575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「木曽の四季」~この風を持って帰りたい~ 竹中敬一

2016年11月04日 | Weblog
私は昭和49年 (1974) にドキュメンタリー「木曽の四季」を制作しました。
(昭和50年度の芸術祭優秀賞を受賞した思い出深い作品です)

およそ40年前、それは高度成長の末期でした。
山深い木曽も開発の波に呑み込まれようとしていました。
霊山、御嶽山の麓もスキー場やゴルフ場など観光開発が進んでおり、
変わり行く木曽の有様を、四季を通じてカメラで追いました。

テーマは「別れ」。取材した一年だけで、木曽馬がいなくなりました。
森林鉄道の廃止、廃村も相次ぎました。滅びいくものへのリクェイムとして、
「これで、いいのだろうか」と静かに訴えた作品です。

この番組の取材で何回か御嶽山にも登りました。
当時、山頂を目指すのは多くが白装束の御嶽信仰の人たちでした。

あれから40年余、木曽はどう変わったでしょうか。
御嶽山は、気軽に登れる山として、観光客で賑わうようになりましたが、
昭和54年には、有史以来、初めて噴火しました。
続いて、昭和59年の長野県西部地震では御嶽山が大崩壊、
そして平成26年には又、噴火して多くの死傷者を出しました。

御嶽山の麓にある王滝村の人口は昭和50年2039人だったのが、
平成26年の御嶽山噴火後は、859人になっています。(国勢調査による)

「おんたけスキー場」は、牧尾ダムの補償金をもとに、昭和36年に造られました。
しかし、王滝村は年々、疲弊して行くばかりで、借金返済の重みで
村の財政は、平成20年頃には全国ワースト1となってしまいました。
村営の「 おんたけスキー場 」の債務が、村の財政を大きく圧迫していたようです。
その後、スキー場は民間の企業に、また村営に、今は別の企業の委託運営となっています。
「木曽の四季」の取材では、王滝村役場の人たちに大変お世話になっただけに心が痛みます。

村では、現在、木曽馬や森林鉄道の復活が試みられているようです。
40年前、「これで、いいのだろうか」と、静かに訴えたことが、
今、改めて間違いではなかったように思い出されるのです。

            

「ああ、この風を持って帰りたい・・・」
離村した女性が、今は無人となった家を訪れた時、思わずもらした一言。
けがれのない風が、テレビの前の私のなかを吹き抜けていきました。(遅足)


コメント
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