夏になると小金井の真蔵院の蓮の花が満開になります。去年の夏に私が撮った写真をお送り致します。
大阪から阪急電鉄と能勢電車に乗ると祖父が住職をしていたお寺に行けます。正林寺というお寺でした。そんな関係もあり私は昔から宗教が好きでした。趣味のようにして仏教や神道、そしてキリスト教と親しんできました。私は宗教のことを書くと心が安らかになり楽しいのです。何度同じことを書いても楽しいのです。
そんな訳で今日は仏教のことを書きます。日本人なら誰でも知っていることです。しかし以下に順序だてで書かせて下さい。
(1)釈迦の誕生と菩提樹の下で悟りを開いた経緯
以下は、http://www.kotobuki-p.co.jp/manabu.htm からの抜粋です。
佛教の開祖は釈迦です。生没年は正確には分かっていません。前565年生まれ、前 486年に亡くなったという説と、前 465年生まれ、前 386年に亡くなったとう説などが有力とされています。
釈迦は北インドの一部族の名でした。
俗姓をゴータマ、名をシッダルタといい、現在のネパール南部のターライ盆地にあったカピラバスツー城で、シュッドーダナ(浄飯)王を父、マヤ(摩耶)夫人を母として生まれたといいます。
国王になるための教育を文武両面で受け、16歳でヤショダラ(耶修陀羅)女と結婚、1子ラーフラをもうけましたが、29歳(19歳説も)で出家します。
出家した後、11年間にわたって苦行を続けたが、肉体を苦しめるだけの苦行では目的が達成できないことを知ったのです。そして菩提樹の下で思索、瞑想にふけり、35歳で成道します。
悟りを得た釈迦はサールナート(鹿野苑=ろくやおん)に行き、かつての同僚であった5人の修行者を相手にはじめて説法をします。
その後も釈迦は一カ所に止まることなく、主としてガンジス河の中流域で、民衆の問に応じてさまざまな教えを縦横に説いたそうです。
故郷でも父王や親族に自らの悟りを伝え、導きました。
西に東に、北に南に。教えを説く旅を死の寸前まで続けた釈迦は、80歳でクシナガラで入滅しましました。
教えの中心は全ては空と信じれば、自我に対する執着によって生じる苦悩から自由になることができると説いたのです。
釈迦の教えは、キリストの説法のように譬喩や例え話が多く、わかりやすかったのです。
実践の方法も極端な苦行などを避け、倫理を重視した方法を用いたので、さまざまな階層の人々に受け入れられました。
その教説はキリスト教と同じ様に生前は筆記されませんでいた。亡くなった後、数度にわたる議論の後で弟子たちが多数の仏教経典としてまとめました。
1番目の写真は1世紀ごろ北インドのガンダーラで作られた釈迦の像です。
この釈迦には十人の弟子がいました。
十人の弟子たちはそれぞれにそれぞれの分野で道をきわめた人たちであり、智慧のシャーリプトラ(舎利弗)や、神通力のマウドガリャーヤナ(目蓮)や、頭陀行のマハーカーシャパ(大迦葉)などの10人でした。
釈迦は菩提樹下で成道し、80歳で入滅するまで北インド各地で説教をしました。
当時インドで大きな勢力を誇っていたバラモンの哲学を打ち破り、カーストによる差別を認めない立場を貫き、人間の平等を訴えたのです。
仏教の最大の特色は、神と人との関係において宗教が成立するのではなく、人間自身に根ざし、人間自身の生き方を根本問題とするところにあるのです。
(2)仏教の中国への伝来
仏教が中国へ伝来したのは後漢の明帝の永平10年(67)とされますが、紀元前後にも西域諸国を通じて、すでに伝えられていたと考えられています。シルクロードを通って、仏教は中国に伝来したのです。
後漢末から魏・西晋時代になると、インド、西域から来朝する僧も多くなり、経典の翻訳も行われ、次第に世間の注目を集めるようになったようです。
西域から鳩摩羅什が入朝し、経典を数多く翻訳、中国独自の仏教の発展に大きく貢献します。
特に玄奘三蔵法師はインドに16年も滞在し経典を収集し中国へ持ち帰りました。
現在、日本で読まれている全てのお経は玄奘三蔵法師の漢訳によるものなのです。
(3)仏教の日本への伝来
『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖王(聖明王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされています。
平安時代になると空海及び最澄が遣唐使とともに中国に行き、密教を学びます。そして最澄は比叡山に天台宗を開き、空海は高野山に真言宗を開いたのです。
(4)仏教の教義のエッセンスとしての 般若心経
仏教の教義のエッセンスは般若心経にあると言われています。
そこで般若心経にはどのような意味があるのか、般若心経の現代語訳と共に、流れなどをご紹介いたします。
以下は、http://www.osohshiki.jp/column/article/138/ からの抜粋です。
2番目の写真は4つの文節に分けた般若心経です。それぞれの文節毎に意味を確認してみましょう。
ブロックの説明を下に示します。
②「弟子への呼びかけ」
第2ブロックでは、10人の弟子の一人である舎利子(シャーリプトラ)に呼びかけています。
1行目には、「この世の形あるもの全てに実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。これは人間の感覚についても同じである」と書かれています。
2行目には、「実体がないのであれば、生まれることもなく、消えることもなく、汚れることもなく、清らかでもなく、増えもせず、減りもしない」と書かれています。
③「空の思想の説明」
第3ブロックでは、第2ブロックでの呼びかけに続く形で、空の思想についての解説がされています。
真実の世界では、目に見えるもの、それによって感じたこと、思ったことなどは全て存在せず、それらの無知からくる悩みもありません。
しかし、その悩み自体は尽きることがありません。苦しみはなく、それを解決する方法も、それを知る方法もありません。
だからこそ、苦しみを知る観音菩薩はこだわりを持たず、全ての夢想・欲から離れることで涅槃(ニルヴァーナ)へと至ることができたのです。
④「般若心経の真言について」
第4ブロックでは、その悟りの境地に至るための真の言葉について説明しています。
この真理の言葉は並ぶことのない言葉であり、これにより苦しみは解き放たれるとされていて、それこそが般若心経なのです。
欧米人が神の居ない仏教は宗教ではないと言います。しかし釈迦をキリストとみなして崇拝すればそれも宗教と定義されるのです。
欧米人は分からないという顔をします。そしたら私も分からないのです。しかし私は仏教が好きです。
この記事の冒頭に、「私は昔から宗教が好きで、趣味のようにして仏教や神道、そしてキリスト教と親しんできました」と書きました。神社に行けばお賽銭をあげて拝みます。キリスト教の洗礼も受けました。おおらかに宗教をと付き合っています。そして日本に生まれたことに感謝しています。
最後に日本人が誇りにしている法隆寺の写真をお送り致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)