平成4年の10月に天皇陛下と皇后陛下は中国を訪問なさいました。
まず写真をご覧下さい。
1番目の写真は10月24日、北京の近くの万里長城での天皇陛下と皇后陛下の写真です。
2番目の写真は万里長城で中国側の歓迎陣に囲まれている天皇陛下と皇后陛下の写真です。
3番目の写真は楊尚昆国家主席と握手する明仁天皇です。
4番目の写真は江沢民総書記と並んだ明仁天皇です。
5番目の写真も当時の江沢民総書記(左端)と並んだ写真です。
さて写真で示した1992年の天皇陛下と皇后陛下の中国訪問は日中間の関係史において重大な訪問でした。
それは1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで続いた日中戦争の終焉を意味する一つとも考えられるからです。
この天皇の中国訪問は反日政策を進めた江沢民による強い要請によるものでした。
江沢民は天安門事件の武力弾圧で欧米諸国から孤立した中国の苦境を打開するために日本を取り込もうとしたのです。
ですから1992年の天皇陛下と皇后陛下の中国訪問は1989年の天安門事件の延長だったとも解釈出来ます。
なお江沢民の反日政策については次回の連載記事で少し詳しく示します。
さて1992年の天皇の中国訪問の日程を見てみましょう。
10月23日(金)
東京 御発、北京 御着
歓迎式典(人民大会堂東門外広場)
国家主席とのご会見(人民大会堂河北庁)
国家主席主催歓迎晩餐会(人民大会堂河西大庁)[天皇陛下のおことば]
10月24日(土)
八達嶺長城ご視察
<天皇陛下>
自然科学者とのご歓談(中国科学院)
総書記主催晩餐会(釣魚台国賓館17号芳菲苑)
10月25日(日)
故宮博物院ご視察
大使主催レセプション(日中関係者及び在留邦人)(中国大飯店)
国家主席にお別れのご挨拶(釣魚台国賓館18号楼)
10月26日(月)
西安、大雁塔ご視察
西安在留邦人拝謁
西大門城壁ご視察
陝西省長主催歓迎晩餐会
10月27日(火)
実験室ご視察及び学者・学生とご歓談(上海交通大学)
上海市長主催歓迎晩餐会(新錦江飯店)
上海市内(外灘・南京路)ご視察
10月28日(水)
南浦大橋ご視察
農村ご視察(周浦郷)
在留邦人拝謁(ガーデン・ホテル)
夜に帰国。
以上の日程の中で平成4年10月23日(金)の国家主席主催歓迎晩餐会で天皇陛下は日中戦争の歴史を振り返り、『我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。』と述べられたのです。
以下は天皇陛下のおことばです。日中間の交流の歴史を描いた格調の高い演説なので全文を示します。
楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
今夕は,私どものために,このような宴を催していただき,また,ただ今は楊尚昆国家主席閣下から,心温まるお言葉をいただき,厚く御礼申し上げます。
貴国と我が国の交流の歴史は古く,特に,7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使,遣唐使の派遣を通じ,我が国の留学生は長年中国に滞在し,熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は,そのような古い時代から長い間平和裡に続き,我が国民は,長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました。私自身も年少の頃より中国についての話を聞き,また,本で読むなどして,自然のうちに貴国の文化に対する関心をもってきました。子供向きに書かれた三国志に興味を持ち,その中に出てくる白帝城についての「朝辞白帝彩雲間(あしたにじすはくていさいうんのかん)」に始まる李白の詩を知ったのも,少年時代のことでありました。
また,今世紀に入ってからは,貴国の有為の青年が数多く我が国を訪れるようになり,人的交流を含む相互の交流は一層活発なものとなりました。私は,このような両国民間の交流の伝統をかけがえのない,貴いものと考えます。
このような深い関係にある貴国を,この度,主席閣下のお招きにより訪れることができましたことは,私どもの深く喜びとするところであります。
しかし,この両国の関係の永きにわたる歴史において,我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時,我が国民は,このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち,平和国家としての道を歩むことを固く決意して,国の再建に取り組みました。爾来,我が国民は,世界の諸国との新たな友好関係を築くことに努力してまいりましたが,貴国との間においては,両国の先人たちを始めとする多くの人々の情熱と努力によって,将来にわたる末長い平和友好を誓い合う関係が生まれ,広範な分野での交流が深まりつつあります。私はこのような両国民間の関係の進展を心から喜ばしく思うとともに,この良き関係がさらに不動のものとなることを望んでやみません。
今日,国際社会は,人類の平和と繁栄の達成という崇高な理想に向けて共同の努力を行っておりますが,この中にあって,日中両国民の友好親善関係の進展は,大きな意義を持つものと信じます。
本年は,日中国交正常化20周年という両国間の関係における大きな節目の年にあたっており,両国民の間で,相互理解と友好親善を目指して様々な行事が行われております。貴国からは,江沢民総書記閣下並びに万里委員長閣下が我が国を御訪問になり,両国間の絆をより太くより強いものとすることに貢献されました。この度の私どもの貴国訪問が,このような絆に結ばれた両国民にとり,お互いに良き隣人として将来に向かって歩む契機となれば誠に喜ばしく思います。
私どもは北京のほか西安と上海を訪れることになっております。西安では,かつて我が国から航海の危険を冒しつつ唐に渡り,長安で中国の文化を学んだ遣唐使や留学生の労苦をしのびつつ,貴国の歴史に触れたいと思います。また,上海では,貴国の新たな発展の息吹に触れることができるでありましょう。私どもは,この度の訪問において,できるだけ多くの若い人々にも接する機会を得たいと考えております。両国の若い世代は必ずやこれまでの伝統的な交流の歴史を継承し,これをさらに豊かな心の交流として発展させていくにちがいありません。
北京の秋の美しさは多くの人によって語られてまいりました。この美しい季節にこの地を訪れる機会を得ましたことを私どもは心よりうれしく思っております。
楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
ここに日中両国民間の友好親善の発展を念じますとともに,楊尚昆主席閣下の御健勝と貴国の繁栄,そして貴国民の幸せを祈って杯を挙げたいと思います。(乾杯)
日中間の関係は時代によって変化しますが、この天皇陛下のお話のように悠久の歴史の視点から考えるべきと思います。とても良いお話と思いました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
まず写真をご覧下さい。
1番目の写真は10月24日、北京の近くの万里長城での天皇陛下と皇后陛下の写真です。
2番目の写真は万里長城で中国側の歓迎陣に囲まれている天皇陛下と皇后陛下の写真です。
3番目の写真は楊尚昆国家主席と握手する明仁天皇です。
4番目の写真は江沢民総書記と並んだ明仁天皇です。
5番目の写真も当時の江沢民総書記(左端)と並んだ写真です。
さて写真で示した1992年の天皇陛下と皇后陛下の中国訪問は日中間の関係史において重大な訪問でした。
それは1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで続いた日中戦争の終焉を意味する一つとも考えられるからです。
この天皇の中国訪問は反日政策を進めた江沢民による強い要請によるものでした。
江沢民は天安門事件の武力弾圧で欧米諸国から孤立した中国の苦境を打開するために日本を取り込もうとしたのです。
ですから1992年の天皇陛下と皇后陛下の中国訪問は1989年の天安門事件の延長だったとも解釈出来ます。
なお江沢民の反日政策については次回の連載記事で少し詳しく示します。
さて1992年の天皇の中国訪問の日程を見てみましょう。
10月23日(金)
東京 御発、北京 御着
歓迎式典(人民大会堂東門外広場)
国家主席とのご会見(人民大会堂河北庁)
国家主席主催歓迎晩餐会(人民大会堂河西大庁)[天皇陛下のおことば]
10月24日(土)
八達嶺長城ご視察
<天皇陛下>
自然科学者とのご歓談(中国科学院)
総書記主催晩餐会(釣魚台国賓館17号芳菲苑)
10月25日(日)
故宮博物院ご視察
大使主催レセプション(日中関係者及び在留邦人)(中国大飯店)
国家主席にお別れのご挨拶(釣魚台国賓館18号楼)
10月26日(月)
西安、大雁塔ご視察
西安在留邦人拝謁
西大門城壁ご視察
陝西省長主催歓迎晩餐会
10月27日(火)
実験室ご視察及び学者・学生とご歓談(上海交通大学)
上海市長主催歓迎晩餐会(新錦江飯店)
上海市内(外灘・南京路)ご視察
10月28日(水)
南浦大橋ご視察
農村ご視察(周浦郷)
在留邦人拝謁(ガーデン・ホテル)
夜に帰国。
以上の日程の中で平成4年10月23日(金)の国家主席主催歓迎晩餐会で天皇陛下は日中戦争の歴史を振り返り、『我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。』と述べられたのです。
以下は天皇陛下のおことばです。日中間の交流の歴史を描いた格調の高い演説なので全文を示します。
楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
今夕は,私どものために,このような宴を催していただき,また,ただ今は楊尚昆国家主席閣下から,心温まるお言葉をいただき,厚く御礼申し上げます。
貴国と我が国の交流の歴史は古く,特に,7世紀から9世紀にかけて行われた遣隋使,遣唐使の派遣を通じ,我が国の留学生は長年中国に滞在し,熱心に中国の文化を学びました。両国の交流は,そのような古い時代から長い間平和裡に続き,我が国民は,長年にわたり貴国の文化に対し深い敬意と親近感を抱いてきました。私自身も年少の頃より中国についての話を聞き,また,本で読むなどして,自然のうちに貴国の文化に対する関心をもってきました。子供向きに書かれた三国志に興味を持ち,その中に出てくる白帝城についての「朝辞白帝彩雲間(あしたにじすはくていさいうんのかん)」に始まる李白の詩を知ったのも,少年時代のことでありました。
また,今世紀に入ってからは,貴国の有為の青年が数多く我が国を訪れるようになり,人的交流を含む相互の交流は一層活発なものとなりました。私は,このような両国民間の交流の伝統をかけがえのない,貴いものと考えます。
このような深い関係にある貴国を,この度,主席閣下のお招きにより訪れることができましたことは,私どもの深く喜びとするところであります。
しかし,この両国の関係の永きにわたる歴史において,我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時,我が国民は,このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち,平和国家としての道を歩むことを固く決意して,国の再建に取り組みました。爾来,我が国民は,世界の諸国との新たな友好関係を築くことに努力してまいりましたが,貴国との間においては,両国の先人たちを始めとする多くの人々の情熱と努力によって,将来にわたる末長い平和友好を誓い合う関係が生まれ,広範な分野での交流が深まりつつあります。私はこのような両国民間の関係の進展を心から喜ばしく思うとともに,この良き関係がさらに不動のものとなることを望んでやみません。
今日,国際社会は,人類の平和と繁栄の達成という崇高な理想に向けて共同の努力を行っておりますが,この中にあって,日中両国民の友好親善関係の進展は,大きな意義を持つものと信じます。
本年は,日中国交正常化20周年という両国間の関係における大きな節目の年にあたっており,両国民の間で,相互理解と友好親善を目指して様々な行事が行われております。貴国からは,江沢民総書記閣下並びに万里委員長閣下が我が国を御訪問になり,両国間の絆をより太くより強いものとすることに貢献されました。この度の私どもの貴国訪問が,このような絆に結ばれた両国民にとり,お互いに良き隣人として将来に向かって歩む契機となれば誠に喜ばしく思います。
私どもは北京のほか西安と上海を訪れることになっております。西安では,かつて我が国から航海の危険を冒しつつ唐に渡り,長安で中国の文化を学んだ遣唐使や留学生の労苦をしのびつつ,貴国の歴史に触れたいと思います。また,上海では,貴国の新たな発展の息吹に触れることができるでありましょう。私どもは,この度の訪問において,できるだけ多くの若い人々にも接する機会を得たいと考えております。両国の若い世代は必ずやこれまでの伝統的な交流の歴史を継承し,これをさらに豊かな心の交流として発展させていくにちがいありません。
北京の秋の美しさは多くの人によって語られてまいりました。この美しい季節にこの地を訪れる機会を得ましたことを私どもは心よりうれしく思っております。
楊尚昆国家主席閣下,並びに御列席の皆様
ここに日中両国民間の友好親善の発展を念じますとともに,楊尚昆主席閣下の御健勝と貴国の繁栄,そして貴国民の幸せを祈って杯を挙げたいと思います。(乾杯)
日中間の関係は時代によって変化しますが、この天皇陛下のお話のように悠久の歴史の視点から考えるべきと思います。とても良いお話と思いました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)