575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

歌声に力をもらう~むらなが吟コンサート~   竹中敬一

2016年11月25日 | Weblog
私の息子が入居している障害者支援施設では、毎年秋にイベントがあります。
今年も、障害者とその家族が招待され、私も息子と一緒に参加しました。
その日は、夜来の雨も上がって、少し風はあるものの、秋日和に恵まれました。

ボランティアや地域の人たちも協力。綿菓子や焼きそば、焼き鳥などの
屋台も出て、大賑わいでした。
施設の広い中庭では、ミュージシャンの「むらなが吟」のコンサートが開かれました。

岐阜県下呂の出身、毎年、北海道から沖縄までコンサートを続けているという
彼の歌を初めて聴きました。声量の豊かな中に錆びた歌声という印象でした。
彼はコンサート中、障害者やその家族を励ますような言葉を一言も発しませんでした。
しかし、心をこめて一生懸命、訴えるように歌う彼を見て、
看護師に絶えず支えられた重度の障害者や、手や足、言葉を発するのも
不自由な人たちが懸命に拍手を送ろうとする姿がみんなの胸を熱くしました。
これこそ、歌の力です。声に力です。

童謡から昔懐かしいベサメムーチョまで約1時間半のコンサートの中に
時々、短いトークを入れます。

"赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちやった"

野口雨情・作詞の童謡「赤い靴 」は 雨情が北海道にいた頃、友人から聞いた
悲しい実話をもとにしたこと。

"シヤボン玉 消えた 飛ばずに 消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた"

童謡 「 シヤボン玉 」は、野口雨情が愛娘を生まれて僅か七日で亡くした
その悲しみを表現したものであること。

むらなが吟が、どうして、わざわざこうした童謡を選んだのでしょうか。
私はきっと障害者とその家族に向かって、「何も悲観することはありません。
人間、誰だって一生に一度や二度は悲しいことに遭遇します。」と
励ましているように思えてなりませんでした。

息子はというと、持ってきたノートに絵を描くのに忙しく、時々、歌い手やバンドに
目を向ける程度。「何でピアノがないの。フル・オーケストラで歌ってみたい 」などと
相変わらず、自分勝手なことを言っていました。

             

写真は、息子さんの健さんの絵です。暇さえあれば、ノートにこんな絵をびっしり
無造作に描いているそうです。(遅足)

コメント
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