私はまもなく85歳になりますが、" 時の移ろいの早さ" 、 " 物忘れの
はやさ " には、我ながら驚いています。
私の父は平成 6年 92歳で亡くなりましたが、私と同じ年齢の頃、
どんな歌を詠んだのか歌集をたどってみました。
歌集 「 木草と共に 」昭和63年の項より。父が85歳の時の歌です。
生者必滅 会者定離 われと吾身に言ひきかせたり
「 しょうじゃひつめつ えしゃじょうり 」
広辞苑によれば仏教用語で 「この世はすべて無常であって、生命ある
ものは必ず死滅する時がある。会うものは必ず離れる運命にある 」
私の母ミツはこの歌が詠まれた一年前、脳梗塞を患い81歳で亡くなって
います。
父は若い頃、旧制八高 ( 名古屋大学 の前身 )を中退、浪々の日々の中で、
福井県小浜市にある曹洞宗の修行道場 、発心寺で 原田祖岳老師について
参禅したことがあります。
仏教にも関心があり、「 生者必滅 会者定離 」とよく唱えていたことを
今でも覚えています。
私もいつしか生者必滅の文句に惹かれ、これに似た詩歌を見つけると
書き留めておいて、時折 つぶやいています。
唐代の詩人 劉希夷 ( りゅう き い ) の「 代悲白頭翁 」( 白頭を悲しむ
翁に代わる )の中に出てくる二句
年年歳歳 花 相似 ( ねんねんさいさい はな あいにたり )
歳歳年年 人 不同 ( さいさいねんねん ひと おなじからず )
毎年、春が来れば花は同じように咲くけれども、年ごとにその花を見る
人は同じではない。年年歳歳を歳歳年年と置き換えだけで見事な効果を
発揮しています。漢字の素晴らしさ。
漢詩を和訳して、その方がより心惹かれる場合もあります。
唐代の詩人 武陵 ( ぶりょう ) の 詩「 勧酒 」を作家の井伏鱒二が訳すと
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
もとの漢詩は
花発多風雨 花 発 ( ひら ) けば 風雨 多し
人生足別離 人生 別離 足 ( た ) る
古い歌謡曲の一節に " 春の嵐に散りゆく花か " というのがありましたが、
特に日本では丁度、桜が満開の頃、風雨にさらされることが多い。
それを人生のはかなさに重ねて歌にしたりしています。
人生には別離がつきもの。それにしても井伏鱒二の訳詩に比べ、もとの
漢詩はなんとなくそっけなく感じます。
矢張り「 サヨナラダケガ ジンセイダ 」。
「 平家物語 」「方丈記」「奥の細道」の出だしの文句は大般若経など
の仏典や漢詩からの影響を受けているのではないでしょうか。
写真は庭に咲く山茶花。
我が庭のさざんかの花満開の今を盛りに散りゆくばかり
撮影 竹中敬一 短歌 遅足