後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「南ドイツの春の訪れを告げる花々」

2023年04月16日 | 写真
今日、外を歩いていたら青空が広がっていました。脈絡も無く50年ほど以前に住んでいた南ドイツの春の青空を懐かしく思い出しました。そんな訳で南ドイツの春の訪れを告げる花々の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://gardenstory.jp/stories/41299 です。


「趣味としての仏教、神道、そしてキリスト教」、その二

2023年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は仏教の教えを簡単に書きました。そこで今日はキリスト教を簡単至極に説明したいと思います。
分かり易く説明するために昨日のお釈迦さまの教えと比較しながら話を進めて行きたいと思います。
さてキリスト教は元来、中近東に住んでいたユダヤ民族の宗教でした。キリスト教はユダヤ人だけの民族宗教として、前 900年頃に旧約聖書が出来ました。それから、長い年代にわたって改正が続きました。
この旧約聖書は長い間、ユダヤ教の基本でしたが2000年前にイエス・キリストが根本的に改正をして世界の全ての民族に通用するキリスト教を作ってしまったのです。
この宗教の特徴は『神は唯一である。ですから一切の偶像崇拝は行わないこと』ということにあります。
仏教と比較しますとキリスト教では唯一の神が存在しますが、仏教では神の存在を認めていません。
お釈迦さま自身はあくまでも人間であって死んだら空(クウ)になるだけです。ですからお墓を作るな、仏像を作るなと言って入滅したのです。
人間はお釈迦さまの教えた「色即是空、空即是色」を理解し、固く信じることによって悟りの境地に入り恐れも悲しみもない幸福な状態になれると教えたのです。
「色即是空、空即是色」とはこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。ですから恐れも悲しみも空なのです。
一方、キリスト教では「全能の神は唯一である。この世のことに執着しないで天の神様のことを愛せ」と教えます。
佛教もキリスト教も、この世の全てのことに執着するなと教えている点は全く同じなのです。
ところが、いかにして執着しないことを実行するかという方法が全く違うのです。
佛教では修行をつんで悟りの境地に入るのです。神の助けもありません。
一方、キリスト教では「神を愛すにはイエスさまの教えに従え」と教えます。そうすれば「神やイエスさまが貴方を愛します」と教えます。
人間が神の愛、イエスさまの愛を信じ、確信出来れば、この世のことには執着しなくなります。いろいろな悪い欲望が消えるので心が平和になります。幸福になれます。これがキリスト教のエッセンスです。
仏教とキリスト教の違いは仏教では神がありませんが、キリスト教では神が中心になっています。

さてユダヤ民族だけのためにあった古いキリスト教が世界中の全ての民族へも普遍的に通用するようにしたのがイエスさまでした。
その改革の重要な部分を考えて見ましょう。
それはは「神は全ての人を、異民族も平等に愛す」と言い出したのです。異教徒のサマリア人も愛したのです。取税人も愛したのです。
このことを世界中に説明するために、イエスさまは弟子たちに全ての言語が話せるようにして外国へ派遣したのです。
これは神は人種、職業、金持ち、貧しい人を問わず全ての人を愛しているという、当時としては衝撃的な教えでした。
これはもともとユダヤ教徒だったイエスさまの大きな宗教改革だったのです。
一方、お釈迦さまの教えは始めから、人種、職業、金持ち、貧しい人などを問わず普遍的な教えだったのです。
ですからこそ仏教もキリスト教も世界宗教として現在も多くの人々に信じられているのです。

ところで仏教とキリスト教の大きな違いは信者の参加する宗教的な儀式の違いにもあります。
日本の佛教では信者が毎週お寺に集まってお釈迦様にお祈りするという儀式はありません。たまにお葬式や法事の時に僧侶が読むお経の声を聞くだけです。
しかし一方キリスト教で毎週教会に集まり、神やイエスさまにお祈りをささげます。そして驚くべきことにイエスさまの肉体の一片に模したパン片をたべる宗派もあるのです。カトリックがその宗派です。
この宗教的儀式はミサと言います。そしてその儀式の概略は以下のようになっているのです。

まず簡単に言えばミサは次の4部分から成り立っています。
1、開  祭
2、ことばの典礼(旧約聖書、新約聖書の朗読)
3、感謝の典礼
4、交わりの儀と閉祭。
この4つの部分で一番重要なのが、4、交わりの儀なのです。
この時、信者一人一人が神父の前に行って、イエスさまの肉体の一片に模したパン片(聖体)を拝領します。
これは仏教には無い行為です。お寺に行って、仏教徒はお釈迦様の肉体の一片に模したパン片(聖体)を食べません。
一般的に日本の仏教は多神教的なのでお釈迦さまだけをことさら大切にしません。
一方、キリスト教では神がこの世に派遣したイエスさまを非常に大切にします。
これも仏教とキリスト教の大きな相違です。
このような大きな相違はありますが、仏教もキリスト教もどんな国々の人にも普遍的に通用するという性格が全く同じなのです。

如何でしょうか?キリスト教の内容がご理解頂けたでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は順に、日本、フィリッピン、イタリー、ドイツ、イギリスの教会の写真です。写真はインターネットに出ている写真をお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)