後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

最近の日本では結婚するカップルの3分の1が離婚しています・・・驚異的に高い離婚率ですね!

2011年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

明治大学の鈴木教授はいろいろな統計資料を鈴木研究室のHPへ掲載しています。

その中で毎年の各国の結婚件数に対する離婚件数の比率があります。

2005年の日本では結婚件数の36%が離婚しています。結婚したカップルの三分の一が離婚しているのです。1990年の日本の離婚率は22%でした。

皆様はこの高い離婚率に驚きませんか?本当に三分の一が離婚しているのでしょうか?

にわかには信じられません。

どなたか此の統計の意味をお教え下さいませんでしょうか?

下記をクリックするとこの統計結果がご覧になれます。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=po08-03&FL=&RG=&TM=2005

ご意見をお待ち致しています。


宗教の違いによる争いや戦争を防止する方法(1)まず無宗教の人々を大切にする

2011年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の写真は埼玉県にある「彩の森公園」です。静かな平和な雰囲気がみなぎっています。世界中がいつもこのように平和であれば良いのですが、相も変わらず、いろいろな戦争が起き続けています。

2000年9月11日のイスラム過激派によるアメリカの国防省や貿易センタービルなどへの同時多発攻撃以来、アフガニスタンやイラクへの米軍の大規模な攻撃が続きました。それを端緒にして世界中でイスラム教徒とキリスト教徒の殺し合いが起きています。

中近東ではユダヤ教のイスラエルがイスイラム教のパレスチナ自治政府とはてしない殺し合いを続けています。

昨日のノルウエイの官庁街の爆破と銃乱射による多数の殺人はイスラム教徒への憎しみが原因でした。ノルウエイへ移民としてイスラム教徒が入って来るのに反対し、起こした事件のようです。

宗教の違いが殺し合いや戦争の原因になっています。実に悲しい事です。

このように悲しい争いを防止するために個人として私たちは何が出来るでしょうか?あまりにも無力で何も出来ないと思いがちです。他人事として冷淡に放っておく人々も多いと思います。

しかし宗教色の弱い日本でも、「宗教の違い」による争いや不毛な論争が時々起きています。愚かな、そして不毛な争いです。

そこでそのような不毛な争いを防ぐ実践的な方法を連載して行きたいと思います。

第一回の今日は、「無宗教の人々を大切にする事」です。

多くの日本人は自分が無宗教と思っています。しかし日本には何万というお寺が全国の津々浦々にある佛教国なのです。その伝統的文化の大部分は、お釈迦様の教えに従って少しずつ出来てきたのです。ですから自分が無宗教と思っても外国の人々は日本人は皆仏教徒と思っています。それを間違いだとと声高く言いだすのを止める事が一番重要です。口論を止める事こそ宗教の違いによる争いや戦争の防止方法の第一歩なのです。

無宗教でも仏教徒でも所詮同じ人間で、大した違いはないのです。仏教の細かな教えを解説してくれる和尚さより無宗教と称している人々の方が人格者であることは珍しい事ではありません。

ですからこそ無宗教は仏教徒かという違いで口論や争いをする事ほど馬鹿馬鹿しい事はありません。争いを防ぐ第一歩は仏教徒は無宗教の人々を大切にし、尊敬することです。そして無宗教の人々は仏教徒を大切にし、尊敬する事がじゅうようです。そうすれば日本から宗教の違いによる争いが完全に無くなるのです。

最後に日本人の宗教的態度が中国人へ大きな衝撃を与えた事件をご紹介したいと思います。四川大地震の時、日本政府が派遣した救援隊のとった行動です。瓦礫の下から数体の遺体を掘り出して、担架に乗せ、その担架を整然と並べたそうです。その後、日本の救援隊が遺体に向かって整列し、静かに合掌したのです。この光景を中国のマスコミが報道し、中国全土に日本人への感謝と尊敬が広がったそうです。その光景は中国人に大きな感動を与えたのです。中国には無い宗教的な行為だったので一層感動が大きかったと言います。

同じような事が台湾でも起きました。四川大地震の後、台湾でも激しい地震が起き多数の死者が出ました。その時、日本政府の派遣した救援隊が同じような行動をとったのです。台湾中の人が感動しました。そして任務を終えて台北空港を出発する救援隊を空港の全ての出入検査官が集まって、拍手をして見送ったそうです。この事は、黄文雄さんが「日本人はなぜ世界中から尊敬され続けているか」という題目の本で書いていまし。そして、今回の大震災での日本人の立派な秩序ある態度は仏教の優しさと無常感によるものと外国人は見ています。

私は日本が佛教国であることを誇りに思っています。たまたま私はキリスト教信者ではありますが、そんな事は関係ありません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


今日の散歩・・・雑木林の好きな方々へ是非お薦めしたい大型公園

2011年07月25日 | インポート

JR八王子駅北口から真っ直ぐ北へ数キロ行くと都立小宮公園があります。広大な雑木林に覆われた丘陵全体が公園になっています。林の中には車椅子も通行出来るようにバリアフリーの板敷きの木道が延々と続いています。

兎に角雑木林のお好きな方々へは自信を持ってお薦めいたします。子供が遊ぶ遊具や広場が入口付近に無いので大人向きの公園です。それだけに静寂が樹下に広がっています。こんなに八王子市の中心部に近く広大な雑木林の公園があるとは知りませんでした。とりあえず写真だけでもお楽しみ下さい。(終り)

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悲しい盆踊り・・・子供たちだけは楽しそう

2011年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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Wz_046_2 今年の小金井阿波踊りは秋のような涼しい風が吹いていました。笛太鼓の音に誘われて夕食後にブラリと行ってみました。

悲しげな盆踊りでした。大震災で亡くなった人々の魂が小金井まで飛んできたのです。その霊を慰めるようにと大人たちは踊っているようです。

本来、盆踊りは、お盆に帰って来た先祖の霊を慰め、供養する為に村々の神社の境内でしたものです。

村民が小綺麗な浴衣姿になり一緒に踊るのは楽しい行事です。すげ笠姿の女性はみんな美しく見えます。しかし亡くなった親兄弟の事を思い出すので悲しい気持ちにもなります。楽しさと悲しさの入り混じった群舞なのです。

ところが最近の盆踊りは駅前の広場や繁華な通りを交通止めにして行います。徳島県の阿波踊りがどういう訳か全国各地で踊られます。先祖の霊を供養することを忘れて賑やかなお祭りになってしまいました。それが悪いと言うのではありません。

しかし以前に見た富山県の八尾の「風の盆」のしみじみとした盆踊りを思い出します。それに比較して阿波踊りは賑やか過ぎて何故か好きになれません。

それは個人の趣味ですからこれ以上の議論が止めにします。

昨日の小金井の阿波踊りでは夜店も少なく、酔った男たちも居ませんでした。あれだけの大災害の後では心ある大人たちは浮かれて酔っぱらう気持ちにはなれません。涼しい夜風が吹きぬけて何か悲しそうでしした。

子供の頃見た盆踊りは悲しげなものでした。その理由は大人になってから理解できたのです。私の見た盆踊りは戦後でしたので、中国大陸の土になり、南海の海に沈んだ人々の面影を大人たちは考えていたのでしょう。それは楽しくて悲しい踊りだったに違いありません。

昨日の盆踊りでは、浴衣を着た子供達だけが最高に楽しそうにしています。その姿を見ている母親も楽しそうにしています。子供はいつも楽しめば良いのです。無邪気が一番です。それを見て家内も私も楽しくなりました。

今年の小金井の盆踊りはしみじみとしていて良かった。盆踊りの意味があった。などと考えながら帰って来ました。浴衣姿の老妻の下駄の音がカラコロと響く静かな散歩でした。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


秀吉が完成出来なかった中途半端な大伽藍・・・そして神仏分離令

2011年07月24日 | うんちく・小ネタ

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お寺でも無いし、神社でもありません。宮殿でもありません。秀吉が明快な目的もなく、兎に角大きな建物を建てさせたようです。建築中に自分が死んでしまったので中途半端なまま残りました。

不思議な建物ですので3月に行ったとき中に入り、写真を撮ってきました。中は随分と荒れていて床板がガバガバ音を立てていました。これからどのように保存するかが心配になりました。

神仏分離令の前には数多くの仏像が壁際に安置されていて佛教のお寺の一部だったようです。神仏分離令でそれを全て運び出し、秀吉を祀った神社にしたそうです。

ご覧になると秀吉の大きな物なら好きだという性質が分かります。本来、茶道など好きでないのかも知れません。利休の悲劇を思い出しながら見物して来ました。厳島神社の参拝の帰り路にあります。是非ご覧下さい。(終り)

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懐かしいローテンブルグの町とフェルナンデス君の思い出

2011年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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ドイツのロマンティッシュ街道に沿ってローテンブルグという小さな町があります。中世そのままの城壁に囲まれた小さな町です。赤い屋根の古い家々の間を石畳の細い路が迷路のように続いています。

1969年秋、このローテンブルグの町に、ドイツ語研修の為、3ケ月住んでいました。私が34歳の時です。家族を日本に残して行きましたので、久しぶりに気儘な独身生活を楽しむことが出来ました。

毎日、長い昼休みには城壁の上にある板敷きの歩廊を散歩します。高い城壁の上にある歩廊なので赤い屋根の家々が見降ろせます。城壁の外側は緑の牧場や麦畑が緩やかな起伏を繰り返して一面に広がっています。夜は毎晩のように古いワインレストランへ通いました。それは懐かしい我が青春の一こまです。

その時、どういういきさつか忘れましたが、22才のインド人のフェルナンデス君と大変親しくなりました。彼は物静かな若者でした。カトリックの信者でした。なんとなく彼と毎週ローテンブルグのカトリック教会へ通うようになったのです。

教会は中世のカトリック教会で、3ケ月間、毎週の日曜日のミサへ一緒に行きました。ミサの後は決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れました。宗教の話はしません。ただ「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言ったのが忘れられません。インド人にはキリスト教徒も多いと話していました。

このローテンブルグで知り合ったフェルナンデス君のお陰で私はカトリックの洗礼を受ける決心をしたのです。

後にシュツッツガルト市へ引っ越して家族が合流しました。週末には南ドイツやスイスへ車で遊びに行くようになりました。通り過ぎる村々の中心には広場があり、カトリック教会と新教のエバンジュリッシュ教会が向かい合って建っています。教会に静かに入り、お祈りして小銭を献金箱に入れて出て来ます。日本の観光地で神社・仏閣へお参りし、お賽銭を上げるのと一緒です。何も抵抗感がありません。

フランスでもスウェーデンでも教会に寄りました。有名な豪華な教会でなく、ひなびた小さい教会ほど味わい深いものです。出てくるわれわれを見る村人の目が微笑んでいます。「彼らアジア人も神様へ何かお祈りしてきたな。人間の悩みは大体同じだ」と思っているのかも知れません。それまでは、外国へ旅をすると、外国人がなんとなく恐くて緊張する癖があったのです。それが教会に寄るようになってから緊張は一切消えて、旅が急に楽しくなって来ました。

フェルナンデス君が興味津々で聞いた話は、江戸時代260年の禁教とそれに耐えた日本の隠れキリシタンのことでした。明治になり、フランスからやって来たプチジャン神父が浦上天主堂を建てた時、日本の信者が「私たちは神父さんが必ず戻ってくると260年間待っていました」と言ったという話に感動していました。

フェルナンデス君とはローテンブルグで別れてから一度も会っていません。その後の消息も分かりません。私は1971年に立川カトリック教会で塚本金明神父さんから洗礼を受けました。

インドには日本へキリスト教を伝えたザビエル神父の腕が保存してあります。

若くて痩せていたフェルナンデス君のことを、今でも良く思い出します。生涯忘れ得ぬ友人です。

想像もしなかった土地で、見知らぬインドの青年と友人になり、キリスト教の洗礼を受けたのです。人生の不可思議さを思うとき、フェルナンデス君との3ケ月だけの交友を思い出します。彼には終生感謝しています。不思議な体験を書いてみました。(終り

(ローテンブルグの2枚の風景写真の出典は、Wikipedeaの「ローテンブルグ」の項目の記事です。)

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「この悲しい話を忘れない・・・日本民族のなかの差別!」の再検討

2011年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

毎日つまらない拙文や写真をブログに掲載していると、時々とても深く考えさせるコメントを頂きます。昨日、石川雅一さんから頂いたコメントもどのようにお答えすべきか随分と迷いました。

私が考えると日本は住み良い国ですという記事を先日、掲載しました。この悲しい話を絶対に忘れない・・・日本民族のなかの差別を無くす為に!)。

戦争で父上や兄を無くしたHanazonoさんは日本が住みにくいからという理由でカナダへ移住しました。移住してみて日本よりカナダの方が住み良い国だという決論でした。そのいきさつを投稿してくれました。

それに対して石川雅一さんから丁寧な言葉使いで、一部反論を含んだ投稿を頂きました。

両方の御意見を私はしみじみと読みました。つまるところ私の文章が不十分で、説明が不明瞭だったと反省しています。そこで私の言いたい事を整理して書いてみます。

(1)ある個人とってその国が住み良い国か、否かは全く個人的な主観で決まる問題であり、客観的評価はかなり無意味です。かなり無意味ですが、自分の国を住み良いと信じた方が日々楽しく過ごせます。私はそのように信じています。そのついでに住み良い国の条件を書きました。

(2)日本の根本のところは何も変わっていません。この文章の意味は日本は仏教の影響を深く受けた国なので、欧米の個人主義や民主主義が日本人の深層心理に確固としては根付いて居ません。それは一朝一夕には変わる筈がありません。

(3)弱者差別、男女差別、学歴差別は明治維新以来の日本社会の悪習ではありますが、それも一朝一夕には変わる性質の問題ではありません。しかしこれらの差別撤廃は非常に重要なことで常にその方向に努力すべきと思います。

(4)以上のような伝統社会の日本という国を受け入れて、そこに住みながらよりよい国になるように努力するのも個人の自由です。日本よりも住み良い国へ移住するのも個人の自由です。両者の考え方には優劣がありません。どちらでも良いのです。善いのです。ですからこそ私はHanazonoさんの文章に反論しないで沈黙を守ったのです。そして日本も良い国だったと思い出して頂きたいと思いニッポンサクラソウの花の写真をHanazonoさんへお贈りしたのです。

石川雅一さん、そしてHanazonoさん、以上の補足的な説明で、ご納得頂けましたでしょうか?

日本も住み良い国です。カナダも良い国です。いや世界中にある全ての国は住み良い筈です。そこには人々が住んでいるのですから。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

====石川雅一さんからのコメント=============

Hanazonoさんのお父様、お兄様の御霊やすかれとお祈り申し上げます。
Hanazonoさんに、または藤山先生に、教えていただきたくコメントさせていただきます。藤山先生が反論の言葉もないということは、ご理解をされておられるのだと存じ、教えを請います。
Hanazonoさんにとって、そして多くの人々が、日本は住みにくい国だと言えるのは、日本の根本の大事なところが変わっていないということですが、根本の大事なところということが、抽象的で私には理解できません。60年以上観察し考えてこられたことであればこそ、是非とも解りやすく具体的にどういうことなのか、お聞きしたいと存じます。
「日本の現在のごたごたにしても、今まで問題意識をもって改善してさえおれば、もっとスムーズに処理できたと信じています。3月11日の大震災後に起きたいろいろな問題ももっともっと簡単に解決したのではないでしょうか?」
具体例をあげて教えていただけませんか。とくに3月11日以降の問題解決については、日本国民全員が、その簡単に解決する方法を知りたいと思います。
なでしことサムライブルー(男子サッカー)の格差に対するお怒りですが、お怒りの対象である日本というのは、日本国民をさしておられますか。そうであるならなでしこたちに、本当に申し訳なく思います。これほど酷い格差があることに思いも至りませんでした。Jリーグは見に行っても、女子リーグを見に行ったことはありません。なでしこに何の貢献もしてきませんでした。私は、日本サッカー協会を批判できません。
協会は遅まきながら、報奨金を5~6倍に引き上げるようです。それでも酷い格差ではありますが。
しかしながら、男子サッカーの歩んできた歴史に思いはせることなく怒りをぶつけられるのは、フェアとは思えません。サッカーをやっていた高校生のとき、国内最高峰である日本リーグを見に行ったことがあります。阪急西宮球場の外野グランドでした。銅メダルをとったメキシコオリンピックの4年後でもこんな状態でした。日本サッカーは、戦前以来長きにわたる苦節を経て、現在のJリーグとなったわけです。なでしこが、いきなり今のサムライブルーと同じ待遇だったとしたら今回の快挙はありえたでしょうか。また大和撫子の矜持として、男がJリーグや代表戦を通して稼いだお金を、回してもらうことをよしとするでしょうか、まず結果、そしてなでしこリーグを成功させてこそと、彼女たちは考えているのではないでしょうか、そのためW杯でメダルを取ることを目標、にドイツへ行ったのだと思います。凱旋記者会見で山郷選手が、素晴らしいコメントをしていました。「厳しい環境の中で、先輩方が築かれてきたことが、今回の優勝につながりました。」と。
仮定の話です。欧米では、地域のスポーツクラブが基本です。日本よりはるかに良い環境にあります。厳しい環境に見切りをつけて、欧米へ移住した選手がいるとします。欧米のクラブに移ったことが正解だったと思えるように精進することも、尊敬に値する行為だと、私は思います。しかし日本の厳しい環境の中、それをなんとか変えようとして努力する人のいることに思いをよせず、まだ変えられないのか、まだそんなことをしているのか、一事が万事だと批判すれば、批判した人の欧米での苦しかったであろうと想像する努力に対するリスペクトの気持ちは、失せると思われませんか。
EIUの決めるランキング1位を自慢されても、どう解釈申し上げていいのかわかりません。地震、津波、火山噴火、土石流、台風・・、日本が、白人の決める、住みたい国ランキングの上位に入るはずないではありませんか。
今、がんばろうニッポン・・と、日本を少しでも良くしようとする多くの日本人にいったい何をおっしゃりたくてランキングについて書かれたのでしょうか。
是非、根本の大事なところの意味と、いろいろな問題の簡単な解決法をレクチャーしてください。残りの人生、祖国のため、若い人のためほんの少しでも役に立ちたいと願って、すみにくい日本で、人生と格闘していくつもりです。
最後に「この国は、国民を守ってくれない・・・・。」について、100%共感します。例えば、拉致被害者に対して、私たち日本人は冷たすぎます。私も、ブルーリボンバッジをつけることしかできません。
蛇足です。グッドルーザーという言葉がありますが、なでしこの快挙が、かくも晴れ晴れしいのは、アメリカチーム、アメリカのファン、マスコミが、グッドルーザーであったことが大いなる原因のひとつと、藤山先生は思われませんか。投稿 石川雅一 | 2011/07/23 12:52

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インド料理店、シタール(SITAR)をご紹介致します

2011年07月23日 | うんちく・小ネタ

このお店は小金井市の南側に開店してから10年近くなります。時々行きますが味は常に変わらず、いろいろな香料が効かせてあって本物のインド料理の味です。

バングラデッシュ出身の御主人が何時も店を清潔にし、鉢植えの草花へ丁寧に水をやっています。料理人は3人です。ナンも石釜の内壁に張り付けて、焼いています。

メニューはカレー6種類、ナン5種類、インド料理5種類の他に、カレーディナー、ベジタリアンセット、タンドリーディナーセット、タリーセットなどのコース料理もあります。

例えばカレーにはチキン、マトンのほかエッグスペシャルカレー、ダールカレー、バターチキンカレー、キーママタールカレー、バラクパニールカレー、そしてマトンサグワラなどがあり、辛さは注文に応じ自由に変えて供されます。

インド料理はタンドリーチキンの他に、チキンティッカやシークカブ、ベジタブルサモサ、そして茄子パコラ・アールパコラなどがあります。

ナンの5種類とはサダーナン、ロティ、プーリー、バトーラ、ガーリックナンです。

食後の冷たいヨーグルトドリンクのラッシーは絶品です。勿論、生ビールもインドビール、タイのビールもあります。インドのチャイもあります。

いろいろな料理を毎回試して見るのも楽しいものです。

この店の場所は以下のように行きます。JR中央線の小金井駅の南口を出て、南商店街を100m程、南方向へ歩くと農工大通りとの信号のある交差点へ行きます。そこを左へ、すなはち東京農工大学方向へ曲がるとすぐ右側にあります。小金井市本町1-8-13の健生ビルの一階です。電話は042-388-9955です。なおこの店には国分寺店もあります。国分寺市日吉町4-17-15で電話は042-325-9955です。こちらには駐車場もあります。

遠く異国に来て、地元に馴染んで、頑張っている人々を是非助けてあげて下さい。

下に主人の写真などを示します。

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大英博物館、「古代ギリシャ展」に感動する人、しない人

2011年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

この展覧会は7月5日から9月25日まで上野の国立西洋美術館で開催されています。大英博物館のギリシャの10万点の美術品から彫刻と陶器を厳選し、完成度の高いものだけ135点を上野で展示しているのです。展示は下の4部に分類されています。

1、神々、英雄、別世界の者たち

2、人の形

3、オリンピアとアスリート

4、人々の暮らし

昔、ヨーロッパやアメリカの幾つかの美術館で、出来の悪いギリシャの彫刻を沢山見た事があります。それを思い出しながら今回上野で展示されている全ての彫刻の出来の良さにまず感動します。流石大英博物館のコレクションです。そして、人間の姿をこんなにも正確に写実した技術に感動します。全ての藝術はまず摸写することから始まるとしたらギリシャの彫刻や陶器に描かれた絵画は全ての人類の藝術の出発点になります。イエス様の生まれる500年以上も前にこのような技術が完成していた事実に感動します。

土曜日なのでたいへん混んでいました。皆熱心に説明文を読み、イヤホンガイドの声に聴き入りじっと作品の前に立っています。会場をひととおり見て回りました。しかし写実に徹した彫刻は美しいのですが、芸術的感動を与えてくれません。要するに考える問題を提示しないのです。見れば成程よく写実されているという感想だけです。完成されているのですが、なにか物足りないのです。

彫刻のモデルになった人間の苦悩や喜びなどが表現されて居ないのです。

はっきり言えばつまらないのです。作品が好きか嫌いか、つまらいと思うか否か、感動するか否かは、すべて個人の自由です。ギリシャの彫刻をつまらないと書いた私を叱っても仕方がありません。ですから叱らないで下さい。

見事な作品を135点も見て感心しました。しかし、ああ、感動の無い展覧会だったと思いながら建物の外に出ました。するとそこにはロダン、ブールデル達の近代彫刻が幾つかありました。藝術的作品です。人間の内面、精神性が感じられます。ああ、ギリシャの彫刻がルネサンスのミケランジェロなどを経て、ロダンに至って完成したのだと思いながら帰ってきました。ですから「ギリシャは西洋文化の源流」という言い方は正しいと思います。

何時も絵画展などでは会場を行きつ戻りつしてゆっくり見る家内が、今日はスイスイ歩いて行くので、あまり感動してないと分かりました。

そこで、後で家内へ上の感想を述べました。彼女も同感ですと言います。

それでも会場は満員でした。ギリシャの美術作品はどのようなものかという知識欲に飢えた人々は是非お出掛け下さい。イギリスまで行かなくても大英博物館の逸品を沢山見る事が出来ます。下に会場の外側の写真をお送り致します。

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「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」

2011年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」は黄文雄さんという台湾出身の人が最近出した単行本の題目です。5月31日に徳間書店から初版が出されました。

題目からして日本人が恥ずかしくなるような本です。昨日、本屋で見つけました。手にとって立ち読みをしました。内容がしっかりした文明評論になっています。キリシタン禁教の日本に38年間も踏みとどまり、布教の努力をしたイエズス会士のルイス・フロリス(1532-1597年)が日本人をどのように見て居たかも書いてあります。

この記述を見て、この本を買うことにしました。立ち読みは良い事ではありませんが、20秒位はしています。手にとって目次を見て、ページをパラパラすると買うべき本かどうかが直ぐに分かります。

著者の黄文雄さんは本気で日本人を尊敬しています。そうです。日本の植民地時代のことを知っている台湾の人々は本当に日本人を尊敬しているのです。

何故、台湾の人々は日本人をそんなに尊敬しているのでしょうか?

それは最近、読売新聞の「時代の証言者」で連載されている邱 永漢さんの話を読むと分かります。

邱 永漢さんも台湾出身の直木賞受賞の作家であり、事業家です。

1949年、北京で中国共産党が新しい中国の独立を宣言した時、国民党の蒋介石一派が台湾へ逃れ、そこに中華民国の政府を作ったのです。その中華民国政府の台湾統治があまりにも劣悪、言語道断だったのです。日本の統治に較べあまりにも非道なものだったのです。その反作用で日本人を心から尊敬する人々が出来てしまったのです。別に日本人が特に偉かったわけではありません。

ところで、「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」という本にはいろいろな視点から日本人を褒めています。褒め言葉は社交辞令として割り引いても、その視点が興味深いのです。

1976年に毛沢東が亡くなる直前に唐山大地震が起き、死者が数十万人出ました。しかし、唐山大地震の事は報道規制が厳しく、詳細は現在でも不明です。地震で崩壊した村や町を周辺の農民が集団で襲い、略奪を繰り返していたのです。北京の共産党中央は軍隊を送り込み集団化した略奪者たちを鎮圧したのです。

今回の日本の大災害で周辺の農民が集団で被災地を襲って、略奪する現象は起きませんでした。ですからこそ中国政府は日本人を本気で褒めたのです。と、いうような事がこの本には書いてあります。

他人をけなしたり悪口を言うより褒めるほうが良いのです。良い理由は、褒めて居る本人が一番幸せを感じるのです。この本を書きながら楽しい時間を持つことが出来た黄文雄さんが一番幸福だったのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


爽快な夏の日・・・多摩川で水遊びをする子供達の写真です

2011年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の東京地方は最高気温が25度くらいで、秋のように爽快な風が吹いていました。

午前中は近所の商店街を散歩しましたが、午後には孫達と多摩川へ水遊びに行きました。河原には子供達のはじけるような声が響き、水しぶきがキラキラと陽の光を反射しています。

逆光をうまく使った写真を撮ろうとしましたが失敗しました。下に3枚お送りいたします。

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今日の散歩・・・小金井の商店街を歩く

2011年07月22日 | 写真

今日も涼しくて気持ちが良いので、小金井の商店街へ散策に行きました。南側の商店通りはすっかり小奇麗になってしまって昔の面影がありません。

そこで一歩裏通りへ入って、古い感じのお店を探して写真を撮りました。

始めの写真は昔からある質屋さんです。その下は古いクリーニング屋さんです。主人が汗を流しながらワイシャツにアイロンをかけていました。

最後の写真は小金井の町中の湧水の汲み場の御地蔵さんです。湧水は黄金水と称して有料です。近所の人が空のペットボトルを沢山持って来て汲んでいました。何故、そんなにお汲みになるのですかと聞きました。ご飯炊き、味噌汁、煮もの、全てこの湧水を用いると美味しくなりますよと教えてくれました。

昼時になったので家内と一緒にシタールというインド料理店でカレーを食べて帰ってきました。詰まらない写真ですが、下にお送り致します。(終り)

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同棲か、結婚か、離婚か、死に別れか・・・男女の長い人生

2011年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

男女の間に恋愛感情が生まれ結婚に至る事もあります。あるいはいろいろな事情でまず結婚してから、その後で恋愛感情が生まれる場合もあります。育った場所も、家庭環境も全く違う2人が結婚して、仲良く暮らす場合が多い のです。不思議な事です。神秘的な事です。カトリックでは結婚は神の奇蹟と言い、離婚は厳禁です。

しかし長い結婚生活にはいろいろな事があります。離婚したほうが幸せになる場合もあります。この離婚の問題は常に人間生活にとって重要な問題です。

その一方で「離婚」はいろいろな時代や国々の社会的な背景で左右されることもあります。そこで社会の事情と離婚の関係を少しだけ考えて見たいとおもいます。

その前に下の図面をご覧下さい。世界の各国の離婚率を棒グラフにして比較した図面です。人口1000人あたり何件の離婚が2010年に起きたかという統計です。

ロシアが4.8件、アメリカが3.6件、スウェーデン、イギリス、フランス、ドイツ、日本などが2.4から2.0、そしてイタリアが非常に低くて0.8です。

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上の図面を見てやっぱりアメリカは男女平等で自由の国だからとよく言われます。

それではロシアは何故離婚が多いのでしょうか?共産主義の国だったので宗教の束縛が無かったので離婚が多いのでしょうか?

イタリアが非常に少ないのはローマ法王のお膝元からなのでしょうか?

こういう議論は一見もっともらしいようです。しかし私は馬鹿馬鹿しい理論だと思います。結婚や離婚は人間の理性や知識ではどうしようもない神秘の領域なのです。

もし多くのイタリア人が結婚しないで独身で一生を終えるとしたら、ローマ法王とは関係はありませんね。結婚しないのですから離婚も起きません。日本でも独身者が増大しましたから上のような統計資料は無意味になります。

昔の経験ですが、ある時、スウエーデンで、若いカップルの家の夕食に招待された事があります。仲の良い夫婦ですねと言いました所、彼等は「同棲中」ですと誇らしげに答えました。聞くとスウェーデンの多くの若者は、数年間、同棲してから結婚をするそうです。決心がつけば結婚し、決心がつかなかったら別れると言うのです。

そして同棲して相手の性格を見極めてから結婚するのでスウェーデンでは離婚率が非常に少ないと主張します。これが一番合理的な結婚の方法ですと自慢するのです。しかしこれにはスウェーデンの税制も関係しているようです。

それにしても上の図面でみるとスウェーデンの離婚率は2.3でドイツと変わりません。日本は2.0ですから日本の方が少ないのです。

これは離婚に対する理解が間違っている事を示しています。

この詰まらない記事の結論を2つ書きます。

(1)同棲や結婚や離婚はまったく個人的な大事件であり、どんなに正確な統計を示されても何の役にも立たない。統計は問題解決にとって全く無意味であり、無力であす。

(2)一旦結婚した以上は、我慢できるのなら離婚しない方が良いし、得なのです。いずれ年を取ってどちらかが先に死にます。自然に死に別れるのが一番良いのです。勿論、我慢できなければさっさと離婚して新しい人生を切り開きのも良い場合もあります。

勿論、結婚などという面倒な事をせずに一生独身を通す人々が増えている事を考えると「離婚」はそんなに重大な事件では無いのかも知れません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


ああ、昭和は遠くなりにけり

2011年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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老人になると少年のころが無性に懐かしくなる。昭和11年に生まれたので、昭和天皇が懐かしい。それにしても昭和時代はもう23年も昔のことになってしまいました。ああ、昭和は遠くなりにけり、ですね。

そこで昭和天皇記念館のことをご紹介したいと思います。

立川市の昭和記念公園の花みどり文化センターの中の昭和天皇記念館を訪れた。

展示はいろいろある。昭和21年から29年にわたる全国の津々浦々へ行幸なさったたときの白黒写真のスライドが大写し画面で、ゆっくりと流れる。筆者が住んでいた仙台市へいらした時のもある。小学6年生の秋であった。小旗を振ってお迎えした。展示のスライドは全国各地の人々の群れに囲まれた天皇のお姿が映っている。みな貧しげな服装であるが、顔が明るく輝いている。

この時ほど昭和天皇を身近に感じたことが無い。全国の都道府県をすべて巡幸された。沖縄県以外は。

沖縄では基地反対運動などで騒然とした時代が長く続く。そんな中で天皇の訪問は政治的に慎重にならざる得ない。ついに 昭和62年、沖縄国体の時、沖縄訪問の予定が決定する。しかし残念にもご病気で取り止めになる。

その時、代理でいらした皇太子に託した沖縄県民への手紙も展示してある。沖縄上陸作戦に民間人が巻き込まれ、悲惨な地上戦が3ケ月も続いた。そんな沖縄への切々たるお気持ちがあふれた文章である。人間性豊かな天皇であった。終世、沖縄訪問を願いつつ果たせなかった。

また展示室右手上には6枚の大型液晶画面があり87年のご生涯の映像が出る。

晩年にテレビ記者と会見したときのお元気な御声をかなり長時間聞くことができる。これは係の人に申し出て、是非お見逃しなく。

展示室の中央には昭和10年から52年までご愛用になられた箱形ベンツ乗用車が磨きあげて飾ってある。たびたび新聞写真でみた懐かしい乗用車です。

館内は撮影禁止なので入口のドアーと受付のところの2枚の写真以外は記念館のホームページ、http://www.f-showa.or.jp から引用しました。 下の列の左から2枚目は87年のご生涯の折々のお写真、3枚目は生物研究室の様子、4枚目は公務用の机、5枚目は昭和3年のご即位の折の行列の一部の様子です。

撮影日時;2008年7月31日午前11時頃 (終わり)


今日の散歩・・・武蔵野の森公園

2011年07月21日 | 写真

今日は久しぶりに最高気温が20度で、秋のようなさわやかな風が吹いています。

猛暑続きで散歩など出来ませんでしたが、今日は調布飛行場の西側に隣接する武蔵野の森公園を歩いて来ました。4km程の散歩でした。ついでに大島通いの小型旅客機の写真を撮りました。曇りなので良い写真は撮れませんでした。(終り)

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