後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

霞が浦のセイリング風景

2009年05月05日 | 写真

霞ヶ浦へセイリングに行きました。4日は南東の風が強く、ジブかメインセール1枚で5から6ノットのスピードで快走しました。近くを3隻のディンギーも駆け抜けて行きます。息子一家5人と家内と総勢7人が乗りましたので船の上が混みあいました。夕食は船の上で肉類の鉄板焼き。息子と小生はヨットのキャビンに泊り、あとの5人は近くのホテルに泊まりました。変わりばえのしない写真ですが、セイリングの風景写真を5枚掲載いたします。

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昭和の悲しさ(3)東京駅の魚影、内田百閒、戦没画学生の絵画展などなど

2009年05月04日 | インポート

あれは昭和17年の夏だった。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がある。数十匹の小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいる。連戦連勝で日本中が湧いていた頃。仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省する。あの小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか知らないが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生忘れ得ない。翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行く。無い。魚が居ない。空の白いタイルの水槽があるだけ。のちに考えると戦争が負け始めたのか、魚の水槽どころではなくなって来たのだろう。駅の雰囲気も乗客が少なくなり淋しい。

そして何年も時が流れる。少し気持ちが少し落ち着いた。そんな時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読んだ。百閒さんが好きになってしまう。鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書いている。短い文章でも、味わい深い随筆になっている。つい吸い込まれるような作品が多い。彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来る。

作品が好きになれば、関係する場所へも行ってみたくなる。1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行った。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてる。ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通った。仕事で人と会うときはよく使った店である。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、どちらにしても便利な場所であった。

また何年かたった。丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来た。時々、絵画の企画展をするようになった。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がする。「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。

東京ステーションには色々な思い出がある。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


心やすまる風景写真を5枚お送りします

2009年05月03日 | 写真

新録の山々を背景にして青い海にヨットが静かにもやっている。美しい皐月のそよ風が海面を過ぎて行く。そんな風景の写真です。

内浦湾の重須ヨット係留地をBambino号で沖から近ずいて撮影しました。Hoota船長の操船技術のお陰で狭い係留地の中まで入れました。光の方向が良かったので美しい写真になりました。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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昭和の悲しみ(2)戦死者の遺族の悲しみが沁みついて離れない

2009年05月03日 | インポート

山梨の甲斐駒の麓にある質素な小屋によく行く。山に入る前の最後のは柳沢という。その入口の道路の両側に高い御影石の柱がたっている。「武運長久」という字がわずかに読める。先の大戦中にから出征していった若者の大部分は帰って来なかったと聞いた。この石柱の間を車で通るたびに戦死者の遺族の悲しさが車の中に流れてくる。あれから64年もたつのに。つい遺族の悲しさへ思いを馳せる。そして外国で見た戦死者の記念碑のことなどを思い出しながら車の運転を続ける。

1971年のことである。南ドイツの田舎の並木道は、地形に従った美しい曲線を描きながら、赤屋根のをつないでいる。道が別れる所には小さな祠(ほこら)がある。マリア様が祭られ、旅人の安全を守っている。しかしよく見ると、所々に大きな石碑があり、先の第二次大戦でから出征し、戦死したの若者の名前が刻んである。その名前を人々は決して忘れない。

戦死者を悼む記念碑は宗教とは関係がないような造り方をしている。しかし、若くして戦死した者を悼む家族は「神様どうぞ戦死した息子を天国に上げてください。イエス様が復活したように、死んだ息子もまたいつか蘇らせてください」と祈るに違いない。

愛する夫や息子を殺したのは誰だ。家族の心中を去来するのは、敵の軍隊、誤った戦略で軍事活動を指導した自分の国の政治家や参謀たち、間違った戦術を指揮した上官、出征を勧めた学校の教師たち、そして出征を止められなかった自分。この悲しみはどうすれば癒されるのか?

南ドイツの田舎道をドライブしながら、日本もドイツも戦死者の遺族の気持ちは同じと思う。と、同時に戦勝国の戦死者の遺族も同じことに思いが広がる。

我々、日本人は中国やヒリッピンなどの戦死者の遺族の気持ちも決して忘れないようにしたい。

山梨の山林の中の小屋に行く度に、「武運長久」の石柱の間を通る。悲しい思いをする。昭和11年生まれの私はこの悲しみから逃れることが出来ない。家族、親類に戦死者が居たわけではないが、昭和という時代の悲しみが心の中に沁みついている。(続く)


快晴ながら烈風の駿河湾で豪快なセイリングをして来ました

2009年05月02日 | 写真

東京ベイヨットクラブのハンスクリスチャン43、Bambino号でHoota船長指揮のもと、若い女性2名を含めた総勢6人で4時間程、烈風の中を豪快なセイリングを楽しんで来ました。

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この連休は、ブログ仲間と山や海で遊びます

2009年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は山梨の山林の中の小屋に泊って来ました。ブログで知り合った甲斐駒さんの別荘にご挨拶に参上しました。夕方はブログ仲間の鬼家雅雄さんと小屋の前を流れる小川のほとりでバーベキューをして、ビールを楽しみました。夜は星空の下で焚き火をしました。今日は早めに帰宅し、駅まで明日の新幹線の切符を買いに行きました。ブログ上での友人のHootaさんが明日、沼津で大型ヨット、Bambinoに乗せてくれます。先日、保田魚港に係留してあるハンス・クリスチャン43のBambinoで一夕、ビールを一緒に飲んだHoota さんの船長ぶりを拝見するのが楽しみです。

今年の連休はブログの上の友人と山と海で遊ぶことになりました。インターネットのお陰で新しい友人が出来、そして一緒に遊ぶ。こんな楽しい老後は想像もしていませんでした。皆様も是非、ブログやSNSを通して良い友達をおつくり下さい。

下の上段の写真は山梨の新緑の雑木林と、バーベキューをしたそばを流れる小川です。下の段の写真は明日、沼津で乗る予定のBambinoの写真です。先日、房総半島の保田漁港で撮影したものです。

皆様もlご健康で、この連休をお楽しみなさいますようにお祈り致します。藤山杜人

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