後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「多数の台湾の少数民族、アミ族、パイワン族、 タイヤル族など」

2023年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

台湾にはもともと高砂族という原住民が住んでいました。そこへ南の島々の少数民族が長期にわたり移り住みます。そして1949年の国共内戦で敗れた国民党の中国人が多数台湾に逃れて来ました。ですから現在の台湾には高砂族系の人、中国大陸系の人、南の島々からの少数民族が仲良く暮らしています。
今日は南の島々から台湾へ来た少数民族をご紹介したいと思います。現在の台湾政府は少数民族を保護し、専用のテレビ局があるのです。台湾には16位もの異なる民族が住んでいる興味深い国です。

台湾の中華民国政府が少数民族を保護した結果、その人口は増加しています。1929年に14万人余りでしたが現在は49万人まで増えています。

それでは台湾の少数民族の写真を示します。

1番目の写真は台湾のアミ族です。 

2番目の写真は台湾の少数民族の祭の踊りの写真です。
この出典は、http://newhoshu.blog.jp/archives/4513845.htmlです。

3番目の写真は2015年に東京で開催された台湾との交流会での台湾の少数民族の舞踊団のパフォーマンスです。
写真の出典は、http://blog.taiwannews.jp/?p=13944 です。

4番目の写真は台湾のチケプ集落の豊年祭の様子です。
一般的にはアミ族と呼ばれますが、花蓮周辺の人々は自らをパンツァーと称しており意識の上でもはっきりとした独自性をもっているのです。
写真の出典は、http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?cat=18 です。

さて私の趣味は文化人類学なので、いろいろな民族の観光客向けの写真を多数見てきました。多くは失われた祖先の文化を悲しみながら踊りを見せている写真です。観光客のために笑顔を作っていますが何か悲しそうにしています。
ところが台湾の写真に写っている人々は心から楽しそうにしています。屈託の無い表情をしています。現在、このような屈託の無い顔をしている少数民族は珍しいと思います。
そして台湾の少数民族は女系民族が多いので女性が大切にされ祭の主役も女性がなることが多いのです。

台湾政府の少数民族を保護する政策を簡単にご紹介します。
以下は、「台湾原住民」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8E%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91 からの抜粋です。
1996年(民国85年)に原住民族を所管とする省庁である原住民族委員会が設置されました。そして民主進歩党政権になってから原住民族の地位向上が推進されるようになり、2005年には「原住民族基本法」が制定され、国営の原住民族テレビ(開局時の名称は原住民テレビ)も2005年7月1日に正式に開局するなどしたのです。
さらに現在、民族自治区の設立にかかわる「原住民族自治区法」案の審議が進められています。
このように台湾では少数民族は大切にされているのです。

台湾の原住民、すなわち少数民族は現在、平地原住民と山地原住民(高山族)に分けられております。
2008年6月末、高山族の人口は488,773人であり、台湾総人口の2.1%を占めています。この10年で人口は23.4%増加し、総人口の増加率4.9%と比べ高いのです。
以下は政府認定16民族と人口です。
各部族の人口(2008年(民国97年)6月1日)、総計:488,773人、

セデック族統計無し。
アミ族(阿美族、アミス族とも、大部分は自称を流用して「パンツァハ族」とも呼ばれる) 175,157人
パイワン族(排湾族) 84,446人
タイヤル族(泰雅族、アタヤル族とも) 82,273人
タロコ族(太魯閣族、トゥルク族とも、アタヤル族に含められることもあったセデック族の一支) 24,001人
ブヌン族(布農族) 49,529人
プユマ族(卑南族) 11,100人
ルカイ族(魯凱族) 11,509人
ツォウ族(鄒族) 6,517人
サイシャット族(賽夏族) 5,623人
タオ族(達悟族、雅美族〈ヤミ族〉とも) 3,448人
クバラン族(噶瑪蘭族)(カヴァラン族) 1,124人
サオ族(邵族) 637人
サキザヤ族(撒奇莱雅族) 5,000 - 10,000人
セデック族(賽徳克族) 6,000 - 7,000人?
カナカナブ族(卡那卡那富族) 500 - 600人?
サアロア族(拉阿魯哇族) 400人?
その他 265人
申告なし 32,859人

5番目の写真の図面は各民族の主な居住地を示しています。
この図面の出典は、「台湾原住民」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8E%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91 です。

さてこれらの台湾の少数民族は何処から来て、何処へ移住して行ったのでしょうか?
この謎は、「台湾資料」(http://www.gicas.jp/taiwan/index.html )に明快に解明されています。
台湾原住民の言語はオーストロネシア語族に属しているので南方から移住したと考えられています。
そして他のオーストロネシア諸語で既に失われた古い特徴をよく保っていることから、オーストロネシア祖語からもっとも早く分かれた言語だろうと考えられています。

さて台湾も日本も中国の東の大海に浮かぶ大きな島です。日本では大和朝廷が遣隋使や遣唐使を送り中国の政治や文化を導入しました。漢字も導入しました。
しかし台湾は17世紀まで文字の無い文化圏だったのです。この比較を考えるといろいろな感慨を覚えます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「インドネシアのバリ島の花」

2023年04月03日 | 写真

バリ島を訪れると、色とりどりの花が咲き乱れていて南国らしさを感じるそうです。まさに南国です。その南国の花の写真をお送り致します。

1番目の写真はバリ島 を彩る花、アラマンダ です。

2番目の写真はプルメリア (フランジパニ) の花です。

3番目の写真は蓮の花です。

4番目の写真もプルメリア (フランジパニ) の花です。


「南の島々に住む少数民族、バドゥイ族、バタック族、トラジャ族などの暮らし方」

2023年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム
比較文化人類学に私は興味があります。いろいろな民族の珍しい文化や風習を調べ独りで面白がっています。自分で面白がってばかりいるのでなくブログへも掲載します。そんな訳で今日は南の島々に住む少数民族、バドゥイ族、バタック族などの暮らし方をお送り致します。
南の島々とはインドネシアの島々です。インドネシアの民族の構成は、ジャワ人45パーセント、スンダ人14パーセントなどが中心ですが、350あまりもの島々の民族で構成されています。日本と非常に違うことは国民を文化的に統一しようとしないことです。ですから350あまりの民族がそれぞれの伝統的文化を保持しています。インドネシアの特徴は多くの島や農村地帯に多様な文化が並列して存在していることです。この状態は日本と非常に違います。都会には高層ビルが並んで車が溢れていますが、ちょっと地方に行くとそこには原始的な生活をしている民族が活き活きと暮しています。電気・ガス・水道がなくても幸せに暮しているのです。
(1)バドゥイ族、首都のジャカルタから約120キロ、ジャワ島の西端バンテン州『Kenekes村』の山中にはバドゥイ族は住んでいます。
村の真ん中にバドゥイ族の銅像が立ち、まわりには食堂や名産の蜂蜜などを売る土産屋があり、いかにも観光地的な雰囲気です。。周辺には多くのインドネシア人観光客に混じって、バドゥイ族の姿も見かけます。見分け方は簡単、頭にバティック布を巻き、腰巻き姿、そして裸足でいるのがバドゥイ族です。
1番目の写真はバドゥイの典型的な家です。家の壁は竹で編まれています。地面(土)は神聖なものゆえ、杭を打ち込まないのです。置石が家の土台となっています。
2番目の写真は村の入口付近で野菜のかき揚げを作っていた『外バドゥイ』の女性たちです。村の入り口脇にいた外バドゥイ族は戒律がゆるいせいか、一般的なインドネシア人と同様に揚げ物も作ります。
次になバタック族をご紹介たします。
(2)バタック族、バタック族は、主にインドネシアのスマトラ島北部の高地に居住している民族です。大都市のメダンの西にあるトバ湖周辺を故郷としています。
バタック族は、その言語や習慣が少しずつ違ういくつかの異なるグループに分けられます。
そのスマトラ島高地のバタック族の写真をお送り致します。写真の出典は、「スマトラ島少数民族との出会い」、https://snowm-blog.hatenablog.com/entry/2019/02/20/214344 とその他、バタック族に関連した資料です。
3番目の写真はスマトラ島高地のバタック族の高床の家の写真です。
4番目の写真はバタック族の高床の家が並んだ村の写真です。

5番目の写真はバタック族の娘たちの写真です。
バタック族の社会は、Margaという一族で組織されている家父長社会です。トバ・バタック族は、1人の祖先「Si Raja Bata」を起源とし、すべてのMargaは彼の子孫であると伝統的に信じられています。バタックの父と息子の関係を示した血統図は、taromboと呼ばれ大切にされています。
現代のインドネシアの中で、バタック族は教育熱心で、多くは教師、技師、医師、法律家などになっています。
トバ・バタック族は、その織物、木彫り、装飾した墓石が伝統的に有名です。彼らの埋葬と結婚の儀式は伝統をよく守っています。埋葬の伝統では、先祖の遺骨を死の数年後に再び埋葬する儀式もあります。この2回目の埋葬は、トバ人の間では「mangongkal holl」と呼ばれているそうです。
最後にバタック族の宗教について書きます。
世界最大規模のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアですが、スマトラ島の北スマトラ州の山岳地帯にあるトバ湖の周辺に住むバタック族はキリスト教徒なのです。
バタック族の人口500万人のうち約350万人がキリスト教徒(プロテスタント)というユニークな部族なのです。 バタック族に対するキリスト教の布教ははじめは順調でありませんでした。しかしドイツのプロテスタント宣教師ノメンセンの努力により、19世紀半ば頃からキリスト教が定着したのです。今も島のあちらこちらで、土着の文化とキリスト教文化が融合した独自の様式の教会を見ることができます。(http://www.asiawave.co.jp/asianview14.htm )以上はバタック族のことでした。次はトラジャ族です。
(3)トラジャ族、トラジャ族の独特な文化を写真で簡単にご紹介いたします。出典は、wikipedia.の「トラジャ族」とその他の資料です。
6番目の写真はトラジャ族の少女達です。トラジャ族の社会では家族が重視される一方性別、年齢別の集団も重要なのです。少女達の楽しそうな表情がこの少数民族の幸せな暮らしを示しています。

7番目の写真はトンコナンという巨大な舟の形をした家です。トラジャ族は昔北ベトナムと南中国に挟まれたトンキン湾沿岸から船で渡ってきました。それで家が船の形をしているのです。

8番目の写真はお葬式に参列する人々です。通常規模でも数百人の参列者が出席します。お葬式に出る人々は水牛や豚を持参し、受付では参列者が持参したものが詳しく書き留められていきます。持参した水牛の体の大きさ、角の大きさ、尻尾の長さに従って参列者へきちんとお返しが行きます。

9番目の写真は洞窟のミイラの安置所、すなはちお墓です。死を象徴する木像「タウタウ」(tau tau)がテラスに置かれ外界を遠望しています。トラジャ族の宗教はアルクトドロ教と定義されるトラジャ族固有の宗教です。多神教アニミズムに分類されます。彼らの祖先は上界から創造神プアン・マトゥア(Puang Matua)の神託を受け、階段を下って大地に現れたというものです。

日本ではトラジャ族はトラジャ・コーヒーで有名です。17世紀末に栽培が始まり、オランダ王室で御用達のコーヒーでした。優しい苦味で独特で芳醇な香りや豊かな甘みが特徴のコーヒーです。今日は話が長くなるので他の少数民族の話は割愛します。

このように少数民族の話を書いていると何故か心が豊かになります。彼等の心の豊さが私の心に乗り移ってくるからでしょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)