575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

忘れられぬ背面 (鳥野さんへのコメント)        ぐ

2007年04月20日 | Weblog
 十数年前渡岸寺を訪ねたことがあります。
 あまやかな微笑をたたえた観音様のお顔は思い出せませんでしたが、
背面の「暴悪大笑面」のことは印象に残っていました。
 ビックリもしたし、仏師のブラックユーモアに感心した覚えが有りました。
 早速、確かめようと画像を取り出して見ました。 ああ これだ。としばし
見入りました。

湖北燃え暴悪大笑冬の雷
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十一面様に心惹かれて

2007年04月20日 | Weblog
仏教徒でもなく、仏像の知識もない私めが、何ゆえにか心惹かれるのが、十一面観音です。
出会いは、奥びわ湖高月町の渡岸寺。まだ北陸道が開通しておらず、8号線を走っていて、何気なく立ち寄って、拝観したことから。

国宝の仏像が手が届くほど間近に立っておられたのです。下向き加減の優しいお顔、胸から腹への豊かな肉付き、少しひねった腰のなまめかしさ。
如来をめざしての修行が、まだ叶わぬという、悩みを語りかけてくるようでした。

あれから、5度は逢いにいきました。何時も姿は温かいのです。

湖北は観音像の宝庫。その大方は地方の小さい寺住まい。里人に手厚く守られています。
石道寺の十一面様は、素朴で可憐でまるで村娘。当番の婦人に懐中電灯で照らしてもらうと、足の親指をちょっと上げて、歩み寄る風情です。

この辺りの仏様は、戦国の戦禍を必死に逃れてきました。
背負われて火をくぐったり、川底に埋められて長い時をすごしたり。
赤後寺の千手観音は、手先の総てを失い、顔も衣も傷だらけという痛々しさです。

  あまやかな微笑たたえし観音のいます湖北は黒土温し

  女体なる御ほとけ負いて火を逃げし人は愉悦の刻を持ちしに

  手も足も焼け失いてなお愛し戦国の惨を見てこし像は

                          鳥野
コメント (1)
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