戦死せり三十二枚の歯をそろへ
戦争で死んでいった若者を詠んだ句として有名です。作者は藤木清子。
昭和11年から15年までの一時期に活躍した俳人です。
5年間を俳句でたどってみます。
亡夫(つま)の額にひざしがぬくくとけてゐる
昭和11年に夫を亡くします。
ひとり身に馴れてさくらが葉となれり
翌昭和12年。この年、日中戦争始まります。
兵往けりしろき峰雲ゆるぎなく
昭和13年。
ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ
管制の灯低く垂り秋燈なり
昭和14年。遺骨になって還ってくる兵が増えていきます。
戦死者の寡婦にあらざるはさびし
戦争と女はべつでありたくなし
昭和15年。
壮行歌昂ぶりわれはひそやかに
ひとすじに生きて目標をうしなへり
俳句誌「旗艦」の15年10月号に「ひとすじに」の句が、
掲載されたのを最後に消息が分からなくなったそうです。
昭和15年は、新興俳句運動が弾圧され、まもなく旗艦も廃刊になります。
研ぎ澄まされた感性の句が、今の私たちの訴えてくるものがあります。
銃後の生活は寡婦には生き難いものだったでしょう。こんな句もあります。
縁談をことはる畳なめらかに
この後の時代をどのように生きていったのでしょうか?
生年没年も不詳だそうです。
「反骨無頼の俳人たち」より。 遅足
戦争で死んでいった若者を詠んだ句として有名です。作者は藤木清子。
昭和11年から15年までの一時期に活躍した俳人です。
5年間を俳句でたどってみます。
亡夫(つま)の額にひざしがぬくくとけてゐる
昭和11年に夫を亡くします。
ひとり身に馴れてさくらが葉となれり
翌昭和12年。この年、日中戦争始まります。
兵往けりしろき峰雲ゆるぎなく
昭和13年。
ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ
管制の灯低く垂り秋燈なり
昭和14年。遺骨になって還ってくる兵が増えていきます。
戦死者の寡婦にあらざるはさびし
戦争と女はべつでありたくなし
昭和15年。
壮行歌昂ぶりわれはひそやかに
ひとすじに生きて目標をうしなへり
俳句誌「旗艦」の15年10月号に「ひとすじに」の句が、
掲載されたのを最後に消息が分からなくなったそうです。
昭和15年は、新興俳句運動が弾圧され、まもなく旗艦も廃刊になります。
研ぎ澄まされた感性の句が、今の私たちの訴えてくるものがあります。
銃後の生活は寡婦には生き難いものだったでしょう。こんな句もあります。
縁談をことはる畳なめらかに
この後の時代をどのように生きていったのでしょうか?
生年没年も不詳だそうです。
「反骨無頼の俳人たち」より。 遅足