芭蕉は能因 ( 平安中期の歌人) や西行 ( 平安末期、鎌倉前期の歌人 )の
奥州、出羽 行脚の跡をたどって 、一番楽しみにしていた所は、
松島と象潟 ( きさがた )だったようです。
宮城県中部の松島は日本三景の一つとして今でも知られており 、私も
行ったことがあります。
しかし、秋田県南部にある象潟は芭蕉の時代には景勝地だったが、その後、
地震で隆起。今は島だけ所々に残して、水田地帯になっているようです。
芭蕉は松島へ行く前に塩竈神社を参拝しています。
早朝 ( さうてう ) 、塩がまの明神に詣 ( まうず )。 国守 ( こくしゆ )
再興せられて、宮柱 ( みやばしら ) ふとしく、…
この 「 宮柱ふとしく 」 について、註釈では 「 謡曲の慣用語 」と記
されています。
広辞苑によると能楽は平安時代以来の猿楽からきているそうで、能の
台本である謡曲も相当、古くに書かれたのでしょう、
しかし、私が思うには、「 宮柱ふとしく」 という表現は奈良時代、
すでに文章化されて伝わる祝詞 ( のりと )から来ているのではないか
と思うのです。
神職だった父が毎朝、神棚に向かって唱えていた大祓詞 ( おおはらひ
のことば )の中に出てくるので憶えています。
…… 下津磐根 ( したついわね ) に宮柱 太 敷 ( ふとし ) き立て ……
いずれにしても、「 おくのほそ道 」には、つい見過ごしてしまいそうな
文章の中にも日本や中国の古典を踏まえた表現が沢山、詰まっていることを
知り、徒や疎かに読んではいけないと思いました。
塩竈神社を参拝した後、芭蕉はかねて念願の松島を訪れました。
抑 ( そもそも ) ことふりにたれど、松島は扶桑 ( ふさう )第一の好風
にして、凡( およそ)洞庭 ( どうてい )・西湖 ( せいこ ) を恥 ( はじ )ず。
東南より海を入( いれ )て、江 の中 (うち )、三里、浙江 ( せっこう )の
潮 ( うしほ )をたたふ。
松島は中国の洞庭湖や西湖と見劣りしないと記しています。
洞庭湖は 唐代の詩人 李白や孟浩然、西湖は唐代の詩人 白居易 や北宋の詩人
蘇東坡がそれぞれその景観を愛でて漢詩をつくっています。
芭蕉はこうした漢詩や中国の水墨画を通して、頭の中で洞庭、西湖の
イメージを作り上げ、それを松島に当てはめたのでしょう。
南宋絵画では 「 西湖十景 」を多くの画家が画題として取り上げいます。
西湖は南宋時代の都があった浙江省の杭州にあります。
私も平成2年、湖沼の汚染が問題となって、世界湖沼会議が西湖で開かれた時、
取材で行きましたが、実景は西湖と松島とでは、かなり違いがあります。
この時代、日本では宋元の写生画に人気があり、画家の中には中国の
景勝地を実景を見ずに想像で水墨画を描いたように、芭蕉の場合も、
あくまで頭の中で昇華させた西湖と松島であって、実景と比較するのは、
ヤボというものでしょう。(続く)
写真は新庄発~余目 ( あまるめ ) 行の陸羽西線
(愛称「 奥の細道 」最上川ライン)車窓より。時々 雨模様。
今年10月28日 筆者 撮影 。