はじめて読んだ時は、よく分かりませんでした。
渡り鳥をみている。鳥は、みるみる北へ遠ざかっていく。
鳥から見たら、人間のわれも、みるみる小さくなっていく。
知的だけれど、アタリマエな、ヘンな句・・・といった印象でした。
でも、どこか気になっていました。
最近、渡り鳥と人間ではなく、人間同士の関係だったらどうだろうか?
たとえば恋の句だとしたら・・・と、ふっと思いました。
恋する人との別れ。
時とともに、私のなかの恋人はどんどん離れていく。
恋人も私を忘れる。私も小さな存在になっていく・・・
渡り鳥をみている句と読んだけれども、上五で、切れている。
としたら、恋の句という読み方もありうるのでは?
渡り鳥を見ていた句として読むと、
われと鳥との間に、恋人同士と同じものを感じたかも。
いのちとの一期一会を読んだ句かもしれない。
それなら鳥が小さくなると詠んでも良いが・・・
なぜ、われが小さくなると詠んだのか?
これは自我というものをどう考えるのか?
という哲学的な問題を提起しているのか?
自己はそれ自身としては器でしかない。
なかに入っている内容はみな他者である。
その他者が小さくなるということは、即ち、われが小さくなることか・・・
渡り鳥みるみるわれの小さくなり
やはり気になる句です。 (遅足)