575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中 皆ニの短歌から ~ 会者定離 ( えしゃじょうり ) ~ 竹中敬一

2018年12月01日 | Weblog


私はまもなく85歳になりますが、" 時の移ろいの早さ" 、 " 物忘れの

はやさ " には、我ながら驚いています。

私の父は平成 6年 92歳で亡くなりましたが、私と同じ年齢の頃、

どんな歌を詠んだのか歌集をたどってみました。

歌集 「 木草と共に 」昭和63年の項より。父が85歳の時の歌です。


 生者必滅 会者定離 われと吾身に言ひきかせたり


「 しょうじゃひつめつ えしゃじょうり 」

広辞苑によれば仏教用語で 「この世はすべて無常であって、生命ある

ものは必ず死滅する時がある。会うものは必ず離れる運命にある 」

私の母ミツはこの歌が詠まれた一年前、脳梗塞を患い81歳で亡くなって

います。


父は若い頃、旧制八高 ( 名古屋大学 の前身 )を中退、浪々の日々の中で、

福井県小浜市にある曹洞宗の修行道場 、発心寺で 原田祖岳老師について

参禅したことがあります。

仏教にも関心があり、「 生者必滅 会者定離 」とよく唱えていたことを

今でも覚えています。

私もいつしか生者必滅の文句に惹かれ、これに似た詩歌を見つけると

書き留めておいて、時折 つぶやいています。

唐代の詩人 劉希夷 ( りゅう き い ) の「 代悲白頭翁 」( 白頭を悲しむ

翁に代わる )の中に出てくる二句


 年年歳歳 花 相似 ( ねんねんさいさい はな あいにたり )

 歳歳年年 人 不同 ( さいさいねんねん ひと おなじからず )


毎年、春が来れば花は同じように咲くけれども、年ごとにその花を見る

人は同じではない。年年歳歳を歳歳年年と置き換えだけで見事な効果を

発揮しています。漢字の素晴らしさ。



漢詩を和訳して、その方がより心惹かれる場合もあります。

唐代の詩人 武陵 ( ぶりょう ) の 詩「 勧酒 」を作家の井伏鱒二が訳すと


 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ


もとの漢詩は

 花発多風雨 花 発 ( ひら ) けば 風雨 多し

 人生足別離 人生 別離 足 ( た ) る


古い歌謡曲の一節に " 春の嵐に散りゆく花か " というのがありましたが、

特に日本では丁度、桜が満開の頃、風雨にさらされることが多い。

それを人生のはかなさに重ねて歌にしたりしています。

人生には別離がつきもの。それにしても井伏鱒二の訳詩に比べ、もとの

漢詩はなんとなくそっけなく感じます。

矢張り「 サヨナラダケガ ジンセイダ 」。


「 平家物語 」「方丈記」「奥の細道」の出だしの文句は大般若経など

の仏典や漢詩からの影響を受けているのではないでしょうか。


  写真は庭に咲く山茶花。

  我が庭のさざんかの花満開の今を盛りに散りゆくばかり

              撮影 竹中敬一  短歌 遅足




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