575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

山形一泊の旅 ~ より道 「 奥の細道 」③ ~ 竹中敬一

2018年12月22日 | Weblog

芭蕉は能因 ( 平安中期の歌人) や西行 ( 平安末期、鎌倉前期の歌人 )の

奥州、出羽 行脚の跡をたどって 、一番楽しみにしていた所は、

松島と象潟 ( きさがた )だったようです。

宮城県中部の松島は日本三景の一つとして今でも知られており 、私も

行ったことがあります。

しかし、秋田県南部にある象潟は芭蕉の時代には景勝地だったが、その後、

地震で隆起。今は島だけ所々に残して、水田地帯になっているようです。

芭蕉は松島へ行く前に塩竈神社を参拝しています。


早朝 ( さうてう ) 、塩がまの明神に詣 ( まうず )。 国守 ( こくしゆ )

再興せられて、宮柱 ( みやばしら ) ふとしく、…


この 「 宮柱ふとしく 」 について、註釈では 「 謡曲の慣用語 」と記

されています。

広辞苑によると能楽は平安時代以来の猿楽からきているそうで、能の

台本である謡曲も相当、古くに書かれたのでしょう、

しかし、私が思うには、「 宮柱ふとしく」 という表現は奈良時代、

すでに文章化されて伝わる祝詞 ( のりと )から来ているのではないか

と思うのです。

神職だった父が毎朝、神棚に向かって唱えていた大祓詞 ( おおはらひ

のことば )の中に出てくるので憶えています。


…… 下津磐根 ( したついわね ) に宮柱 太 敷 ( ふとし ) き立て ……


いずれにしても、「 おくのほそ道 」には、つい見過ごしてしまいそうな

文章の中にも日本や中国の古典を踏まえた表現が沢山、詰まっていることを

知り、徒や疎かに読んではいけないと思いました。

塩竈神社を参拝した後、芭蕉はかねて念願の松島を訪れました。


抑 ( そもそも ) ことふりにたれど、松島は扶桑 ( ふさう )第一の好風

にして、凡( およそ)洞庭 ( どうてい )・西湖 ( せいこ ) を恥 ( はじ )ず。

東南より海を入( いれ )て、江 の中 (うち )、三里、浙江 ( せっこう )の

潮 ( うしほ )をたたふ。


松島は中国の洞庭湖や西湖と見劣りしないと記しています。

洞庭湖は 唐代の詩人 李白や孟浩然、西湖は唐代の詩人 白居易 や北宋の詩人

蘇東坡がそれぞれその景観を愛でて漢詩をつくっています。

芭蕉はこうした漢詩や中国の水墨画を通して、頭の中で洞庭、西湖の

イメージを作り上げ、それを松島に当てはめたのでしょう。


南宋絵画では 「 西湖十景 」を多くの画家が画題として取り上げいます。

西湖は南宋時代の都があった浙江省の杭州にあります。

私も平成2年、湖沼の汚染が問題となって、世界湖沼会議が西湖で開かれた時、

取材で行きましたが、実景は西湖と松島とでは、かなり違いがあります。

この時代、日本では宋元の写生画に人気があり、画家の中には中国の

景勝地を実景を見ずに想像で水墨画を描いたように、芭蕉の場合も、

あくまで頭の中で昇華させた西湖と松島であって、実景と比較するのは、

ヤボというものでしょう。(続く)


写真は新庄発~余目 ( あまるめ ) 行の陸羽西線
(愛称「 奥の細道 」最上川ライン)車窓より。時々 雨模様。
今年10月28日 筆者 撮影 。






コメント (1)
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