竹中さんのブログに刺激を受け、私も以前から行きたかった湖北の渡岸寺観音堂(向源寺)へ行って来ました。
国宝に指定されている十一面観音菩薩立像。聖武天皇の時代に天然痘が流行り、その厄よけのために作られたと言われています。
時は過ぎ、戦国時代、織田と浅井の戦いの戦火にあい、村人が土中に埋めて難を逃れた観音さま。今は立派な収蔵庫の中に収められています。ありがたいことにガラス越しではなく、また後ろ姿も拝めるという展示になっていますのでゆっくり十一面の細部まで眺めることができます。
頭上に11人の観音さまを配し、そっと目を閉じられています。左手に水瓶を持ち、右手は人々を救うかのように差し出され、右足は一歩前に歩み出ようとするまさにその一瞬が彫られています。
土中に埋められても指一本欠けることなく1200年経った今もその美しいお姿を拝めるありがたさ。白洲正子も絶賛の近江のかくれ里のような湖北にひっそりとたたずむ観音様でした。
ところで、竹中さんの11月24日のブログの写真と私の写真、門前の景色が変わったことにお気づきでしょうか?
実は門の前に大きな斜めに生える松の木があったのですが、9月の台風で根が浮きあがりやむなく切ってしまったそうです。
あちこちのお寺でも大木が倒れていました。台風で琵琶湖からの風をもろに受けたのでしょう。
湖北の紅葉はどこまでも美しく、朱露さんがお好きだった余呉湖にも足を伸ばしました。気持ちのいい一日でした。竹中さん、ありがとうございました。
小春日の湖北の寺に祈りあり 麗
国宝に指定されている十一面観音菩薩立像。聖武天皇の時代に天然痘が流行り、その厄よけのために作られたと言われています。
時は過ぎ、戦国時代、織田と浅井の戦いの戦火にあい、村人が土中に埋めて難を逃れた観音さま。今は立派な収蔵庫の中に収められています。ありがたいことにガラス越しではなく、また後ろ姿も拝めるという展示になっていますのでゆっくり十一面の細部まで眺めることができます。
頭上に11人の観音さまを配し、そっと目を閉じられています。左手に水瓶を持ち、右手は人々を救うかのように差し出され、右足は一歩前に歩み出ようとするまさにその一瞬が彫られています。
土中に埋められても指一本欠けることなく1200年経った今もその美しいお姿を拝めるありがたさ。白洲正子も絶賛の近江のかくれ里のような湖北にひっそりとたたずむ観音様でした。
ところで、竹中さんの11月24日のブログの写真と私の写真、門前の景色が変わったことにお気づきでしょうか?
実は門の前に大きな斜めに生える松の木があったのですが、9月の台風で根が浮きあがりやむなく切ってしまったそうです。
あちこちのお寺でも大木が倒れていました。台風で琵琶湖からの風をもろに受けたのでしょう。
湖北の紅葉はどこまでも美しく、朱露さんがお好きだった余呉湖にも足を伸ばしました。気持ちのいい一日でした。竹中さん、ありがとうございました。
小春日の湖北の寺に祈りあり 麗