会っている場面です。
写真の出典は、http://www.gregorius.jp/presentation/page_80.html です。
3番目の写真は「マルボルクのドイツ騎士団の城」です。現在のポーランド北部の都市マルボルクにあります。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/マルボルク城です。
中世の騎士修道会を私が何故、「ヨーロッパ文化の闇」と書くのでしょうか。
それはイエス様が武力を使うことを禁じたからです。「私はローマ人をエルサレムから追い出すために、武力を使わない」と言って、武力蜂起を期待していた人々へ宣言したのです。
イエス様の役目は全ての人々の罪の償いのために十字架につくことだったのです。
イエス様は、「騎士の武力で異教徒をキリスト教に改宗させなさい」とは絶対に言わないのです。武力行使はこの世の欲望に弱い人間が勝手にすることなのです。
さてドイツ騎士修道会はどこからその潤沢な活動資金を得たのでしょうか?
その資金は中世のヨーロッパの数多くの領主や王族の寄付です。
この世の権力者達はイエス様の教えの、「肉欲を捨て、隣人を助け、神に祈れ」という言葉を守れないのです。
しかし騎士修道会は自分の領土を守ってくれるのです。ですから騎士修道会に資金が集まりました。
ドイツ騎士修道会は現在のリトアニア、ポーランド西北部、ロシアのカリーニングラードに跨るバルト海東南沿岸を占領し、「プロイセン」という国家を作ってしまったのです。
その大義名分はバルト海沿岸に住む異教徒を征服し、カトリックに改宗させることにありました。当然、ローマ法王も大きな支援をします。
1309年、ドイツ騎士団は本部をヴェネツィアからマリーエンブルク(現マルボルク)に移します。これによってプロイセンが名実ともに騎士団の本拠地となります。これが
プロイセンの建国です。
ドイツ騎士団は、選挙で選ばれる総長を統領として、選挙君主制国家ないし宗教的共和国とも言える統治体制の「ドイツ騎士団国」を築きました。
騎士団国家は十四世紀には最盛期を迎え、騎士団の勃興と同じ時期に経済的に発展し始めた西欧に穀物を輸出し、経済的に
ハンザ同盟都市と深く結びついていました。
ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)やエルビンク(現エルブロンク)は、ドイツ騎士団の下で貿易都市として発展を遂げました。これらの都市は、大河の河口に位置し、川沿いの穀物を集散して栄えました。
3番目の写真は最盛期の「ドイツ騎士団の城」です。
さて現在でもドイツ騎士団は活躍している国があります。
ハンガリーで救急車を呼ぶとよくドイツ騎士団の救急車が来るそうです。他の組織の救急車は来るのが遅くてあてにならないそうです。
驚きは、とっくに消滅したと思われているドイツ騎士団が現在でも存在していることです。ドイツ語のホームページを公表しています。(http://www.deutscher-orden.at/content/site/home/index.html)
騎士が馬のかわりに救急車に乗って急病人を助けに来るのです。
日本では中世のヨーロッパで騎士修道会が重要な役割をしていたか詳しく知られていません。学校の歴史教育でも教えません。歴史上で重要な存在でしたが日本ではあまり知られていません。ヨーロッパ文化の闇の一つです。
ヨーロッパ文化は明治維新以来盛んに導入されてきましたが騎士道修道会も忘れるべきではありません。
今日はキリスト教を冒涜した騎士修道会の活躍とプロイセンの建国の歴史をご紹介致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=======参考資料============
(1)ドイツ騎士修道会:増永純也の研究資料:http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99msng.htm#hajimeni
十二世紀末に創設されたドイツ騎士修道会(ドイツ修道騎士団、ドイツ騎士団とも通称される)は、十字軍運動のただなかにあったこの時代に成立した特殊な宗教的・軍事的組織です。
(2)ドイツ騎士団 http://kotobank.jp/word/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
中世の三大宗教騎士団は十字軍時代に、騎士道精神と修道院精神との結合を目ざし、聖地巡礼の守護を主任務として結成された修道会です。
テンプル騎士団、ヨハネ騎士団・ドイツ騎士団などがあり、対異教徒戦や辺地の開拓に活躍しました。
(3)北方十字軍(ほっぽうじゅうじぐん)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D
あるいはバルト十字軍は、カトリックのデンマーク、スウェーデン、リヴォニア帯剣騎士団、ドイツ騎士団によって開始された十字軍のことです。北ヨーロッパおよびバルト海沿岸の異教徒に対して行われたカトリック教諸国の同盟による遠征でした。
http://drupal.cre.jp/node/1719 とhttp://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/00f8149ad182dce6515fa7b249b697dd もあります。
(4)ドイツ騎士団の活躍
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D_%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
1226年、異教のプロイセン人の度重なる侵入に悩んでいたポーランドのマゾフシェ公コンラート1世は、騎士たちに東部国境守護とプロイセン平定を依頼した。ドイツ騎士団はマゾフシェ公国の傭兵としてプロイセンを征服すると、リトアニア大公国と戦った。