船団の岡野泰輔ドクターの診断です。
「秋の夜」は「秋の暮」ほどではないにしても、
まあ、賑やかよりはさみしさに傾く。
つまり「秋の夜のさみしき」は冗語に近い。
言葉の経済が問われる短詩型としては「秋の夜」か「さみしき」が余計なのだ。
といっても「さみしきパン」はなかなか魅力的な措辞、
では「秋の夜」こそが余計かというと、これがそうでもない。
季題とか季語とかという話ではなくて、
上五に置かれた「秋の夜」は俳句という結構のためには不可欠の余分、
あるいは無意味。
お座なりに置かれた「秋の夜」はそのお座なり振りが
巧妙に中七以下を統御している。
妙なところを褒めすぎでしょうか?そうかもしれない。
(褒められたのか?そうでないのか?微妙・・・)
「秋の夜」は「秋の暮」ほどではないにしても、
まあ、賑やかよりはさみしさに傾く。
つまり「秋の夜のさみしき」は冗語に近い。
言葉の経済が問われる短詩型としては「秋の夜」か「さみしき」が余計なのだ。
といっても「さみしきパン」はなかなか魅力的な措辞、
では「秋の夜」こそが余計かというと、これがそうでもない。
季題とか季語とかという話ではなくて、
上五に置かれた「秋の夜」は俳句という結構のためには不可欠の余分、
あるいは無意味。
お座なりに置かれた「秋の夜」はそのお座なり振りが
巧妙に中七以下を統御している。
妙なところを褒めすぎでしょうか?そうかもしれない。
(褒められたのか?そうでないのか?微妙・・・)